ドイツの大学人によって組織された反ナチ抵抗運動の象徴として、「白ばら」のそれが知られています。この「白ばら」の活動については、インゲ・アイヒャー=ショルの『白バラは散らず』未来社、C・ペトリの『白バラ抵抗運動の記録』未来社、H・ヤーンケの『鍵十字に反対する白バラ』などが詳しいです。
本書は、この「白バラ」運動に関わったヴィリー・グラーフ(1918-1943)の手紙、関連した文献をクラウス・フィルハーバーが編集した資料集です。
当のヴィリー・グラーフはザールブリュッケンの敬虔なカトリックの家庭に生まれ。上に姉のマチルデ、下に妹のアンネリーゼがいました。
若くして医学を志し、同時に真のキリスト教徒になろうと決意、カトリックの青年集団「新ドイツ」に入りました。
この組織は、ナチの迫害を受け解散させられましたが、その後「ドイツ騎士団青年会」、「灰色会」に入会。これらは宗教的色彩をもった、反ナチの秘密結社でした。「灰色会」に所属してから北欧ラップランド、ユーゴスラビアに旅行、くわえて文学、詩篇に親しみ、カトリックの進歩的な人々による典礼運動に参加しました。
ヴィリーはこのように、ナチ体制に原則的な抵抗を示しつつ、青年らしい人生を歩んだのでした。
そのヴィリーは1933年に、彼を含めた18人の「灰色会」メンバーがその頃禁止されていた反ナチの活動を行ったかどで逮捕されました(恩赦で不起訴)。
1940年には、戦線に出動、ベルギー、バルカン、ポーランド、ロシアでの戦争を体験、42年春、ミュンヘンに戻って学生生活に復帰。それもつかの間、同年7月には、「白バラ」の仲間(ハンス・ショル、アレックス・シュモレルたち)とともに東部戦線に再動員されました。
43年2月18日、ショル兄妹がミュンヘン大学の講堂でビラをまいたことがきっかけで、ヴィリーは妹アンネリーゼとともに逮捕されました。
4月19日、国家社会主義的生活形式の倒壊をパンフレットで呼びかけ、敗戦思想を宣伝し、総統をののしるという反民族的大逆を犯し、利敵行為をとったかどでアレクサンダー・シュモレル、クルト・フーバーとともに死刑判決がくだされます(ヴィリーは10月12日、死刑執行)。
本書はヴィリーの処刑20周年を記念して刊行されたもので、これを読みヴィリーの人物像、その人生を知ることができます。
妹アンネリーゼによるヴィリーの小伝、履歴書からの抜粋、メモ、起訴状、手紙と日記からの抜粋、民族裁判所での公判の体験記(ミュンヘンの哲学博士シュデコップフ女史による)、判決と判決理由、刑務所からの手紙、母と妹に宛てた処刑直前の手紙の抜粋が収められています。
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