「満映」、正式の名は満州映画協会。それは昭和12年、新京特別市に設立されました。初代会長は清朝の皇族金壁東(粛親王善耆の第七子、川島芳子の兄)でしたが、実権は常務理事の林顕蔵専務理事(満鉄映画製作所出身)が握っていた。
その2代目理事長に甘粕事件で有名な甘粕正彦が就任。実績が上がらなかった満映の映画製作を軌道にのせるための人事だった。
甘粕自身は大杉栄虐殺に連座し服役後、渡仏。その後、満州へ渡り満州国民生部警務司長などを務め、協和会幹部の傍ら謀略機関の親玉として悪名を響かせていた。
満映の設立は、日本の満州支配の浸透をはかったもので、より具体的には「日満親善」、「五族共和」、「王道楽土」といった満州国の理想を満州人に教育することが目的だった。しかし、映画はプロパガンダ的なものが大部分で、芸術的価値のないものばかりか、大衆受けもしない駄作が多かったようだ。
本書の末尾にフィルモグラフィが掲げられているが、観るべきものはない。わずかに女優の李香蘭の発掘などが眼をひく程度。
したがって本書は、著者が自認したように、最終的に満映の作品をたどるというのではなく、それに関わった人物を巡る話になった(p.516)。甘粕正彦はもとより、筆頭理事の根岸寛一、名プロデューサー・マキノ満男、映画監督・内田吐夢、カメラマン・気賀靖吾などなど。
1945年10月1日、満州を「解放」した中国共産党は、満映を接収し、東北電影公司とした(さらに東北電影制片廠をへて1955年長春電影制片廠へと継承された)。満映の日本人技術社員のうち何名かは東北電影公司に残り、その後の中国映画の技術指導を行っていたことは、近年の研究で明らかになっている。
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