【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

杉田久女の再評価(田辺聖子著『花衣ぬぐやまつわる・・・』集英社)

2007-10-22 00:37:51 | 評論/評伝/自伝

田辺聖子『花衣ぬぐやまつわる・・・わが愛の杉田久女』集英社、1987年    

 女流俳人、杉田久女の評伝(1890-1946)です。

 田辺聖子の快心の作品です。過大評価でもない、過小評価でもない等身大の杉田久女を描きました。

 久女は見事な俳句を多くつくりましたが、「自分勝手な変わり者で、周囲の人を振り回し、最後は気がくるって『独語独笑』で死んだ、人間として欠陥の多かった人」と評価されてきましたが、この評価はあたっていないことを、客観的な資料をもとに、明らかにしました。

 むしろ、上記の風評は当時「ホトトギス」を主宰し俳句の世界で神様のような存在であった高浜虚子(正岡子規の弟子)による久女評価(嘘八百の捏造)に根があったことを突きとめ、久女伝説に終止符をうち、彼女を復権させました。

 久女は不幸な結婚後、次兄の手ほどきで俳句を嗜み(その時27歳)、その後短期間でめきめき頭角をあらわし、実力では当時の第一線に躍り出た人でした。

 理解のない夫、休む暇ない家事・育児のなかで秀逸な作品を次々と世に出し、写実主義の舞台であった「ホトトギス」で評価を得ました。

 彼女は俳句にのめりこみ才覚を発揮したのですが、性格的に思い込みが強く、ナルシズム的な気性があり、人間関係を上手く作れず、それらが保守的な時代の世相と、小倉という土地柄に増幅されて誤解が誤解を生んだのです。

 能力を評価され「ホトトギス」の同人となりましたが、虚子に嫌われ、疎まれて除名されてから(虚子は久女の才能は認めていた)、作品に精彩を欠くようになります。虚子への傾倒が深く、昭和10年頃から14年頃まで200通以上の手紙を書きましたが、ほとんど無視されました。最後は自分の「句集」の出版に期待をかけましたが叶わず、戦争に入って、窮乏と栄養失調のため筑紫保養院でひとりさびしく他界しました。

 虚子は自身による久女の「ホトトギス」除名を正当化するために事実を捏造し、彼女の生そのものを貶めた形跡があります。あってはならないことです。

 著者は人間、久女によりそいながら、その才能を評価し、久女の実像を形にしました。

 花衣ぬぐやまつわる紐いろいろ
 谺(こだま)して山ほととぎすほしいまま
 朝顔や濁りそめたる市の空
 紫陽花に秋冷いたる信濃かな
 夕顔やひらきかかりてひだ深く
 鶯や螺鈿古りたる小衝立

 本書は、514頁の大作です。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿