【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

トルコ旅行覚書⑤

2007-10-21 01:02:27 | 旅行/温泉

トロイの遺跡にたつ。 

 トロイ戦争で有名な「トロイ」はトルコにあります。ホメロスの叙事詩「イーリアス」に描かれたのがトロイ戦争ですが、この話が実際にあったことなのかは長い間、謎でした。ところがドイツの貿易商シュリーマンがこの話を信じ、発掘にとりかかかり、見事にその存在をつきとめました。

 ホメロスの描いたトロイ戦争とは、次のようなものです。昔、ヘラ、アテネ、アフリディテという3人の女神がいました。ある日、「世界で一番美しい女神は誰か」をめぐって争いがおこり、トロイの王子パリスにそれを尋ねました。そのとき、3人の女神は自分を選んでもらおうと、王子と密約を交わします。ヘラは自分を選んでくれれば「支配権」と「富」を、アテネは「戦いの勝利」と「知恵」を、アフロディティは「世界一の美女」を約束しました。王子はアフロディティを選びました。王子は絶世の美女であるスパルタの王妃ヘレネを得ることができました。

 スパルタの王メネラーオスは怒り、兄のミュケナイ王アガメムノンを総大将として、ギリシャの兵士たちをトロイに遠征させました。ここにトロイ戦争が始まります。

 ギリシャ軍はトロイの王城を包囲しましたが、トロイの守備は堅固で陥落しません。戦争は
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年も続きました。

 ギリシャの猛将はアキレウス、獅子奮迅の勢いで戦い、トロイ軍は総崩れになります。トロイ軍は城に退却しますが、ひとりトロイの総大将ヘクトルは城外にとどまりました。ここでアキレウスとヘクトルが一騎打ちとなります。

 この一騎打ちはアキレウスがヘクトルを槍でさし、凱歌をあげます。ヘクトルの父であるトロイの王プリアモスは悲嘆にくれますが、アキレウスもその踵をパリスの矢で打ち抜かれて斃れます。

 ギリシャ軍はこのあと智将オヂュッセウスが謀をめぐらします。アテネの神に捧げるとして木馬を残して、軍事撤退しました。ところが、この木馬のなかにはギリシャの兵士が隠れていました。トロイの人々はギリシャ軍が退散したとみて、この木馬を戦利品として場内に引き入れました。

 勝利の宴に酔っていたその深夜、木馬にひそんでいた兵士が抜け出て、城の門を開きます。松明の合図で、港に待機していたギリシャ軍が攻撃を開始し、ついにトロイは滅亡しました。

 この話を史実として疑わなかったシュリーマンは、187048歳のときに発掘に着手、19736月に「トロイの財宝」を発見しました。シュリーマンはその後も発掘を続け、発掘による古代の遺産はドイツに送りました。そして第二次世界大戦後、それらはさらに旧ソ連に引き渡されました。

 トルコ政府はいまその返還をもとめて、国際裁判にかけているそうです。

 今回の旅行ではこのトロイの遺跡をひとめぐりしました。シュリーマンの話はわたしが子供のころ、何かの本で読んだ記憶があります。その地に自分が立つとは、思ってもみませんでしたが、それが実現しました。まだ灼熱の太陽の光がまぶしい一日で、汗は吹き出るし、のどは乾くし、しかし実に感動的な体験でした。現地には、観光客用でしょうか、この写真にあるような「トロイの木馬」があります。入ろうと思えば入れます。小さな窓から顔を出すことができます。でも、これは興ざめでした。
      念願のトルコ探訪!<トロイ編> by serichiさん
 これで、トルコ旅行覚書はおわります。


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