著者、笠智衆は小津安二郎監督を敬愛するドイツのヴェンダース監督の『夢の果てまでも』に出演させてもらったという話で、この本を始めています。長い俳優人生の帰結です。小津安二郎監督の映画に、いなくてはならなかった俳優。そのほとんどの映画に出演しています。
小津映画は世界的に有名でありますし、その価値についての評論はたくさんありますが、出演していた俳優は監督をどう見ていたのでしょうか?
本書では、その一端を知ることができます。笠智衆は恵まれた人です。ご本人がそれを自認しています。熊本県の来照寺という江戸時代から続いているお寺で生まれ、たまたま目にした新聞の広告に応募して松竹キネマ・俳優研究生になります。もちろん最初は大部屋で過ごす日々でしたが、小津監督に登用され、以来、小津映画になくてはならない存在となりました。
著者はそのことをよくわかっていて、小津監督を「先生」と呼んで、生涯、敬服しました(妻の花観さんは監督のことをオッチャンと呼んでいたそうですが)。本書にはそのことが滲みでています。
撮影ではダメだしの連続であったらしいです。それでも監督は、「不器用」な笠智衆を好んでいた。著者は好きな小津映画は「東京物語」と書いていますが、巻末の息子さんのエッセイでは「父ありき」が本当ではなかったか、と述懐しています。
小津監督の演出の仕方、撮影のおりの雰囲気、監督の趣味と人柄が丁寧に紹介されています。また、撮影担当の厚田優春、俳優の原節子、岸恵子、岡田茉莉子、岸田今日子、佐田啓二、東野栄治郎、佐分利信などのエピソードも興味深いです。映画のことを「シャシン」と書いています。
表紙にある笠智衆は、「男はつらいよ」でよくみた御前様のおだやかな表情で、好ましいです。
小津映画は世界的に有名でありますし、その価値についての評論はたくさんありますが、出演していた俳優は監督をどう見ていたのでしょうか?
本書では、その一端を知ることができます。笠智衆は恵まれた人です。ご本人がそれを自認しています。熊本県の来照寺という江戸時代から続いているお寺で生まれ、たまたま目にした新聞の広告に応募して松竹キネマ・俳優研究生になります。もちろん最初は大部屋で過ごす日々でしたが、小津監督に登用され、以来、小津映画になくてはならない存在となりました。
著者はそのことをよくわかっていて、小津監督を「先生」と呼んで、生涯、敬服しました(妻の花観さんは監督のことをオッチャンと呼んでいたそうですが)。本書にはそのことが滲みでています。
撮影ではダメだしの連続であったらしいです。それでも監督は、「不器用」な笠智衆を好んでいた。著者は好きな小津映画は「東京物語」と書いていますが、巻末の息子さんのエッセイでは「父ありき」が本当ではなかったか、と述懐しています。
小津監督の演出の仕方、撮影のおりの雰囲気、監督の趣味と人柄が丁寧に紹介されています。また、撮影担当の厚田優春、俳優の原節子、岸恵子、岡田茉莉子、岸田今日子、佐田啓二、東野栄治郎、佐分利信などのエピソードも興味深いです。映画のことを「シャシン」と書いています。
表紙にある笠智衆は、「男はつらいよ」でよくみた御前様のおだやかな表情で、好ましいです。
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