【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

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江後迪子『隠居大名の江戸暮らし-年中行事と食生活-』吉川弘文館、1999年

2007-06-17 00:51:35 | 歴史
江後迪子『隠居大名の江戸暮らし-年中行事と食生活-』吉川弘文館、1999年。
                 隠居大名の江戸暮らし

 『臼杵藩稲葉家奥日記』から当時の大名の生活を洗い出しています。日記の3分の2は1801年(享和元年)から1853年(嘉永6年)までの江戸屋敷のもの。その他は、臼杵城のものなど。

 藩主は11代で24歳の雍通(てるみち)に始まり、12代尊通(たかみち)、13代幾通(ちかみち)、14代観通(あきみち)、15代久通(ひさみち)と5代にわたります。

 当時の大名は時々国元へ帰りましたが、一生の大半を江戸で過ごすのが普通でした。殿様の仕事と経費、行事と儀礼、食事と献立など、暮らしの実態が日記から類推し、ユニークな本になっています。

 「奥日記」からは雛節句、端午節句の様子、歳暮の祝儀、餅つき、また家督相続、結納・婚礼・縁組、着帯・出産、箸の祝儀、誕生祝い、元服、有卦、葬儀、法事・忌中、病気見舞いなど、暮らしぶりが細かく、よく見えるようです。お菓子のことが沢山かかれていたこと、干鯛、鮮鯛など鯛に関する記述が多かったことも印象に残りました。

 参勤交代は藩財政にとって大きな負担になっており、また幕府はそれを目的としたことはよく知られていますが、臼杵藩の1840年(天保11年)のそれは要員で470人、前年の所要経費1619両で藩財政の3.2%だっとあります(p.54)。

 また、武家の年中行事の詳細が描かれていますが、その内容は宮中の行事(「御朝物」「菱餅」「御買初」「三月九月節句」「端午節句」「中元刺鯖・蓮飯」「八朔」「玄猪」)を規範としていたらしいです(p.p.70-71)。

 目次は以下のとおりです。「『臼杵藩稲葉家奥日記』と大名の生活文化―プロローグ」「臼杵藩の江戸屋敷と公務」「江戸屋敷の行事と儀礼」「大名の生活と遊興」「幕藩体制の崩壊と暮らしの変化―エピローグ」 。

おしまい。

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