【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

高木仁三郎『市民の科学をめざして』朝日新聞社、1999年

2011-06-21 00:02:49 | 科学論/哲学/思想/宗教

                      
  科学の内容、在り方を市民サイドで考える「自前の科学」「市民の手による科学」を提唱し、独特の科学論を編み出し、実践した高木仁三郎が死の直前に刊行した本です。                    
 本書によると高木学校が「市民の手による科学」の「場」になるはずでしたが、たちあげ直前に高木は病気で入院し、手術。学校は頓挫の危機に直面しましたが、共感をもつ人々の熱意によって学校はスタートしました。その経緯、学校設立のさいの様子は本書の最後の部分「おわりに 『市民の科学』のこれから-高木学校によせて」(「次の世代と結ぶ」「学校が始まった」)に詳しいです。

 この学校は現在も健在で、市民サイドの精力的な科学研究活動、成果の広報活動を行っています。

 本書の第一部では「市民の科学」として専門化批判の組織化の必要性が唱えられています。すなわち原子力や環境問題などすぐれて専門的知識が問われる分野では自称、他称の専門家が幅をきかせていて、素人は議論に入り込む余地がありません。また批判できる能力をもった研究者は孤軍奮闘しているものの、それゆえに大きな力になりにくいのが現状です。専門的批判の組織がまたれるゆえんです。

 ドイツではそうした組織があり(フライブルク、ダルムシュタットのエコ研究所、ブレーメンのコラート・ドンデラー事務所など)、政府、産業界はその活動、見解を無視できないほどに成長しています。

 高木はドイツの例をひきつつ、すぐに同じレベルのものはつくれないとしても、この種の研究組織が喫緊の課題であるとしてオルタナティブとしての市民の科学を実現する「原子力資料情報室」を構想し、創始しました。本書の「第3章:原子力資料情報室」「第4章:プルトニウムと市民のはざまで」で、この組織を紹介しています。

 著者の言によれば「1975年に東京での原子力資料情報室の創設に参加し・・・そこでの仕事は、政府や原子力計画を批判的に検討し、きちんとした根拠に基づいて、原子力問題に関する情報と見解を一般の人人々に理解しやすいかたちで提供するというものでした」ということになるのです(p.75)。

 「第二部 市民にとってのプルトニウム政策」では、原子力研究の専門家である高木が、プルトニウムとは何かから始めて、政府の原子力利用の長期計画の問題点、高速増殖炉の危険性、プルサマール計画の内容(二酸化プルトニウムを二酸化ウランと結合して燃結したいわゆるMOX燃料を通常使われている沸騰水型および加圧水型の軽水炉で燃やす計画)、諸外国のプルトニウム政策の実践について論じています。

 さらに、この部の前章での議論の延長で、第2章ではプルトニウム軽水炉利用の中止(根拠はプルトニウムそのものの危険性、MOX利用が核拡散を促進すること、核テロリズムの脅威が存在すること、など)を指摘しています。


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