【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

斎藤由香『猛女といわれた淑女-祖母・斎藤輝子の生き方』新潮社、2008年

2011-12-19 00:40:58 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談

          
 著者は作家北杜夫(斎藤宗吉)の娘で歌人斎藤茂吉の孫、茂吉の妻は輝子です。著者にとっては祖母にあたります。その輝子の生涯、生き方を孫娘の眼でエッセイ風にまとめのがこの本です。

 輝子は浅草にあった精神科の病院の医師、斎藤紀一の娘でした。茂吉は14歳の頃に山形県南村山郡金瓶村(現在の上山市金瓶)からでてきてこの親戚の医師のところに転がりこみ、養子となりました。

 茂吉と輝子は幼馴染みでしたが、茂吉31歳、輝子18歳のときに結婚。二人の仲は決してよいとはいえず、生涯で18年間、別居生活がありました。もともと輝子は活発な少女でしたが、茂吉死後、猛女ぶりを発揮します。
 
 海外旅行です。89歳で亡くなるまでに海外渡航数97回、世界108カ国を訪れました。その中には79歳で南極、80歳でエヴェレスト山麓、81歳でエジプト、83歳でアラビアなどが入っています。

 著者はその海外力熱に浮かされた輝子の猛女ぶりとそれに振り回された叔父、茂太夫妻、父宗吉とその妻の様子を面白可笑しく書き綴っています。

 父である北杜夫さんのことも、すでに本人が公にしていることばかりですが、躁鬱病の顛末を中心に描写しています。一番悔やんでいるのは、著者が小学校1年生から大学4年までにつけていた日記を、就職が決まったときに、「燃えるゴミ」にだし、この世からなくなってしまったこです。

 ただ、輝子死後、輝子から著者に海外から宛てたかなりの枚数の絵葉書がでてきたようで、そのことをエピローグで紹介しています。また、著者は成城大学出身ですが、卒業論文に歌人としての斎藤茂吉をとりあげたとか。しかし、その内容は構成だけが示され、どんなものになったのかは書かれていません。たいした論文にはならなかったと推測できます(何となく、そのような匂いがする著者の書きっぷりからわかるのです)。