く~にゃん雑記帳

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<奈良市写真美術館> 「入江泰吉 万葉大和路とみほとけ」展

2023年02月19日 | 美術

【没後30年記念、未発表の仏像写真を含む81点】

 奈良市写真美術館(高畑町)で「没後30年記念 入江泰吉 万葉大和路とみほとけ」展が始まった(3月26日まで)。写真家入江泰吉は戦後ほぼ半世紀にわたって奈良の風物を撮り続けた。この美術館はその入江の作品を広く紹介するため1992年4月に開館した。そのため正式名にも奈良市の前に「入江泰吉記念」と付く。ところが美術館が開館する直前、入江は92年1月16日86年の生涯を閉じた。(写真は晩年の入江泰吉)

 今展での展示作品は大和路の風景や万葉集に詠まれた草花、仏像など合わせて81点。そのうち仏像写真は28点で、戦後まもない1940年代から50年代にかけガラス乾板で撮った未発表作品も多く含まれる。<みほとけ>の展示会場には入江が愛用したカメラ「リンホフ スーパーテヒニカ4×5in判」も三脚に載せて展示されていた。

 会場入り口正面には大きな『東大寺戒壇堂広目天像』が1枚展示されていた。1945年ごろガラス乾板で撮った作品。憤怒の表情には圧倒されるばかり。眉を寄せ細い目でこちらを凝視する。会場に入ると約30年後に別の角度から撮った『東大寺広目天像』もあった。その両側を『中宮寺菩薩半跏像』と『興福寺阿修羅像』が飾る。広目天像とは対照的な優しく柔和な面持ち。いずれも飛鳥・天平時代の最高傑作といわれる。

 『東大寺南大門金剛力士像 吽形』は力強い目鼻と筋骨隆々の胸の部分をほぼ目の高さからとらえた作品。解説文の中に「24時間365日いつでも見ることができる国宝仏像は全国的にも珍しい」とあった。そういえばそうか。これまで何度も南大門をくぐってきたが、そこまで思いを巡らせたことがなかった。仏像写真にはほかに『東大寺吉祥天像』や『興福寺舎利佛像』『薬師寺金堂薬師如来像』『聖林寺十一面観音像』など。いずれも仏さまの内面に迫る作品だった。

 <万葉大和路>の風景や草花の写真にはそれぞれ万葉歌が添えられていた。『残照二上山』には大伯皇女の「うつそみの人なる我や明日よりは二上山を弟(いろせ)と我が見む」。弟の大津皇子の亡骸を二上山に移葬したときに詠んだ哀歌だ。『東大寺境内夕月』の写真(㊤)には大伴家持の「振りさけて三日月見れば一目見し人の眉引き思ほゆるかも」、『砂ずりの藤に彩られた春日大社境内』には大伴四綱の「藤波の花は盛りになりにけり奈良の都を思うほすや君」。

 写真美術館からの帰り、近くの新薬師寺と興福寺の国宝館に立ち寄った。今回の仏像写真の中に『新薬師寺宮毘羅(くびら)大将像』や『興福寺五部浄像』などもあった。そこで改めて実物の仏像を拝観したいと急に思い立った次第。宮毘羅大将像は右手の剣で仏敵を今まさに突き刺すような勢いで、十二神将の中では最も動きのある像だった。一方の写真は上半身に焦点が当たっていた。

 興福寺の五部浄像は八部衆立像の中で唯一胸から下の部分が失われており、高さが約50cmと小さい。頭にはゾウの冠を被る。八部衆の中では三面六臂の阿修羅や沙羯羅(さから)が美少年の像として人気を集めているが、この五部浄もつぶらな瞳の童顔が可愛らしく改めて見入ってしまった。八部衆は奈良時代創建の西金堂で本尊釈迦如来像の周囲に安置されていた。それから約1300年、興福寺はたびたび火難に襲われた。それを乗り越え8体が全部そろって現存しているのはまさに奇跡!


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