大映が倒産して20年が経った頃だったと思いますが、その頃に著名俳優が企業を訪問
して経営者と懇談する記事と写真を載せたグラフ誌の発行が流行りました。
私がいた会社にもそんな企画が持ち込まれ、来社したタレントと話していて私はどこかで
会ったようなヤツと思いながら、私が大映のOBであることを漏らすと相手がびっくりして
「私、炎三四郎です」と言うのです。私は大映後には映画界から足を洗っていたので最初
に名乗られた「速水亮」では全く判らなかったのです。急展開で大映時代の思い出話の花
がひとしきり咲きました。
彼は千葉県木更津の出身で、高校では柔道部キャプテンを務めるくらいのスポーツ青年
でしたが、悶着生徒で中途退学せざるを得なかったそうです。子どものころから映画が大
好きだったこともあり、大映ニューフェイスに応募、合格して第20期生となりますが、同期
に八並映子がいます。
彼の芸名は命名好きな永田秀雅副社長が付けたもので、三四郎は彼の柔道経歴から姿
三四郎にあやかった芸名でしたが、本人はこの名前が大嫌いで何度も永田副社長に名前
を変えたいと言ったものの却下、泣き泣き大映ではこの芸名を使わざるを得なかったそう
です。
炎三四郎のデビュー作は「あゝ陸軍隼戦闘隊」で評判はすこぶる良く将来を嘱望されたの
ですが、「続・いそぎんちゃく」「ガメラ対大魔獣ジャイガー」「おさな妻」など10本近い作品に
出たのに大映倒産の憂き目に合いました。
大映末期にやっと改名を許され豊田正文に芸名を変えたのにそれを使えず、大映後に仕
事場を変えたテレビで「仮面ライダーX」から一躍有名になり、何回が芸名を変えた後に
速水亮となったのだそうです。
テレビが彼の持ち味に合ったのでしょう、その活躍ぶりは皆さんの方が詳しいと思います。
昭和24年(1949)生れですから現在66歳。数年前に健康を害したと聞きましたが、元気で
過ごしていることを願っています。