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中島けんです。新しい映画や舞台の感想を中心に、大映の思い出、海外旅行・地元の話題などを写真付きで書かせていただきます。

大映宣伝部・番外編の番外 (42) 菅原謙二さん

2014年12月15日 | 日記

     

 
     ↑ 福岡の大洋映劇でのスナップ。菅原謙二・若尾文子・潮万太郎さんに、メガネの方は
       我々とお付き合いがあった、当時の大洋映劇の岡部章一社長(現社長は息子さん)

  

    

     随分前に根上淳さんのことを書きました。1950年代に根上さんと菅原謙二さん
     は、大映で稼げる俳優さんとして活躍したお二人です。
     私は根上さんとは個人的に親しくさせてもらっていたので先に書きましたが、
     菅原謙二さんは昭和36年(1961)に大映を離れるまで頑張って頂きましたし、フ
     リーになりってからは、映画各社の作品やテレビ、新派にも出演して活躍を続
     けられました。
     残念なことに、平成11年に急性肺炎により73歳で亡くなりましたが、大映として
     忘れてはならない一人として、今回アップしました。

     日本映画学校、俳優座養成所を経て大映に入社、「絢爛たる殺人」がデビュー
     作です。大映では現代物を中心に活躍しましたが、本人が柔道三段なので、そ
     の腕前を買われて柔道物にも主演作の幅広げました。
     柔道物はその後、大映の十八番作品として人気が続き、菅原さんの後は本郷
     功次郎、石井竜一などへと引き継がれて行ったのです。

     菅原さんの大映での作品は97本に及びますが、前向きで本格的な活動がした
     かった彼は、昭和36年(1961)に退社してフリーの道を選びます。
     大映でのラスト作品はフリーの立場で出演した「あゝ海軍」(1969)でした。

     上の福岡でのスナップは、私がまだ九州支社に転任してくる前のもので、当時
     よく行われた代表館の舞台挨拶のもので、場所は福岡市の大洋映劇です。
     この頃には共演作品が多かったこともあり、若尾ちゃんとのロマンスが巷の話
     題になりました。
     私もそれは本当だと思っている一人ですが、それが不発に終わったことが、今
     でも若尾ちゃんが活躍を続けている源になっていると思っています。
     ちなみにフラメンコの小松原庸子さんは彼の妹さんです。もし彼が生きていた
     ら88歳、どんなに素敵な老人になっていたでしょう・・・。

     
             ↑ 晩年の菅原さん

コメント (18)
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