↑「千羽鶴」(原作・川端康成、監督・増村保造)左から南美川・若尾・京・梓
昨晩、久しぶりで昭和45年度の大映社員名簿を見ました。この名簿は大映で
最後となった社員名簿で、この翌年に大映は倒産しています。
契約俳優欄には京さんをはじめ若尾ちゃんや勝ちゃんの名前もあり、いつか
折を見てこの名簿に載っている、大映で最後まで戦った戦友?の名前をご紹
介したいと思っています。
そして女優欄に目を通すと、梓英子、南美川洋子の名前もあります。この二人
については順次ご紹介をしようと考えていたので、今週はこの二人を取り上げ
ます。
もし大映がそのまま存続していれば、この二人は大映の主軸女優として大き
く伸びた正統派だと私は思っています。結局は大映が断末魔のような作品を
連発し、もし大映が残ったとしても大映にはいなかったかもしれませんが、大
映後も映画界で活躍して欲しかったご両人なので、とても残念な思いがいつ
までも残っています。
南美川洋子は某テレビ局へ見学に行き、プロデュサーにスカウトされたのが
きっかけで芸能界と縁が出来、昭和43年(1968)に大映と契約を結びました。
大映での作品は23本に終わっていますが、中でも「千羽鶴」を彼女の代表作
としてやりたいし、雷ちゃんの「眠狂四郎卍斬り」にも出ていますが、後の作品
は先述の大映末期的作品で、清純派が似合う彼女だったのに、浮かばれな
かったと思います。
昭和46年(1971)の大映倒産時に嫌気がさしたのか、この年に結婚して引退し
ています。数年後に何本かのテレビに出演したそうですが、すぐに消えまし
た。昭和25年(1950)生れですから現在64歳、元気で幸せであって欲しいです。
一方、梓英子は東京の高校を中退して芸能界入りをしており、昭和39年(196
4)には松竹や東映などで映画出演をしていました。最初の作品が「青い乳房
の埋葬」という映画で、あられもない姿を残していて、周囲は随分気にしてい
たようですが、彼女は新しい自分を産み出したい決心で大映に入ってきたも
のと思います。
大映入社は昭和42年(1967)で、それまでとは違って清純派として活躍、13本
の作品に出ていますが、「積木の箱」「千羽鶴」「眠狂四郎円月殺法」「ああ海
軍」「女体」などと、南美川洋子に比べてまともな作品本数が多い彼女です。
昭和45年(1970)あたりからは彼女にふさわしい作品が減り、テレビに活躍の
場を移しましたが、昭和48年(1973)に結婚して完全に引退しています。
今でも彼女のことを口に出す男性は結構いて、「彼女は永遠の小悪魔」と呼
ぶ人たちがいるくらい。
彼女は昭和22年(1947)の生れですから現在は67歳です。彼女も元気で幸せ
だと嬉しいのですが・・・。
↑左から南美川、川端康成氏、若尾、梓 ↑左から梓、南美川、雷蔵