戦後、台湾には10回以上行っていますが、今回は台北、高雄に次ぐ台湾第3
の都市で人口約101万、緑の多い美しい街・台中市です。
日本統治時代から行なわれている都市計画で、台中駅を中心に美しい街並
みで知られていましたが、戦後は更に発展して台中港路を新しい中心エリア
に高級ホテルやショッピングモールなどの高層ビルが並んでいます。
台中観光の目玉は、トップ写真に載せましたが、寶覚禅寺にある特大金ピカ
の布袋さんで、拝むと裕福ななるそうです。
私も拝みましたが、その効力はいまだに実現していません。
この台中は少年時代に私が住んで街の一つで4年間暮しました。
台中駅長をしていた父が「今日は有名な映画女優が駅に着くからお前も見に
こい」で、生まれて初めて見た女優さんが李香蘭(山口淑子)だったのです。
この日、台中駅に降りた李香蘭を歓迎して何万人という群集が集まり、大変
な騒動でした。
私は李香蘭は絶世の美人だが、こんなに多くの人を熱狂させる映画女優って
凄いなー、自分も大きくなったら父が言うお役人なんかではなく、映画の仕事
をしたい・・・と思ったことを、今でもはっきり覚えていますし、これが私の原点
だったのかも知れません。
何故彼女が台中駅に現れたのか? 当時台湾で有名だった話で、先住民高
砂族の娘サヨンが、日本人の若い巡査を慕っていて、出征する彼の荷物を持
って見送りにきていて、途中不慮の事故で深い谷間に落ちて死んだという事
実を基に、戦意高揚映画として撮ることになりやって来たものでした。
地元の人たちは今でも覚えていて、それは昭和17年のことだと口を揃えて言
います。
映画は台湾総督府・満州映画協会・松竹の共同制作で、題名は「サヨンの鐘」
監督・清水宏で1943年(昭和18年)に公開されています。
今でも主題歌が現地で流行っているのも不思議ですが、作詞・西条八十、作
曲・古賀政男、歌・渡辺はま子です。
下の台中駅の写真は現在のものですが、昔の建物をいまだに使用していて、
駅の中に入って見ると梁や柱も昔のままでした。
すぐ近所にあった私たちが住んでいた官舎は、前回に立寄った時は古いまま
残っていたのですが、ついに取り壊され駐車場になっていました。
庭には築山や池がありテニスコートまであった素敵な家でしたし、道路越しに
あった広場で"大相撲"が開催され、どうゆう訳か、我が家にトイレを借りに来
たのが"双葉山"だったとか、懐かしい思い出が壊された家とともに一つ消え
ました。
先にご紹介した金ピカの布袋さんのすぐ横に、昔のままの日本人遺骨安置
所があり、綺麗に清掃され今でも線香の煙が絶えません。
これも当時から如何に日本人が台湾の人たちに慕われていたかという一つ
の証なのでしよう・・・。
↑ 現在の台中駅ですが、外観も内部もほとんど昔のまま。
↑ 「サヨンの鐘」のポスターと、李香蘭(山口淑子)小柄だけど綺麗な人でした。
↑ フルーツ店で私。 ↑ 昔、よく行った台中公園。
↑ 夜市では蛇の肉も売っていました。 ↑ 暗がりですが写っているのは私。
↑ 台中の街並みです。 ↑