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中島けんです。新しい映画や舞台の感想を中心に、大映の思い出、海外旅行・地元の話題などを写真付きで書かせていただきます。

大映宣伝部・番外編 / 古い写真の思い出 ( 20 )

2013年05月13日 | 日記


  ↑ リハーサル風景。左から市川雷蔵・私・山本富士子・東京から来た舞踊関係者(花柳流)です。
      
         ↑ 真剣な表情のお富士さんと私。

     昭和33年8月1日に大映直営館"福岡大映"がスタートしました。永田雅一
     大映社長筋が持っていた全国展開の映画館"福岡公楽劇場"を看板替えした
     館です。
     それまでは長年"大洋映劇"を大映封切館として使わせて貰っていたのです
     が、東宝も松竹も東映もが自社所有の直営館展開をして来ているので、どう
     しても自前の封切館を持ちたかったのが本音です。

     さて、その"福岡大映"のオープンは、単に封切映画を上映するのでは大映
     の沽券に関わると、イベントを色々考えて出てきたのがトップスターのご挨拶
     でした。
     しかしスターのご挨拶はどこの映画会社もやっている事だから、舞台で何か
     特別なことをやってもらおう・・・を基本的に決めました。

     当時の大映スターでトップと言えば、長谷川一夫、京マチ子、山本富士子、
     若尾文子、市川雷蔵あたりで、勝ちゃんは「座頭市」「悪名」もまだ製作して
     いない状況でしたから候補から外しました。
     最終的に決まったのは、期日を8月1日と2日の2日間、お富士さんと雷ちゃ
     んに日本舞踊「神田祭」を踊ってもらうことと、その前座で川口浩に歌わせ、
     司会を京都撮影所の上田寛にやらせることになりました。

     さあそれからが大変で、映画館の舞台を本格的に踊れる舞台に作り直す事、
     音もテープという訳にはいかないので、地方さんは、永田社長が贔屓にして
     いる博多の券番に依頼、川口浩の歌も福岡で一番のバンドの手配とか、そ
     れはそれは大変でした。

     でも何とか準備が出来て俳優たちが福岡入り、前日は1日かけて綿密なリ
     ハーサルをやり、夜には地元マスコミだけではなく、これは面白いと東京か
     らも記者たちが来福していたので共同記者会見をやりました。

     肝心の舞台ですが、決して理想に遠い舞台づくりで無かったにもかかわらず、
     全員一生懸命務めてくれたせいもあり、二日間とも予想以上の観客が押しか
     け、苦労したけどこのイベントが成功したと祝杯を上げましたが、映画館の椅
     子最後列が5~6列、観客に押されて前方に倒されてしまい、修理など後始
     末が大変でした。

     そして、東京からわざわざきている記者たちのために、特別に組んだのが博
     多人形工房で雷ちゃん・お富士さんをモデルにした写真撮影でした。
     工房は"名人与一"と呼ばれた博多人形師・小島与一氏のところ。小島与一
     さんは火野葦平の小説「馬賊芸者」のモデルとなった人で、映画では与一役
     を高松英郎、相手の芸者役を京マチ子が演じて博多ロケを行なったという縁
     もあり撰んだものです。

     雷ちゃんは「炎上」の後だったので丸坊主のままでしたが、記者団にとても
     喜ばれたイベントだったし、劇場のイベントともども大成功に終わり、いつまで
     も私の頭から離れない出来事の一つになったのです。

     福岡大映は大映倒産時まで直営館として稼動しましたが、その後は松竹が
     買収、現在は映画と関係が無いビルになっています。
     いまこのイベントのことをブログに書くなんて夢にも思わなかったし、写真もほ
     とんど撮っていませんが、数少ない関連写真から当時の状況を想像していた
     だけると嬉しいです。

  
 ↑ 記者会見。左から川口・お富士さん・雷ちゃん・上田寛・進行は私。右は楽屋にて・・・。

        ↑ 小島与一さんの工房でポーズをとる雷ちゃんとお富士さん。
  
        ↑↓ 当日私が撮ったお富士さんです。ラストは私と。お互いに若かった・・・。
  

コメント (8)
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