前列左から近藤美恵子、一人置いて小田桐桂恵子、後列左から永田秀雅東京撮影所長、
池広利夫大映九州支社長、品川隆二、あとの方たちは市役所関係の方々。
今回はマイナーな話題ですが、関門(下関~門司)に触れたいと思います。
当時の邦画各社の九州支社テレトリーは沖縄を除く九州全体と、関門海峡を
越えて下関市のみが該当地でした。同じ山口県でも下関市以外は全て関西
支社の管轄なのです。
門司と下関の上映館はどちらも2番館で、福岡などの封切館より1~2週遅れ
ての公開でした。
門司も下関も直営館ではありませんでしたが、どちらも商売熱心な館主さんが
いて、私たちも極力応援体制を引いた記憶があります。特に「下関みなと劇場」
は、今村館主と野中支配人の息が合っていて見事な運営ぶりでした。
永田秀雅氏が東京撮影所長の時に若い俳優たち(品川隆二、藤田佳子、八潮
悠子)を引き連れてみなと劇場の舞台挨拶をしたこともありましたね。
藤田佳子(現在は作詞家・悠木圭子)の実家が三田尻(防府市)にあり、折角下
関まで来ているので実家に寄ろうと一緒に行ったこともありました。
品川隆二はその後東映に移籍しましたが、それでも私たちが京都に会議で来
ていることを知り、ひょっこり宿を訪ねてくれたりしたことがあり、人懐っこい人で
した。私たちはむ彼の本名、奥秋から"奥ちゃん"と呼んでましたが、今でも元気
だといいのですが・・・。
その当時・門司市と下関市が共同で関門まつり?みたいなことをやり、イベント
の柱として「ミス・関門」を選出することを計画、当選者を大映のニューフェースに
推挙する趣旨で、永田秀雅東京撮影所長・池広利夫九州支社長(池広監督の
父君)品川隆二・近藤美恵子・小田桐桂恵子が審査員として出席し、華々しく開
催されました。
大勢の応募者の中から栄冠を獲得したのは下記写真の方で、職業は当時国鉄
の車内販売員をされていた女性でしたが、色々悩んだ結果、女優になることを諦
めることになった涙の後日譚もありました。
一時売り出しかけた酒井修も下関の出身です。彼の後援会が下関で誕生するの
で、面倒をみてやって欲しいと勝ちゃんから頼まれ、後援会の発足会を下関みな
と劇場でやりました。
他ならぬ勝ちゃんの依頼ですから、私も出向いて司会進行ご挨拶までやったの
も遠い思い出です。
下関には大映後も変な縁があって、三年前ですが下関市の映画館「シアター・
ゼロ」(2スクリーン)の経営を1年間預かったことがあります。
見応えのある娯楽映画の上映をめざして再建一歩前まできましたが、家主との
大きな意見相違があって止むを得ず手を引きました。
実は私は会津若松の人間なので、この長州とは根本的に相容れないのだろう、
と思いながら下関を去ったのですが・・・。
PS:今年の大映会は、10月19日(土)に調布の角川大映スタジオで開催されるこ
とになる模様です。会場が懐かしい撮影所ですから、沢山の懐かしい顔
ぶれに会うことが出来るだろうと、今からとても楽しみです。
↑ 関門海峡の風にふかれて近藤美恵子
↑ ミス関門にはこの方が選ばれました。
↑ みなと劇場で藤田佳子、八潮悠子、品川隆二、永田秀雅氏などなど。
↑ みなと劇場今村館主、隣は長谷川待子と私。
↑ 下関みなと劇場で開催された酒井修の後援会発足会でした。