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農林部会長として
私は農林部会長になってから、自分自身に生まれた変化が幾つかあります。
先ず一つ目は、「天気」を今まで以上気にするようになりました。今も北海道、東北。石狩川も氾濫している。田んぼや畑も水浸し。今までだったら天気予報見た時に、直ぐに農業の方に頭が行かなかった。だけど今では、毎日の天気予報、そしてこういった台風、全ての天気に関して「あそこの産地、大丈夫かな?」。こういう発想が私に生まれたのは、農林部会長になってからの私の中での変化でした。
二つ目の変化は、「食」が変わりました。農林部会長なのに、トマト農家さんとこに行ってトマトが食べれないってマズイと思って。ナマのトマトが苦手だったんですけど、頑張って食べ続けていたら、美味しいとは思わないけど、食べられるようになった。大人になっても、35歳になっても、苦手なものは苦手。食が変わりましたね。最近、福島県の新しいミニトマト、これを食べた時に初めて美味しさを感じることが出来ました。また一歩、成長の段階を抜けたかなと。私はピーナッツも大好きで、よくビール飲むときに食べますけれども、千葉県の産地に行って、品種の違い、味の違い、ピーナッツの良し悪しも分かるようになりました。
そして地元、横須賀の農家さんで年間100種類以上の野菜・果物を作っているという、少量多品種で展開している農家さんのところを見たときに食べさせてもらった、ジェルパチコという野菜を初めて食べて、今では大好物は何ですかと言われたら、ジェルパチコというふうに答えられるくらい大好きな野菜というものが生まれました。ジェルパチコ、知らない方が多いかもしれませんが、時々、イタリアンレストランなどでルッコラという名前で出ているケースもよくある、ルッコラに似ている、そんな葉物の野菜。私はどんぶりでお代わりするくらい好きになりました。
三つ目の農林部会長になってからの変化は、オリンピックの見方さえ変わりました。バトミントンで銅メダルを取った女子シングル、奥原。私は翌朝の朝刊一面で奥原という名前を見た時に、農水省のトップの事務次官の名前じゃないか。ホントに農林関係しか分からないこと。奥原という名前を見てそんなことが思い浮かぶようになったのは、間違いなく、私だけでしょう。
そして卓球女子団体、石川佳純さん頑張りました。あの石川さんの活躍を見て私がすぐ思い浮かんだのは、石川さんの所属先は全農だということ。石川さんが卓球の新時代を築いたように、全農、新しい方向に頑張ってもらいたいと。石川スピリットで頑張ってほしい。そういった思いを持ったのも、おそらく卓球を見て私だけでしょう。
そして、閉会式で安倍総理が、スーパーマリオの格好で出てきました。あの閉会式の総理の姿を見て、農業に力を入れるという、農業改革に対する総理の意志だと受け取ったのも私だけでしょう。なぜなら、スーパーマリオというゲームの中身を知っていたなら分かるであろう、マリオはキノコを食べると大きくなる。キノコ農家の方、喜んだんじゃないかなと勝手に私は思いながら、あのマリオに扮した姿から、これからアベノミクス、農業改革が大事だぞ。そんな勝手な解釈が生まれるくらい、農林部会長になった立場で変化が、私の中で生まれたものとして相当大きい。
戦後農政の反省
そんな中で、今から少し農業のことをお話しさせていただきますけど、よく誤解されることがあるかも分りませんが、私は今までの農業を否定しているわけではありません。
私は今までの農業で特に評価している点は、戦後、食糧難の中でも、国民を飢えさせることなく、日本の長寿命な健康な国を築き、医食同源、日本の経済発展の礎を築いたのは、ひとり一人の命を支える「食」をしっかり作り上げてきた、この力というのは、間違いなく日本の農業関係者の皆さんの努力の賜物である。そしてそれと一緒になってやってきたJAグループ、行政とほぼ一体のカタチでやってきたその皆さん方の努力も、欠かすことの出来ない戦後の日本農業の大功労者であると思います。
しかし、その時代、一緒になってやってきた自民党、いわゆる農林族。その大先輩方の言葉の中に、率直な反省の言葉が最近よく聞かれるようになりました。山形県の自民党の大先輩、私の父とはYKKという仲で一緒に政治を歩んできた加藤紘一大先輩がいらっしゃいます。私が今でも忘れないのが、初当選してまだ自分がどこの部会で勉強しようか腰が定まってない時に、党本部の中のいろんな会合に顔を出して、農林部会にも顔を出しました。そしたら加藤紘一先生がいらっしゃって「おお、小泉君。君の地元、農業あるの?」、「はい。キャベツ、ダイコンがメインですけど」、「そうか。コメは無いよね」っていう会話を、今でも私はよく覚えています。「そうか、政治の世界ではコメが無いと相手にされないんだな。キャベツ、ダイコンじゃあダメなんだ」。そう思ったことをよく覚えてる。
その加藤紘一先生の言葉に、こういった言葉がある。「全ての農家を守ろうとして、全ての農家を守れなかった」、この言葉。そして、私が農林部会長になってからTPPの対策をすぐ纏めなくちゃいけない、そのタイミングでした。
そのTPP対策を纏める中で、決して20年前のウルグアイラウンドのような、公共事業のメインに金がいって、いったいそれが農業の発展にどこまで繋がったのかという批判を、今でも言われてしまうような、そういったイメージがついた二の舞を決して起こしてはいけないということで、その当時のことを知っている大先輩から直接話を聞こうと思って、党本部に来ていただいたのが谷津義男元農林大臣でした。
私が今、農林部会で一緒にご指導いただいている西川農林水産戦略調査会長に、こう言いました。「先生誰か、当時のウルグアイラウンドの対策の時、よく知っている人って、いま党内で誰かいらっしゃいますかね」、「そうだね、もう残ってないな。俺もその時政治家じゃなかったからね。谷津さんぐらいかな」って話になって、「先生、谷津さん、つないでいただくこと出来ますか」って言ったら、その場で西川先生が携帯をとって、「分かった、直ぐ電話する」。「ああ、ちょっと谷津先生。農林部会長の小泉さんがね、先生に来てもらいたい、話してもらいたいと言ってるんだけど、どうかな、ちょっと代わるね」といって代わってもらった。それで「TPP対策を纏めるにあたって、あの時の二の舞を起こしてはいけないと思って、大変僭越ですけど、当時の反省も含めて、当事者であった谷津先生からマスコミの前で直接その時のことを語っていただきたいと思っているのですが、いかがでしょうか」って言ったら、「小泉君ね、大失敗したんだよ私たちは。大失敗した。まさか、あんなに金が付くとは思わなかったんだよ。これから対策を作る中で、いいか、団体の云うことを聞き過ぎちゃダメだぞ」っていう言葉をいただいて、「ありがとうございます。党本部にお越しください。
それであの対策を作る中のヒヤリングで、谷津先生にお越しをいただき、そういった話を対外的にされて、そのことによって空気が変わった気がしました。あれが一つのターニングポイントだったんじゃないかなと思います。
今こういう先輩たちの話をした理由は、これからどういう農業の姿にしていきたいかを考えた時に、決して忘れてはいけないことは、今まで様々な反省や後悔がありながも、歯を食いしばって必死で、日本の食を支えるための農業に力を尽くしてきた方々に対して、感謝と敬意を持ちながらも、その当事者であった方々が反省の弁を述べていることも生かさなきゃいかんと思ってる。
農業の衰退
私は昨日、ある新聞を読んだら、象徴的な言葉に出会いました。80歳の農家の方のこういうコメンントでした。「今の安倍政権の進める、攻めの農政というものに反対である」。その後の言葉が私は象徴的だと思う。こういうことだ。「儲からないのが、農業なんだ。攻めろといったって、そんなの無理なのは決まっている」。儲からないのが農業なんだという理解が農業の世界にあるとしたら、正直言って絶望的だ。なぜなら、儲からないのを前提に農業をやらなきゃいけないとしたら、頑張っている人は報われない。
今まで戦後の日本は、JAグループを中心に、競争よりも共同。突出することはよくないとして、美味いコメがあっても、マズイコメがあっても、全部一緒にして、国民の胃袋を満たすために、全国津々浦々隅々まで流さなきゃいけない。野菜もお肉も、果物も、そう。飢えることなく、全国隅々まで流さなきゃいけないから、出来たのは何かというと、全国に整備された卸売市場が出来た。
その結果、農家の皆さんは、どんなものが消費者から求められているかを考える前に、まずは作る、そして農協に出す、農協は市場に出す。しかし市場に出して、幾らになるかは分からない。こういうやり方は、食糧が足りない時代には良かった。しかし今、どういう時代になったかというと、食べ物が余ることが問題な時代になった。そういう時代に、何故、食糧難の時代のシステムのまま、これからも農業をやり続けることが農業の発展に繋がるのか。私は全く理解が出来ない。
仮に、この制度が上手くいってるとしたら、そのまま行けばいいでしょう。しかし、数字を全部見れば、全て右肩下がり。農業の総産出額は20年前のウルグアイラウンドの時と比べて、当時11兆円であったのが今は8兆円、農家の総所得5兆円だったのが今は2兆円、そして耕作放棄地は50万ヘクタールに増え、農家の皆さんの平均年齢は67歳、コメ農家の皆さんの平均年齢は70歳。5年後、誰が田んぼに出るんですか。10年後、人は居るんですか。
この数字を全部見たうえで、もう一つ見て欲しいのが農水省の在り方です。35年前、私が生まれたのは1981年ですから35年前です。その時の農水省の官僚の数は約7万人、今は2万2千人で3分の1以下の組織になりました。そして35年前の農水省予算は3.67兆円、今は2.3兆円。約1.3兆円くらい減っている。数字は右肩下がり。私は別に役所がスリム化されることは、悪いことではないと思っている、そのこと自体はいいんです。しかし、このように、どこを取ってみたって、このままでやっていけるという理屈が成り立つ方が難しいデータを見ていても、それでも根本的に変わりたくないというのは何なんだ。
儲かる農業
私がぶつかっているところというのは、さっきの農家さんの言葉に表されている。「儲からないのが農業だ、儲からないのが当たり前」と言う方に、「儲かるんだ」と示さなきゃいけない。これからそれを一つひとつやっていくために、私が何をやろうと思っているのか。
一つは、日本だけを見ていたら、農業は衰退の一途をたどります。輸出です。世界を見なきゃダメです。
今、日本は輸出の目標を、2020年の農林水産物輸出目標1兆円を1年前倒しして、2019年に達成するという目標を新たに建てました。しかし、輸出の現状を見れば見るほど、日本は農林水産物の輸出途上国です。今、輸出が7千億円、輸出が右肩上がりに進んでいるとしてたけど、最近、鈍ってきたという報道がありました。今、最も農林水産物で輸出を稼いでいるのは何か。ホタテ。ホタテ貝が伸びると輸出額が伸びる。ホタテが伸びないと輸出額は伸びない。ホタテの一本足打法から、脱却しなきゃいけない。そういったところも、見れば見るほど甘い。
そして、何処でも好きなように、外にモノが出せるわけじゃありません。どうやって食べ物が作られているか、生産工程が管理されているかいないかによっても、日本から外国に出せるか出せないかが決まってきます。その国際的な認証のことを、ハサップといいます。EUは、ハサップは義務化。それ取ってなければ出せない。アメリカは、来月から義務化。それ取ってなければ出せない。中国は、自分たち独自でチャイナ・ハサップというものを作った。中国らしいですね。日本は、義務化の方向で検討会が今進んでいる。検討、日本らしいですね。
このことによって何が起きるか。本来、出せるはずのものが出せないんですから。EU義務化、アメリカ義務化、中国も義務化。日本は義務じゃない。例えば日本から、美味しい和牛をアメリカに出したい。そうなっても、アメリカが指定をしたハサップを取っている屠畜場で処理された牛でなければ出せない。神戸ビーフ、アメリカで一番有名な日本の和牛です。神戸ビーフが、神戸港からアメリカに行ってる、と思うのが普通だと思うけど、そうはいかない。神戸ビーフは、鹿児島まで持ってって、鹿児島からしか出せないんです。これじゃあ、いくら作ったって、輸出で稼ぐことなんか出来やしない。私の地元の葉山牛だって、横浜港から出せるか。出せない。
だからこれからそういった拠点をしっかりと整備して、そして食べ物を作るというその工程管理も、業者の皆さん、生産者の皆さん、そういった意識で世界を見てもらわなかったら。日本は人口が減りますから、これから国内の需要はどんどん減る。だから世界を取らなきゃいけない。この輸出も、これからしっかり取り組んで行きます。
農林部会長として
私は農林部会長になってから、自分自身に生まれた変化が幾つかあります。
先ず一つ目は、「天気」を今まで以上気にするようになりました。今も北海道、東北。石狩川も氾濫している。田んぼや畑も水浸し。今までだったら天気予報見た時に、直ぐに農業の方に頭が行かなかった。だけど今では、毎日の天気予報、そしてこういった台風、全ての天気に関して「あそこの産地、大丈夫かな?」。こういう発想が私に生まれたのは、農林部会長になってからの私の中での変化でした。
二つ目の変化は、「食」が変わりました。農林部会長なのに、トマト農家さんとこに行ってトマトが食べれないってマズイと思って。ナマのトマトが苦手だったんですけど、頑張って食べ続けていたら、美味しいとは思わないけど、食べられるようになった。大人になっても、35歳になっても、苦手なものは苦手。食が変わりましたね。最近、福島県の新しいミニトマト、これを食べた時に初めて美味しさを感じることが出来ました。また一歩、成長の段階を抜けたかなと。私はピーナッツも大好きで、よくビール飲むときに食べますけれども、千葉県の産地に行って、品種の違い、味の違い、ピーナッツの良し悪しも分かるようになりました。
そして地元、横須賀の農家さんで年間100種類以上の野菜・果物を作っているという、少量多品種で展開している農家さんのところを見たときに食べさせてもらった、ジェルパチコという野菜を初めて食べて、今では大好物は何ですかと言われたら、ジェルパチコというふうに答えられるくらい大好きな野菜というものが生まれました。ジェルパチコ、知らない方が多いかもしれませんが、時々、イタリアンレストランなどでルッコラという名前で出ているケースもよくある、ルッコラに似ている、そんな葉物の野菜。私はどんぶりでお代わりするくらい好きになりました。
三つ目の農林部会長になってからの変化は、オリンピックの見方さえ変わりました。バトミントンで銅メダルを取った女子シングル、奥原。私は翌朝の朝刊一面で奥原という名前を見た時に、農水省のトップの事務次官の名前じゃないか。ホントに農林関係しか分からないこと。奥原という名前を見てそんなことが思い浮かぶようになったのは、間違いなく、私だけでしょう。
そして卓球女子団体、石川佳純さん頑張りました。あの石川さんの活躍を見て私がすぐ思い浮かんだのは、石川さんの所属先は全農だということ。石川さんが卓球の新時代を築いたように、全農、新しい方向に頑張ってもらいたいと。石川スピリットで頑張ってほしい。そういった思いを持ったのも、おそらく卓球を見て私だけでしょう。
そして、閉会式で安倍総理が、スーパーマリオの格好で出てきました。あの閉会式の総理の姿を見て、農業に力を入れるという、農業改革に対する総理の意志だと受け取ったのも私だけでしょう。なぜなら、スーパーマリオというゲームの中身を知っていたなら分かるであろう、マリオはキノコを食べると大きくなる。キノコ農家の方、喜んだんじゃないかなと勝手に私は思いながら、あのマリオに扮した姿から、これからアベノミクス、農業改革が大事だぞ。そんな勝手な解釈が生まれるくらい、農林部会長になった立場で変化が、私の中で生まれたものとして相当大きい。
戦後農政の反省
そんな中で、今から少し農業のことをお話しさせていただきますけど、よく誤解されることがあるかも分りませんが、私は今までの農業を否定しているわけではありません。
私は今までの農業で特に評価している点は、戦後、食糧難の中でも、国民を飢えさせることなく、日本の長寿命な健康な国を築き、医食同源、日本の経済発展の礎を築いたのは、ひとり一人の命を支える「食」をしっかり作り上げてきた、この力というのは、間違いなく日本の農業関係者の皆さんの努力の賜物である。そしてそれと一緒になってやってきたJAグループ、行政とほぼ一体のカタチでやってきたその皆さん方の努力も、欠かすことの出来ない戦後の日本農業の大功労者であると思います。
しかし、その時代、一緒になってやってきた自民党、いわゆる農林族。その大先輩方の言葉の中に、率直な反省の言葉が最近よく聞かれるようになりました。山形県の自民党の大先輩、私の父とはYKKという仲で一緒に政治を歩んできた加藤紘一大先輩がいらっしゃいます。私が今でも忘れないのが、初当選してまだ自分がどこの部会で勉強しようか腰が定まってない時に、党本部の中のいろんな会合に顔を出して、農林部会にも顔を出しました。そしたら加藤紘一先生がいらっしゃって「おお、小泉君。君の地元、農業あるの?」、「はい。キャベツ、ダイコンがメインですけど」、「そうか。コメは無いよね」っていう会話を、今でも私はよく覚えています。「そうか、政治の世界ではコメが無いと相手にされないんだな。キャベツ、ダイコンじゃあダメなんだ」。そう思ったことをよく覚えてる。
その加藤紘一先生の言葉に、こういった言葉がある。「全ての農家を守ろうとして、全ての農家を守れなかった」、この言葉。そして、私が農林部会長になってからTPPの対策をすぐ纏めなくちゃいけない、そのタイミングでした。
そのTPP対策を纏める中で、決して20年前のウルグアイラウンドのような、公共事業のメインに金がいって、いったいそれが農業の発展にどこまで繋がったのかという批判を、今でも言われてしまうような、そういったイメージがついた二の舞を決して起こしてはいけないということで、その当時のことを知っている大先輩から直接話を聞こうと思って、党本部に来ていただいたのが谷津義男元農林大臣でした。
私が今、農林部会で一緒にご指導いただいている西川農林水産戦略調査会長に、こう言いました。「先生誰か、当時のウルグアイラウンドの対策の時、よく知っている人って、いま党内で誰かいらっしゃいますかね」、「そうだね、もう残ってないな。俺もその時政治家じゃなかったからね。谷津さんぐらいかな」って話になって、「先生、谷津さん、つないでいただくこと出来ますか」って言ったら、その場で西川先生が携帯をとって、「分かった、直ぐ電話する」。「ああ、ちょっと谷津先生。農林部会長の小泉さんがね、先生に来てもらいたい、話してもらいたいと言ってるんだけど、どうかな、ちょっと代わるね」といって代わってもらった。それで「TPP対策を纏めるにあたって、あの時の二の舞を起こしてはいけないと思って、大変僭越ですけど、当時の反省も含めて、当事者であった谷津先生からマスコミの前で直接その時のことを語っていただきたいと思っているのですが、いかがでしょうか」って言ったら、「小泉君ね、大失敗したんだよ私たちは。大失敗した。まさか、あんなに金が付くとは思わなかったんだよ。これから対策を作る中で、いいか、団体の云うことを聞き過ぎちゃダメだぞ」っていう言葉をいただいて、「ありがとうございます。党本部にお越しください。
それであの対策を作る中のヒヤリングで、谷津先生にお越しをいただき、そういった話を対外的にされて、そのことによって空気が変わった気がしました。あれが一つのターニングポイントだったんじゃないかなと思います。
今こういう先輩たちの話をした理由は、これからどういう農業の姿にしていきたいかを考えた時に、決して忘れてはいけないことは、今まで様々な反省や後悔がありながも、歯を食いしばって必死で、日本の食を支えるための農業に力を尽くしてきた方々に対して、感謝と敬意を持ちながらも、その当事者であった方々が反省の弁を述べていることも生かさなきゃいかんと思ってる。
農業の衰退
私は昨日、ある新聞を読んだら、象徴的な言葉に出会いました。80歳の農家の方のこういうコメンントでした。「今の安倍政権の進める、攻めの農政というものに反対である」。その後の言葉が私は象徴的だと思う。こういうことだ。「儲からないのが、農業なんだ。攻めろといったって、そんなの無理なのは決まっている」。儲からないのが農業なんだという理解が農業の世界にあるとしたら、正直言って絶望的だ。なぜなら、儲からないのを前提に農業をやらなきゃいけないとしたら、頑張っている人は報われない。
今まで戦後の日本は、JAグループを中心に、競争よりも共同。突出することはよくないとして、美味いコメがあっても、マズイコメがあっても、全部一緒にして、国民の胃袋を満たすために、全国津々浦々隅々まで流さなきゃいけない。野菜もお肉も、果物も、そう。飢えることなく、全国隅々まで流さなきゃいけないから、出来たのは何かというと、全国に整備された卸売市場が出来た。
その結果、農家の皆さんは、どんなものが消費者から求められているかを考える前に、まずは作る、そして農協に出す、農協は市場に出す。しかし市場に出して、幾らになるかは分からない。こういうやり方は、食糧が足りない時代には良かった。しかし今、どういう時代になったかというと、食べ物が余ることが問題な時代になった。そういう時代に、何故、食糧難の時代のシステムのまま、これからも農業をやり続けることが農業の発展に繋がるのか。私は全く理解が出来ない。
仮に、この制度が上手くいってるとしたら、そのまま行けばいいでしょう。しかし、数字を全部見れば、全て右肩下がり。農業の総産出額は20年前のウルグアイラウンドの時と比べて、当時11兆円であったのが今は8兆円、農家の総所得5兆円だったのが今は2兆円、そして耕作放棄地は50万ヘクタールに増え、農家の皆さんの平均年齢は67歳、コメ農家の皆さんの平均年齢は70歳。5年後、誰が田んぼに出るんですか。10年後、人は居るんですか。
この数字を全部見たうえで、もう一つ見て欲しいのが農水省の在り方です。35年前、私が生まれたのは1981年ですから35年前です。その時の農水省の官僚の数は約7万人、今は2万2千人で3分の1以下の組織になりました。そして35年前の農水省予算は3.67兆円、今は2.3兆円。約1.3兆円くらい減っている。数字は右肩下がり。私は別に役所がスリム化されることは、悪いことではないと思っている、そのこと自体はいいんです。しかし、このように、どこを取ってみたって、このままでやっていけるという理屈が成り立つ方が難しいデータを見ていても、それでも根本的に変わりたくないというのは何なんだ。
儲かる農業
私がぶつかっているところというのは、さっきの農家さんの言葉に表されている。「儲からないのが農業だ、儲からないのが当たり前」と言う方に、「儲かるんだ」と示さなきゃいけない。これからそれを一つひとつやっていくために、私が何をやろうと思っているのか。
一つは、日本だけを見ていたら、農業は衰退の一途をたどります。輸出です。世界を見なきゃダメです。
今、日本は輸出の目標を、2020年の農林水産物輸出目標1兆円を1年前倒しして、2019年に達成するという目標を新たに建てました。しかし、輸出の現状を見れば見るほど、日本は農林水産物の輸出途上国です。今、輸出が7千億円、輸出が右肩上がりに進んでいるとしてたけど、最近、鈍ってきたという報道がありました。今、最も農林水産物で輸出を稼いでいるのは何か。ホタテ。ホタテ貝が伸びると輸出額が伸びる。ホタテが伸びないと輸出額は伸びない。ホタテの一本足打法から、脱却しなきゃいけない。そういったところも、見れば見るほど甘い。
そして、何処でも好きなように、外にモノが出せるわけじゃありません。どうやって食べ物が作られているか、生産工程が管理されているかいないかによっても、日本から外国に出せるか出せないかが決まってきます。その国際的な認証のことを、ハサップといいます。EUは、ハサップは義務化。それ取ってなければ出せない。アメリカは、来月から義務化。それ取ってなければ出せない。中国は、自分たち独自でチャイナ・ハサップというものを作った。中国らしいですね。日本は、義務化の方向で検討会が今進んでいる。検討、日本らしいですね。
このことによって何が起きるか。本来、出せるはずのものが出せないんですから。EU義務化、アメリカ義務化、中国も義務化。日本は義務じゃない。例えば日本から、美味しい和牛をアメリカに出したい。そうなっても、アメリカが指定をしたハサップを取っている屠畜場で処理された牛でなければ出せない。神戸ビーフ、アメリカで一番有名な日本の和牛です。神戸ビーフが、神戸港からアメリカに行ってる、と思うのが普通だと思うけど、そうはいかない。神戸ビーフは、鹿児島まで持ってって、鹿児島からしか出せないんです。これじゃあ、いくら作ったって、輸出で稼ぐことなんか出来やしない。私の地元の葉山牛だって、横浜港から出せるか。出せない。
だからこれからそういった拠点をしっかりと整備して、そして食べ物を作るというその工程管理も、業者の皆さん、生産者の皆さん、そういった意識で世界を見てもらわなかったら。日本は人口が減りますから、これから国内の需要はどんどん減る。だから世界を取らなきゃいけない。この輸出も、これからしっかり取り組んで行きます。