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vol.222の続編。第四弾となり全④回続きます。
この講演に限っては、農業のこれからに関心を示してもらえるものと思い長時間の文字起こし、議員全員に対して「全文入り用の方は申し出を」としてきたが、農業特区調査特別委員会委員をはじめ誰一人として要望は見事になかった。あの時ほど虚しさ感を覚えたことはなかった。議長レポート発行は、一人パフォーマンスと映ってたのかなぁ。
(文責:勝地、本題に入る掴みの部分はここでは省略、小見出しは勝地)
自由民主党農林部会長 小泉進次郎 氏 講演詳報
~ 2020年以降の日本の行方 ~
一般社団法人内外情勢調査会 〈8月全国懇談会〉
ホテルニューオータニ東京 2016年8月25日
農業への思い
私は、農林部会長になるということは、全く自分でも予想してなかった。去年、当時の稲田政調会長から声を掛けられて「農林部会長、よろしく」と言われた時は、正直言って私の第一声は「ジョークですよね」と言いました。「何言ってるのよ、ジョークじゃないわよ」、「なんで僕がソコに行くんですか」、「一番大変だからよ」。
そういったこともあって今に至りますが、そのころに遡ると、私と農業関係者の関係というのは、非常に複雑です。今日私の前のテーブルに、農林中金の小森常務がいる。そして途中で私が握手したのは、神奈川県の農協の幹部、大変お世話になった……さん。私は野党時代から「TPP交渉に即参加すべきだ」と、ずっとそれを言ってきました。そういったこともあって、野党の時から、農協の中央会からは推薦が貰えなかった。
これはどういった手続きがあるかというと、県の中央会に呼ばれる、そして推薦が必要だったらコレにサインしてくれと言われる。そのサインをしてくれと言われる紙の中には「TPP交渉参加、断固反対!」、これが書いてある。私は出来なかった。コレにサインをして、自民党が与党になったときTPPに参加すると私は思ってましたから。そしたら「あの時書いたじゃないか」、そしたら間違いなく信頼は失われる。
だから、今後のこと考えたらココでサインをする訳にはいかないと思って、「今日はこれでお別れしましょう。農業のことは大切だから、私は私なりに頑張りますけど、今日、コレにはサイン出来ません」。それで推薦が貰えなかった。
しかし、そのあと地元に戻って何が起こったか。地元の農協が「TPPでは小泉さんとは考え方合わないけど、農業はTPPだけじゃない。税制のこと、都市農業のこと、TPPとは関係ない様々な課題。そこの部分で農業に対する思いをもって取り組んでいることは良く分かるから、中央会は小泉さんを推薦公認しないと思うけど、私たちは独自に支援をします」。
これがあるから、私がいま農林部会長に予想せずになった立場で一番大切に思っているのは、農協団体じゃない。団体栄えて、農業滅びる。団体栄えて、農家が泣く。こんなことは絶対あってはならない。
だから私は、今の自分があるのは、野党の時代から大きな施策で考え方が合わなかったにも関わらず、それでも、支えてくれた草の根で頑張っている農家に皆さんの為に何が出来るか、それを貫いて農林部会長として全力を尽くそう。そういった思いで一期目を取組み、今日から二期目の新たなスタートになりました。
農林部会長として
私は農林部会長になってから、自分自身に生まれた変化が幾つかあります。
先ず一つ目は、「天気」を今まで以上気にするようになりました。今も北海道、東北。石狩川も氾濫している。田んぼや畑も水浸し。今までだったら天気予報見た時に、直ぐに農業の方に頭が行かなかった。だけど今では、毎日の天気予報、そしてこういった台風、全ての天気に関して「あそこの産地、大丈夫かな?」。こういう発想が私に生まれたのは、農林部会長になってからの私の中での変化でした。
二つ目の変化は、「食」が変わりました。農林部会長なのに、トマト農家さんとこに行ってトマトが食べれないってマズイと思って。ナマのトマトが苦手だったんですけど、頑張って食べ続けていたら、美味しいとは思わないけど、食べられるようになった。大人になっても、35歳になっても、苦手なものは苦手。食が変わりましたね。最近、福島県の新しいミニトマト、これを食べた時に初めて美味しさを感じることが出来ました。また一歩、成長の段階を抜けたかなと。私はピーナッツも大好きで、よくビール飲むときに食べますけれども、千葉県の産地に行って、品種の違い、味の違い、ピーナッツの良し悪しも分かるようになりました。
そして地元、横須賀の農家さんで年間100種類以上の野菜・果物を作っているという、少量多品種で展開している農家さんのところを見たときに食べさせてもらった、ジェルパチコという野菜を初めて食べて、今では大好物は何ですかと言われたら、ジェルパチコというふうに答えられるくらい大好きな野菜というものが生まれました。ジェルパチコ、知らない方が多いかもしれませんが、時々、イタリアンレストランなどでルッコラという名前で出ているケースもよくある、ルッコラに似ている、そんな葉物の野菜。私はどんぶりでお代わりするくらい好きになりました。
三つ目の農林部会長になってからの変化は、オリンピックの見方さえ変わりました。バトミントンで銅メダルを取った女子シングル、奥原。私は翌朝の朝刊一面で奥原という名前を見た時に、農水省のトップの事務次官の名前じゃないか。ホントに農林関係しか分からないこと。奥原という名前を見てそんなことが思い浮かぶようになったのは、間違いなく、私だけでしょう。
そして卓球女子団体、石川佳純さん頑張りました。あの石川さんの活躍を見て私がすぐ思い浮かんだのは、石川さんの所属先は全農だということ。石川さんが卓球の新時代を築いたように、全農、新しい方向に頑張ってもらいたいと。石川スピリットで頑張ってほしい。そういった思いを持ったのも、おそらく卓球を見て私だけでしょう。
そして、閉会式で安倍総理が、スーパーマリオの格好で出てきました。あの閉会式の総理の姿を見て、農業に力を入れるという、農業改革に対する総理の意志だと受け取ったのも私だけでしょう。なぜなら、スーパーマリオというゲームの中身を知っていたなら分かるであろう、マリオはキノコを食べると大きくなる。キノコ農家の方、喜んだんじゃないかなと勝手に私は思いながら、あのマリオに扮した姿から、これからアベノミクス、農業改革が大事だぞ。そんな勝手な解釈が生まれるくらい、農林部会長になった立場で変化が、私の中で生まれたものとして相当大きい。
戦後農政の反省
そんな中で、今から少し農業のことをお話しさせていただきますけど、よく誤解されることがあるかも分りませんが、私は今までの農業を否定しているわけではありません。
私は今までの農業で特に評価している点は、戦後、食糧難の中でも、国民を飢えさせることなく、日本の長寿命な健康な国を築き、医食同源、日本の経済発展の礎を築いたのは、ひとり一人の命を支える「食」をしっかり作り上げてきた、この力というのは、間違いなく日本の農業関係者の皆さんの努力の賜物である。そしてそれと一緒になってやってきたJAグループ、行政とほぼ一体のカタチでやってきたその皆さん方の努力も、欠かすことの出来ない戦後の日本農業の大功労者であると思います。
しかし、その時代、一緒になってやってきた自民党、いわゆる農林族。その大先輩方の言葉の中に、率直な反省の言葉が最近よく聞かれるようになりました。山形県の自民党の大先輩、私の父とはYKKという仲で一緒に政治を歩んできた加藤紘一大先輩がいらっしゃいます。私が今でも忘れないのが、初当選してまだ自分がどこの部会で勉強しようか腰が定まってない時に、党本部の中のいろんな会合に顔を出して、農林部会にも顔を出しました。そしたら加藤紘一先生がいらっしゃって「おお、小泉君。君の地元、農業あるの?」、「はい。キャベツ、ダイコンがメインですけど」、「そうか。コメは無いよね」っていう会話を、今でも私はよく覚えています。「そうか、政治の世界ではコメが無いと相手にされないんだな。キャベツ、ダイコンじゃあダメなんだ」。そう思ったことをよく覚えてる。
その加藤紘一先生の言葉に、こういった言葉がある。「全ての農家を守ろうとして、全ての農家を守れなかった」、この言葉。そして、私が農林部会長になってからTPPの対策をすぐ纏めなくちゃいけない、そのタイミングでした。
そのTPP対策を纏める中で、決して20年前のウルグアイラウンドのような、公共事業のメインに金がいって、いったいそれが農業の発展にどこまで繋がったのかという批判を、今でも言われてしまうような、そういったイメージがついた二の舞を決して起こしてはいけないということで、その当時のことを知っている大先輩から直接話を聞こうと思って、党本部に来ていただいたのが谷津義男元農林大臣でした。
私が今、農林部会で一緒にご指導いただいている西川農林水産戦略調査会長に、こう言いました。「先生誰か、当時のウルグアイラウンドの対策の時、よく知っている人って、いま党内で誰かいらっしゃいますかね」、「そうだね、もう残ってないな。俺もその時政治家じゃなかったからね。谷津さんぐらいかな」って話になって、「先生、谷津さん、つないでいただくこと出来ますか」って言ったら、その場で西川先生が携帯をとって、「分かった、直ぐ電話する」。「ああ、ちょっと谷津先生。農林部会長の小泉さんがね、先生に来てもらいたい、話してもらいたいと言ってるんだけど、どうかな、ちょっと代わるね」といって代わってもらった。それで「TPP対策を纏めるにあたって、あの時の二の舞を起こしてはいけないと思って、大変僭越ですけど、当時の反省も含めて、当事者であった谷津先生からマスコミの前で直接その時のことを語っていただきたいと思っているのですが、いかがでしょうか」って言ったら、「小泉君ね、大失敗したんだよ私たちは。大失敗した。まさか、あんなに金が付くとは思わなかったんだよ。これから対策を作る中で、いいか、団体の云うことを聞き過ぎちゃダメだぞ」っていう言葉をいただいて、「ありがとうございます。党本部にお越しください。
それであの対策を作る中のヒヤリングで、谷津先生にお越しをいただき、そういった話を対外的にされて、そのことによって空気が変わった気がしました。あれが一つのターニングポイントだったんじゃないかなと思います。
今こういう先輩たちの話をした理由は、これからどういう農業の姿にしていきたいかを考えた時に、決して忘れてはいけないことは、今まで様々な反省や後悔がありながも、歯を食いしばって必死で、日本の食を支えるための農業に力を尽くしてきた方々に対して、感謝と敬意を持ちながらも、その当事者であった方々が反省の弁を述べていることも生かさなきゃいかんと思ってる。
(つづく)
*誤変換及び文章の瑕疵は後ほど推敲します。
vol.222の続編。第四弾となり全④回続きます。
この講演に限っては、農業のこれからに関心を示してもらえるものと思い長時間の文字起こし、議員全員に対して「全文入り用の方は申し出を」としてきたが、農業特区調査特別委員会委員をはじめ誰一人として要望は見事になかった。あの時ほど虚しさ感を覚えたことはなかった。議長レポート発行は、一人パフォーマンスと映ってたのかなぁ。
(文責:勝地、本題に入る掴みの部分はここでは省略、小見出しは勝地)
自由民主党農林部会長 小泉進次郎 氏 講演詳報
~ 2020年以降の日本の行方 ~
一般社団法人内外情勢調査会 〈8月全国懇談会〉
ホテルニューオータニ東京 2016年8月25日
農業への思い
私は、農林部会長になるということは、全く自分でも予想してなかった。去年、当時の稲田政調会長から声を掛けられて「農林部会長、よろしく」と言われた時は、正直言って私の第一声は「ジョークですよね」と言いました。「何言ってるのよ、ジョークじゃないわよ」、「なんで僕がソコに行くんですか」、「一番大変だからよ」。
そういったこともあって今に至りますが、そのころに遡ると、私と農業関係者の関係というのは、非常に複雑です。今日私の前のテーブルに、農林中金の小森常務がいる。そして途中で私が握手したのは、神奈川県の農協の幹部、大変お世話になった……さん。私は野党時代から「TPP交渉に即参加すべきだ」と、ずっとそれを言ってきました。そういったこともあって、野党の時から、農協の中央会からは推薦が貰えなかった。
これはどういった手続きがあるかというと、県の中央会に呼ばれる、そして推薦が必要だったらコレにサインしてくれと言われる。そのサインをしてくれと言われる紙の中には「TPP交渉参加、断固反対!」、これが書いてある。私は出来なかった。コレにサインをして、自民党が与党になったときTPPに参加すると私は思ってましたから。そしたら「あの時書いたじゃないか」、そしたら間違いなく信頼は失われる。
だから、今後のこと考えたらココでサインをする訳にはいかないと思って、「今日はこれでお別れしましょう。農業のことは大切だから、私は私なりに頑張りますけど、今日、コレにはサイン出来ません」。それで推薦が貰えなかった。
しかし、そのあと地元に戻って何が起こったか。地元の農協が「TPPでは小泉さんとは考え方合わないけど、農業はTPPだけじゃない。税制のこと、都市農業のこと、TPPとは関係ない様々な課題。そこの部分で農業に対する思いをもって取り組んでいることは良く分かるから、中央会は小泉さんを推薦公認しないと思うけど、私たちは独自に支援をします」。
これがあるから、私がいま農林部会長に予想せずになった立場で一番大切に思っているのは、農協団体じゃない。団体栄えて、農業滅びる。団体栄えて、農家が泣く。こんなことは絶対あってはならない。
だから私は、今の自分があるのは、野党の時代から大きな施策で考え方が合わなかったにも関わらず、それでも、支えてくれた草の根で頑張っている農家に皆さんの為に何が出来るか、それを貫いて農林部会長として全力を尽くそう。そういった思いで一期目を取組み、今日から二期目の新たなスタートになりました。
農林部会長として
私は農林部会長になってから、自分自身に生まれた変化が幾つかあります。
先ず一つ目は、「天気」を今まで以上気にするようになりました。今も北海道、東北。石狩川も氾濫している。田んぼや畑も水浸し。今までだったら天気予報見た時に、直ぐに農業の方に頭が行かなかった。だけど今では、毎日の天気予報、そしてこういった台風、全ての天気に関して「あそこの産地、大丈夫かな?」。こういう発想が私に生まれたのは、農林部会長になってからの私の中での変化でした。
二つ目の変化は、「食」が変わりました。農林部会長なのに、トマト農家さんとこに行ってトマトが食べれないってマズイと思って。ナマのトマトが苦手だったんですけど、頑張って食べ続けていたら、美味しいとは思わないけど、食べられるようになった。大人になっても、35歳になっても、苦手なものは苦手。食が変わりましたね。最近、福島県の新しいミニトマト、これを食べた時に初めて美味しさを感じることが出来ました。また一歩、成長の段階を抜けたかなと。私はピーナッツも大好きで、よくビール飲むときに食べますけれども、千葉県の産地に行って、品種の違い、味の違い、ピーナッツの良し悪しも分かるようになりました。
そして地元、横須賀の農家さんで年間100種類以上の野菜・果物を作っているという、少量多品種で展開している農家さんのところを見たときに食べさせてもらった、ジェルパチコという野菜を初めて食べて、今では大好物は何ですかと言われたら、ジェルパチコというふうに答えられるくらい大好きな野菜というものが生まれました。ジェルパチコ、知らない方が多いかもしれませんが、時々、イタリアンレストランなどでルッコラという名前で出ているケースもよくある、ルッコラに似ている、そんな葉物の野菜。私はどんぶりでお代わりするくらい好きになりました。
三つ目の農林部会長になってからの変化は、オリンピックの見方さえ変わりました。バトミントンで銅メダルを取った女子シングル、奥原。私は翌朝の朝刊一面で奥原という名前を見た時に、農水省のトップの事務次官の名前じゃないか。ホントに農林関係しか分からないこと。奥原という名前を見てそんなことが思い浮かぶようになったのは、間違いなく、私だけでしょう。
そして卓球女子団体、石川佳純さん頑張りました。あの石川さんの活躍を見て私がすぐ思い浮かんだのは、石川さんの所属先は全農だということ。石川さんが卓球の新時代を築いたように、全農、新しい方向に頑張ってもらいたいと。石川スピリットで頑張ってほしい。そういった思いを持ったのも、おそらく卓球を見て私だけでしょう。
そして、閉会式で安倍総理が、スーパーマリオの格好で出てきました。あの閉会式の総理の姿を見て、農業に力を入れるという、農業改革に対する総理の意志だと受け取ったのも私だけでしょう。なぜなら、スーパーマリオというゲームの中身を知っていたなら分かるであろう、マリオはキノコを食べると大きくなる。キノコ農家の方、喜んだんじゃないかなと勝手に私は思いながら、あのマリオに扮した姿から、これからアベノミクス、農業改革が大事だぞ。そんな勝手な解釈が生まれるくらい、農林部会長になった立場で変化が、私の中で生まれたものとして相当大きい。
戦後農政の反省
そんな中で、今から少し農業のことをお話しさせていただきますけど、よく誤解されることがあるかも分りませんが、私は今までの農業を否定しているわけではありません。
私は今までの農業で特に評価している点は、戦後、食糧難の中でも、国民を飢えさせることなく、日本の長寿命な健康な国を築き、医食同源、日本の経済発展の礎を築いたのは、ひとり一人の命を支える「食」をしっかり作り上げてきた、この力というのは、間違いなく日本の農業関係者の皆さんの努力の賜物である。そしてそれと一緒になってやってきたJAグループ、行政とほぼ一体のカタチでやってきたその皆さん方の努力も、欠かすことの出来ない戦後の日本農業の大功労者であると思います。
しかし、その時代、一緒になってやってきた自民党、いわゆる農林族。その大先輩方の言葉の中に、率直な反省の言葉が最近よく聞かれるようになりました。山形県の自民党の大先輩、私の父とはYKKという仲で一緒に政治を歩んできた加藤紘一大先輩がいらっしゃいます。私が今でも忘れないのが、初当選してまだ自分がどこの部会で勉強しようか腰が定まってない時に、党本部の中のいろんな会合に顔を出して、農林部会にも顔を出しました。そしたら加藤紘一先生がいらっしゃって「おお、小泉君。君の地元、農業あるの?」、「はい。キャベツ、ダイコンがメインですけど」、「そうか。コメは無いよね」っていう会話を、今でも私はよく覚えています。「そうか、政治の世界ではコメが無いと相手にされないんだな。キャベツ、ダイコンじゃあダメなんだ」。そう思ったことをよく覚えてる。
その加藤紘一先生の言葉に、こういった言葉がある。「全ての農家を守ろうとして、全ての農家を守れなかった」、この言葉。そして、私が農林部会長になってからTPPの対策をすぐ纏めなくちゃいけない、そのタイミングでした。
そのTPP対策を纏める中で、決して20年前のウルグアイラウンドのような、公共事業のメインに金がいって、いったいそれが農業の発展にどこまで繋がったのかという批判を、今でも言われてしまうような、そういったイメージがついた二の舞を決して起こしてはいけないということで、その当時のことを知っている大先輩から直接話を聞こうと思って、党本部に来ていただいたのが谷津義男元農林大臣でした。
私が今、農林部会で一緒にご指導いただいている西川農林水産戦略調査会長に、こう言いました。「先生誰か、当時のウルグアイラウンドの対策の時、よく知っている人って、いま党内で誰かいらっしゃいますかね」、「そうだね、もう残ってないな。俺もその時政治家じゃなかったからね。谷津さんぐらいかな」って話になって、「先生、谷津さん、つないでいただくこと出来ますか」って言ったら、その場で西川先生が携帯をとって、「分かった、直ぐ電話する」。「ああ、ちょっと谷津先生。農林部会長の小泉さんがね、先生に来てもらいたい、話してもらいたいと言ってるんだけど、どうかな、ちょっと代わるね」といって代わってもらった。それで「TPP対策を纏めるにあたって、あの時の二の舞を起こしてはいけないと思って、大変僭越ですけど、当時の反省も含めて、当事者であった谷津先生からマスコミの前で直接その時のことを語っていただきたいと思っているのですが、いかがでしょうか」って言ったら、「小泉君ね、大失敗したんだよ私たちは。大失敗した。まさか、あんなに金が付くとは思わなかったんだよ。これから対策を作る中で、いいか、団体の云うことを聞き過ぎちゃダメだぞ」っていう言葉をいただいて、「ありがとうございます。党本部にお越しください。
それであの対策を作る中のヒヤリングで、谷津先生にお越しをいただき、そういった話を対外的にされて、そのことによって空気が変わった気がしました。あれが一つのターニングポイントだったんじゃないかなと思います。
今こういう先輩たちの話をした理由は、これからどういう農業の姿にしていきたいかを考えた時に、決して忘れてはいけないことは、今まで様々な反省や後悔がありながも、歯を食いしばって必死で、日本の食を支えるための農業に力を尽くしてきた方々に対して、感謝と敬意を持ちながらも、その当事者であった方々が反省の弁を述べていることも生かさなきゃいかんと思ってる。
(つづく)
*誤変換及び文章の瑕疵は後ほど推敲します。