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午後7時から、やぶ読書会講座の「池田草庵先生に学ぶ」に参加、講師は米田啓祐氏です。会場は但馬長寿の郷視聴覚室、参加者は25名くらいでした。
池田草庵先生は八鹿町宿南に生まれ、江戸時代終りから明治時代初めにかけて活躍した人物で「但馬聖人」とも呼ばれ、吉田松陰(1830~1859)、坂本龍馬(1835~1867)とほぼ同時代を同じ思いで生きた人でしたが、その生き方は違ったのでした。
講座は池田草庵先生の生涯の解説から始まりました。1813年~1876年の生涯で池田草庵先生が目指したことは、「聖人君子」をめざす。孔子や孟子、理想人に近付くにはどのようにしていくのか、自分ははとてもなれそうもないけれど、だけれどもめざす努力を続けていく。門下生は日本を動かした北垣国道、原六郎など673名にものぼり、半数は但馬以外。遠くは関東・宇都宮藩から招聘があったことでも儒学の学問内容が優れていたことが伺われます。書籍は漢文で現代ではほとんど読めないのですが、米田講師が分かり易く読み解いています。池田草庵先生が塾生に諭した言葉を書きとったものが「肄業餘稿」で490編あるそうですが、ここではその9編目を紹介します。
難しい漢文を現代文で読み易くすると、
「古人言えるあり、いわく、席正しからざれば座せず、と。それ席の正不正、何ぞ此の身に関わらんや、しかれども必ず正してしかる後座するゆえんのものは、蓋し内正しければ即ち自ら外の正を好む。而して外の正、亦以ってその内を養うに足ればなり。是れ内外挟持の方なり。」
これを更に分かり易く米田講師流に読み解くと、
「昔の人(孔子)がこう言っている。座るところがまっすぐ整っていなければ、座らない、と。座るところがまっすぐしているか、歪んでいるかなど自分にはなんの関係もないようなものだ。しかし、必ずまっすぐ整えてから座るというのは、心の中も、まっすぐ整っているから、自然と外にあるものもまっすぐしていることを好むのだ。だから、外にあるものがまっすぐ整っていると、ひるがえって人の心もまっすぐ整えるのに役に立つのだ。内と外が互いに支えあってできるこのような心の鍛え方を、内外挟持の法という。」
8時半に講座は終り星空一杯の夜道を清々しく帰りました。途中、出会うんではないかと思っていたら、案の定、ジープライトに照らされた小鹿に出会いました。
午後7時から、やぶ読書会講座の「池田草庵先生に学ぶ」に参加、講師は米田啓祐氏です。会場は但馬長寿の郷視聴覚室、参加者は25名くらいでした。
池田草庵先生は八鹿町宿南に生まれ、江戸時代終りから明治時代初めにかけて活躍した人物で「但馬聖人」とも呼ばれ、吉田松陰(1830~1859)、坂本龍馬(1835~1867)とほぼ同時代を同じ思いで生きた人でしたが、その生き方は違ったのでした。
講座は池田草庵先生の生涯の解説から始まりました。1813年~1876年の生涯で池田草庵先生が目指したことは、「聖人君子」をめざす。孔子や孟子、理想人に近付くにはどのようにしていくのか、自分ははとてもなれそうもないけれど、だけれどもめざす努力を続けていく。門下生は日本を動かした北垣国道、原六郎など673名にものぼり、半数は但馬以外。遠くは関東・宇都宮藩から招聘があったことでも儒学の学問内容が優れていたことが伺われます。書籍は漢文で現代ではほとんど読めないのですが、米田講師が分かり易く読み解いています。池田草庵先生が塾生に諭した言葉を書きとったものが「肄業餘稿」で490編あるそうですが、ここではその9編目を紹介します。
難しい漢文を現代文で読み易くすると、
「古人言えるあり、いわく、席正しからざれば座せず、と。それ席の正不正、何ぞ此の身に関わらんや、しかれども必ず正してしかる後座するゆえんのものは、蓋し内正しければ即ち自ら外の正を好む。而して外の正、亦以ってその内を養うに足ればなり。是れ内外挟持の方なり。」
これを更に分かり易く米田講師流に読み解くと、
「昔の人(孔子)がこう言っている。座るところがまっすぐ整っていなければ、座らない、と。座るところがまっすぐしているか、歪んでいるかなど自分にはなんの関係もないようなものだ。しかし、必ずまっすぐ整えてから座るというのは、心の中も、まっすぐ整っているから、自然と外にあるものもまっすぐしていることを好むのだ。だから、外にあるものがまっすぐ整っていると、ひるがえって人の心もまっすぐ整えるのに役に立つのだ。内と外が互いに支えあってできるこのような心の鍛え方を、内外挟持の法という。」
8時半に講座は終り星空一杯の夜道を清々しく帰りました。途中、出会うんではないかと思っていたら、案の定、ジープライトに照らされた小鹿に出会いました。