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ブルース・スプリングスティーンのブートを整理

団地の引っ越し準備で部屋のCDケースに入れていたCDを段ボール箱に入れました。
ほとんどブルース・スプリングスティーンの海賊盤CD。演奏曲を眺めながらツアーの年代別に分けて入れました。
なつかしく感じました。
作業時間2時間半。意外と少なく感じました。
でも押し入れにも段ボール箱に入れて置いてあります。あとオフィシャルのライブ音源もしまってあります。まだ聴き切れていません。
僕もよく買ったな。昔は給料日の後の休日に西新宿のブート街にほくほくして買いに行っていました。
この買い物が僕のどんなに励みに成ったことか。
今はyoutubeなどで簡単にライブ映像が観れるけれど、当時は海賊版でしか観る聴く出来ない宝の山でした。
あの頃の店員さんとかどうしているのかな。
僕はブルース・スプリングスティーンのブートを聴けたから生き延びられた。部屋の雨戸を閉めて大音量でブルース・スプリングスティーンのライブを涙流して聴いていたのを思い出します。
僕に必要なことでした。
僕はまた5月に浦河に行き、再挑戦します。今の団地は実家があるので引き払います。
そうです。Keep Going
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遠藤周作「女の一生 一部・キクの場合」を読んでの感想

遠藤周作さん「女の一生 一部・キクの場合」を読んでの感想です。
僕は神さまが本当にいるかどうかと最近ずっと考えています。この本を読んでさらに疑問に成りました。
江戸時代末期から大政奉還、明治時代の開国政策。その時代に生きた農民がキリスト教を信仰することから受けた大変な苦痛。
キリスト教の棄教を迫られても拒否して信仰を貫こうとする農民たちとその周りの人たちが描かれていました。
役人が言うように形だけキリスト教から離れたと言えばいいのにそれさえ拒んだので拷問を受けて流罪された人たち。
当時日本のキリスト教信者は聖マリアさまをとても大切にしていたらしい。僕もそういうマリアさまの像を拝んでみたいと思いました。そうすると僕の信仰心も深まるかなと思っています。
この本の中で信者を拷問する役人からも「ひょっとしたらあいつらの信じている神ってあるのだろうか」と言わせる信者の必死の頑張り。
でももし神がいなければ、キリスト教を信じて来た人たちの人生は無駄な人生に成ってしまう。
これは遠藤周作「沈黙」にも書かれていたけれど、本当に大きな切実な問題に僕は感じます。
ただその中で拷問を加えた下級役人が自分のした事に悔いていたら神父が「あなたのような人をイエスさまは愛されます」と話す。
これがキリスト教の赦しかなと思います。
この部分に僕はこの本の中で人の美しさ、かわいさ、いとおしさを感じました。
そんなどうしようもない人をそういう人こそ神さまイエスさまは愛されるのかなと思います。
それにしても神さまはいるのか?もしいるなら僕はどうしたら神さまがいると感じられるのか?
僕はさらに問い続けて行きます。
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北海道浦河での生活

北海道浦河のべてるの家から一時撤退して千葉に戻って3週間が経ちました。
地元に戻って安心した気持ちが強かったですが、もっと出来たのでは?と自問するようにもなりました。
僕は浦河に居られなくなり逃げて来た。でももう一回戻りますと言って出て来た。
結局どうも僕はみんなに受け入れてもらえた感じがしなかった。
それは3か月やそこらでは受け入れてもらえないのかもしれない。
でも僕はみんなに受け入れてもらおうと思い、相手の話を聞くことを優先して自分の話をほとんどしなかった。
僕は自分の弱さを出さなかった。
だからもう一度浦河に行く時は僕の弱さを出そうと思う。
さらに場の空気を読まないで僕のやりたいことをやって言いたいことを言って相手の反応を見るという実験をしたい。

今年も千葉の地元で4月21日から写真展を開きます。
今回は北海道浦河の写真が中心。
展示する写真を選んでいるけれど、厳しい写真が多い。僕の気持ちが写真に現れているのかもと思います。
今度行ったらおだやかな写真を撮りたいです。
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