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「6割理論」再び

昔からのお友達からの希望で僕が昔考え出した「6割理論」を出して来ました。2010年発表。
そこに今回改訂加筆したものを最後に載せました。
僕の浦河での4年間が活きているなと思います。
長いですが僕の大切な当事者研究です。読んでみてください。

僕もあなたも弱いんだ。
みんなで進めよう「弱さの情報公開」
みんなで考える僕らの6割理論       

脳天気予報士の6割理論 
謙虚さ、やわらかい、わくわくする、進化成長する理論
「自分でやったことが6割出来ていれば、残りの4割が納得しなくても良しとする」
~~~~~今までにやりたいことをやったと思えるから、そう言える。段々と喜びが増えてくる。
「友人作りにも6割を求める」
(相手にも自分が6割だけを求めていると分かってもらうと、楽につきあってもらえる)
・ 相手を1回のことだけで判断しない、決めつけない(僕の欠点)
~~~~~やわらかい付き合い、序々に仲を深めていければいい。
・ 相手に自分の持っていないものを探す
~~~~~相手が魅力的に見える。
・ 相手に損得ぬきで付き合う
~~~~~目先のことだけにとらわれない。
・ 相手も物事も6割の良いところを見て、4割の悪いところを見ない。
「自分の見ているもの、分かっているものは実際の6割しか見えていないと知る」
~~~~~決めつけない、謙虚に
・宇宙のなかには見えていない、こんな驚きもあるんだ。
~~~~~4割のまだ見ていないものが楽しみ。わくわくする。
「全部は出来ない、6割のやれる事を一生懸命にやる」
~~~~~今までの自分が一番大事にしてきた姿勢
(でも出来ないと決めつけない)
それでも、やらないで後悔するより、やってダメな方がいい
今は出来なくても、いつかは出来るの思いは今も持っています
<少しずつ良くなっていく。あきらめとは違う>
<生きていくのが楽しくなる。わくわくしながら生活出来る>
この6割理論は、まだ6割の完成です。
そして4割理論が生まれました。(6割理論の裏)
「相手の言いたくても言えない、4割の気持ちを想像して思いやる」
雲を見ると空気の流れが見える。
雲だけが目に見えるけれど、みんな動いている。

まだ、まとまっていないですが、さらに6割理論を深めていきます。
そして自分自身が6割理論そのものなのではと思ってきました。
本気で全力でやるけど、その結果は真剣6割、抜けているのが4割。
おもしろいものを探しながら生きていきます。
楽しみを見つけ出しながら生活していきます。
自分でやりたいことはとことんやって、人づきあいでは、ある程度で良しとする。
「これを分かってくれて有難う」(全部は分かるはずが無い)
自分がやっていること、思っていることのグチ自慢話をして、相手のグチ自慢話を聞く。
6割理論は自分がやりたいことをやっている時に成り立つ。
今はやりたいことをやれていない。
次の目標を探そう。 

2020.6.15改訂
「6割以下理論」
「6割理論」は自分を中心にして視点を固定して相手、物事を見てきた。
でも見ている自分はどうなのか?
情けない自分勝手な僕――――――6割以下
そんな僕を認める、ゆるす(僕が自分自身を)
それなら僕が見ている相手、物事もゆるさなければ矛盾する
―――――――相手、物事も僕が6割以下に見えてもゆるす
           ↓
       相手、物事もゆるせる
      (僕も情けないのだから)
僕も仲間も「弱さの情報公開」をしてお互いゆるし合いたい

2021.1.5改訂
昔の僕はもっと抜けていた。大ポカをよくやった。
でも謝ってみんなとやっていた。
僕も弱さを出そう。僕の弱さを認めよう。相手の弱さを許そう。

2025.8.5 改訂
僕自身が立派でない。6割の人間。
自分の弱さを出せる方が楽に暮らせる。
だから相手も6割でいい
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ロックオンを解除

僕はべてるで嫌なことがあって部屋に引きこもることにした。
でもその翌日に津波警報が出て好もうが好まなくても僕は避難してべてるは一部屋に集まった。
寝転がって皆といるうちに嫌なことはどうでもよく成った。
何か僕の考え行動が及ばないはるか大きな力に飲み込まれている気がした。
悩むのも疲れるからいいやと思った。
そうこうするうちに僕たちのグループホームは警報は解除に成っていなかったけれど、大丈夫だろうと住居に帰った。
それを診察で話したら僕が僕自身の警報を解除したのですねと言われた。
僕は長年苦手な人をロックオンしてしまい延々と気にしていた。
それが解除出来たのだ。
自分で自分のロックオンのスイッチを切ってしまえばいいのだ。
ロックオンしても自分でパチッと切ればいいのだ。
それを体感出来ました。
先生は収穫がありましたねと言ってくれました。
避難してもただでは戻らない。なかなかなものだと言われました。
べてるの極意、どうでもよく成る境地に一歩近づけたかなと思いました。
写真は教会の花壇。お仲間が花を移してくれて見栄えが良く成りました。
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べてるの家の本のソムリエ

今週末に当事者研究全国交流集会浦河大会とべてるまつりがある。
僕は販売コーナーでべてるの家の本のソムリエ役をする。
その為べてるの家の本を読み返している。
僕は本を通してべてるの家を知り当事者研究を始めた。
そして浦河べてるの家へ来た。
今回べてるの家の本を読み返してやはりおもしろい。
僕が昔感じたわくわく感、そして温かさ、ユーモアの大切さを本から感じた。
そして思った。今のべてるの家は当時本に書かれたべてるの家とはもう違うかもしれない。
でも当事者研究のおもしろさを僕は思い出した。
希望を感じた当時を思い出した。
そうだ僕は当事者研究にあこがれて浦河に来たのだ。
また浦河で僕は当事者研究をやっていこう。
今は浦河で当事者研究は正直なところ流行っていないと僕は思う。
でも僕は愚直に当事者研究を進めて新たな当事者研究を浦河で始めたい。
そんな希望、勇気を今回感じました。
僕は当日のソムリエ役を楽しみながらがんばりたいです。
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妄想を聴く

今日は生良先生に誘われて看護学校の授業で学生さんに話をさせてもらいました。
その中で生良先生が興味を持って患者の妄想の話を聴くのがいいと話していました。
ふと僕のブルーススプリングスティーンの追っかけの話も気象予報士に成るという話も当時は妄想として聴かれても仕方無かったと思う。
でも当時の病院デイケアの職員さんもメンバーもじっくり聴いてくれた。
そして妄想のはずが現実に成った。
30年前に僕は今では重視されている対話ですでに聴いてもらえていたのだなと思いありがたく感じました。
妄想も実現すれば現実に成るのだ。
今まで僕に出会ってくれた人にありがたいなと思いました。
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「向谷地さん、幻覚妄想ってどうやって聞いたらいいんですか?」を読んでの感想

「向谷地さん、幻覚妄想ってどうやって聞いたらいいんですか?」
を読み終わっての感想です。
僕にもいろいろな出来事があってこの本を読み終えるのに時間がかかりましたが読みました。
向谷地さんの統合失調症などの苦労を持った人への接し方が書かれていました。
専門家の中には妄想幻聴を聴くと患者の幻想幻聴が深まって定着してしまうから聴いてはいけないと言う人が多いらしい。
でも生良さんは話す人にその幻覚妄想の話を興味を持って聴いていく。
そこにはテクニックもあるだろうけれど、
相手を尊重する姿勢でその人の話を興味深く思って聴き質問する。
そんな生良先生のやり方が丁寧に書かれています。
そして僕はこの本は向谷地生良先生の自伝だと思いました。
そして40年以上の生良先生の浦河べてるの家での活動をまとめている本と思いました。
僕もべてるの家でさんざん苦労しているけれど生良さんは苦労が好きなのだろう。
そして苦労している人も苦労している自分自身も好きなのだろう。
生良さんの持っている苦労に出会うと「ワクワクする」という気持ちを僕も分かる気もする。
この気持ちを持っていれば僕もべてるで生きていけるのではと思いました。
【新たな境地で自分の内外に観測基地を設け、モニタリングと実験を継続し、その結果を発信しつづけようと思う】
僕もこの気持ちでべてるにいようと思います。
僕もブルース・スプリングスティーンが好きだ。
この気持ちをべてるにも持てたら楽しくべてるで過ごせるかもしれないと思いました。
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「べてるの家の歩き方」

しばらく間が空いてしまったけれど「異界の歩き方」を読んでいます。
僕はまさにべてるの家を旅しているのだ。
僕は僕だけで生活しているのではなくて、べてる全体で生活している。
僕はべてるの中で回復していく、癒されていく。
良い人だけでないのがいいのかな。
嫌な人も良くない人もべてるにはいる。
そういう人とも一緒に生活して僕は癒されていくのかな。
僕はまさにアメリカを旅行しているようにべてるを歩いて旅行しているのだなと気が付きました。
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東京のお仲間と当事者研究

東京のお仲間と久しぶりに当事者研究しました。
お互いの考えていること不満を話しているうちにべてるの『降りていく生き方』に成りました。
僕は登ろうとは思わない、地位も名誉も求めない。
でも技を獲得していく生き方をしたいと話しました。

得ようとしなければ失うという恐れも感じない。でもそれでは生きているとは言えない。
というブルーススプリングスティーンの言葉を話しました。

障害者に無理をさせてはいけないという考えも有るだろうけれど僕は求めて行きたいと話しました。
お相手は柔道も受け身の技を身に付けなければいけないと話しました。

技も手放して、素の自分に成っては。
とべてるの職員に言われましたが僕は獲得していく生き方をして行こうと思います。

まずはべてるで読書会をしていきたいです。何か吹っ切れました。
千葉に帰省してよかったです。明日浦河に帰ります。
今回は日程が短く行けない所がありましたが、また次回は行きます。
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べてるの家の岡本勝さんをしのぶ会

べてるの家で亡くなられた岡本勝さんをしのぶ会に出席して来ました。
僕にとって岡本勝さんは本の中の人。
僕が3年前にべてるに来た時には岡本さんは脳梗塞か何かで半身不随になられていた。
たまに介護が中心の場所から出て来るのを見かけたけれど僕は一言も話したことが無いまま岡本さんは亡くなられてしまった。
話しかければよかったかなと思いました。

しのぶ会に出席した人が一人ずつ岡本さんの思い出を話した。
女性は全員抱きつかれたと話していた。
「おーいい女だな」と言って抱きついて来たという。
今なら完全にアウトだけれど岡本さんは大丈夫だったよう。
さらに立ちションをしていたと何人もの人が言っていた。
それでも岡本さんは愛されていたようで、僕は不思議だなと思った。
何か魅力があったのだと思う。僕もそこを知れたらよかった。

僕は岡本勝さんはべてる的な人なのだと思う。
今の僕の常識から見ればどうしようもないセクハラおやじなのだけれど、
ずっとその姿勢を通したのはさすがだと思う。
そして昭和的なそういうべてるのメンバーは亡くなられて少なく成っている。
だから僕はそういうべてるの創生期のメンバーに学びたいと思いました。
またそういう目で見ると、僕は良いこととは思わないけれど、一部のメンバーのセクハラ的な行為も納得がいく。
今では許されないけれど当時のべてるではありだったのだろう。
そして今のべてるにきゅうくつさを感じている人もいるのだろう。

まあセクハラ行為は僕は認めないけれどべてるの40年の歴史の中に学ぶ物も多いだろう。
僕もせっかくべてるに来たのだから創生期のべてるの魅力を学びたい。
早坂きよしさんが耳や鼻をかじりあった仲だと岡本さんとのことを話していた。
でも僕はそういう仲には成りたくないなとも思う。
べてるの40年の歴史かな。
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現代のエスプリ「精神障害」を生きる1998/2至文堂

べてるの古くからのメンバーから借りて読みました。1998年発行の本
いいな昔の作業所の雰囲気を感じる。みんな一生懸命社会復帰しようとしていたな。いろいろなこころある人に感謝だな。
座談会、生良さんも積極的に発言している。
みんなで作ってみんなで使う作業所。
いろいろな人のいろいろな役割
地域で生きていくことが出来るのだを大切にしてきた
べてるの出発のコンセプトは「苦労しよう」
依存しながら自己主張が出来るのが自立
失敗するチャンス
そんなことが書いてありました。

でも今のべてるはどうなのか?
理想は色あせて来て社会参加というよりも施設内で時給400円の内職的仕事に満足している。
もう「商売しようぜ」「ひともうけしよう」というやる気は少なくなっている。
べてるはいわゆる普通の作業所に成ってしまったと僕は思う。
それもそれでいいのだろうしメンバーもそれを望んでいるみたい。
そこで僕はどうするか?
その中で僕はべてるの3Sという作業よりもミーティングを重視するグループに入った。
何となくもしかしたら昔のべてるにあったらしいワクワク感を得られるかもしれないと思っています。

この本に千葉病院のソーシャルワーカー漆原和世さんの文章があった。
千葉病院、ほっとハート市川、なつかしいな。
僕も通院していた。見学も行った。
漆原さんも遥か昔に見かけたことあった。
僕は隣の習志野市に住んでいたけれど、わざわざ市川市に引っ越す人もいたとお母さんが話していた。
そんな頃を思い出しました。
この本で僕の歴史が今とつながった、何かせつなくうれしく感じました。
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べてるの家の「非」援助論を読み返し始めました

べてるの家の「非」援助論を久しぶりに読み返し始めました。
そうだ僕はこのべてるに憧れて来たのだ。
きれいな世界よりももっと豊かな世界があるのだ。
ある意味僕には衝撃的だった。
僕は真面目に正しいことをするのが一番良いと思っていた。
でもそれは子供の夢。もっと充実した生活をするのだ。
10年前だかに読んで僕が本に線を引き、書き込んだ文章を読んで思い出しました。
そうだべてるはきれいごとでない、本当の人生を生きる場所なのだ。僕はそれに憧れて浦河に来たのだ。

でもその世界は今は薄れて色あせてしまっているように僕は思っている。でもまた僕はそれをもう一度みんなと作り上げていきたい。
最近来られたお客さまにオリエンテーションでこの本を紹介しているので、いい加減な紹介は出来ないなと思いもう一度読み返し始めました。
今日は疲れたのでべてるは休むことにして1人で昔読んだ本を取り出して読みました。
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他人事メソッド英語版 Broadcasting Method

他人事メソッド英語版ありがとうバージョンを発表しました。観てみてください。2024.7.19@べてるの家
MVI 9416 2024 7 19他人事メソッド英語版 Broadcasting Method
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当事者研究の暴力性

居場所で当事者研究的に応援ミーティングをしてもらいました。
僕が居場所で大事にされていないと感じる。自分の話を聞いてもらえないのが不満だと話しました。
それについて話し合ったら「自分のことを聞いてもらえないと僕が感じている」ことについて研究しましょうと成りました。
それで僕はよし。研究しようと思いました。

でも翌日に成って何かおかしいと感じました。
「自分の話を聞いてもらえないと僕が感じる」のではなくて「実際に自分の話を聞いてもらえていない」のだと思いました。
僕はこれは危険。
1人の考えていることを強制的に考えないようにさせると思います。
研究の前提を強制的に決められてしまう。
これは当事者研究の暴力だと思いました。
そして僕は当事者研究を上手くまとめようと考えるので研究の前提を鵜呑みにしてしまう。
研究の行き着く先を初めから決められてしまう。危ないなと思いました。

後日に僕が信頼している診療所のソーシャルワーカーさんにこの事を話したら僕の話を信用してくれて「自分の話を聞いてもらえない時に僕がどうするか」の研究をしましょうとしてもらいました。
僕はうれしかったです。
それから居場所に見学に来ている人がいて、僕はその人はみんなに自分の話を聞いてもらっているように見えていいなと思っている人にみんなと接していてどう感じているか?どうしたら自分の話を聞いてもらえるかインタビューしようと成りました。

そのソーシャルワーカーさんとの面談の後にちょうどその人を見かけたのでさっそく聞いてみました。
すると「私は相手の話を聞く時間の方が自分の話をする時間よりも圧倒的に長いです」と応えてもらいました。
僕はそうか。僕は自分の話を聞いてもらえないからと思って相手の話も聞いていなかったと思い当たりました。

そういうことで僕の「自分の話を聞いてもらえない時に僕がどうするか」の研究を進めています。
これから更にインタビューをしていきデータを取っていきます。
当事者研究は万能のようでいて使い方を間違えると相手の話を封じ込める暴力に成るので危ないところがあるのだと僕は思いました。
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半々メソッド

半々メソッドがいいみたい。
来週からのニューべてる復帰について考えている。
結局僕はべてるに求め過ぎているように思う。
もっと軽くて楽しければもうけもん。上手くいかない日もあると思うと良いかもしれない。
浦河べてるに足を全部置かない。半分は浦河べてるだけど、半分は千葉に。
半分は当事者研究だけど半分はブルース・スプリングスティーンの追っかけ。
その方が柔軟に生活出来ると思う。人付き合いも柔らかく出来ると思う。
僕は半々メソッドと名付けました。
写真の青い花は近くの花屋さんで買って来て植えました。元からある赤い花と青い花がいい釣り合いに見えます。これも半々メソッドかな。
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べてるの家応援カンファレンス

今日は僕の応援カンファレンスをカフェぶらで開いてもらいました。
僕はあきらめずに自分の思いを話してその結果で分かり合えたと感じました。
僕と相手の職員、悦子さん、ゆうこさん、PSW、カフェぶらの職員3人、メンバー2人が集まってくれました。

最初に僕が相手の職員から受けた嫌な思いを話しました。
すると僕の特性である、特定の人を嫌いになり気にして攻撃するロックオン現象だという話に成りました。
でも僕はそこでべてるで僕は大事にされていないと感じている。と話しました。

そしてまずは相手の職員に謝ってもらいました。
ていねいに心から謝ってもらったと僕は感じたので僕は分かりましたと言いました。
そこから流れがぎくしゃくした物から率直な雰囲気に成りました。

僕はニューべてるでまた活動したいと言いました。
また僕の大事な話をスルーされるのはすごく嫌な気持ちに成る。
べてるは一人で何とかやれる人には放置して何とかさせて我慢させて、そして知的障害の人や爆発する人にばかりケアが行くのが不満だと話しました。
そこから日々の対話は大切だねと共有出来ました。

僕は2週間に一度職員さんに30分間面談してもらい課題をピックアップして、それをニューべてるトリプルSでメンバーに話してみることにしました。

終わりにそれぞれ感想を言いました。
助かっていると日々伝えないといけないねと職員の人が言っていました。
またスルーすることも大切だけどあえてスルーしないのも大切だなと思いましたと職員さんが言っていました。

今回僕はスルーしないでこだわった。
それにより対話の大切さ必要さをみんなで共有出来たと思います。
悦子さんが歴史的に残るカンファレンスだったと大げさに言っていたけれど僕の歴史に残る話し合いでした。よかったです。

あとはメンバーの人が途中で抜けてしまったのが残念でした。これからはメンバーとどう関係を築いていくかも課題に成ると思います。

ロックオン現象よりも対話不足だったというのが発見でした。
僕が言い張った甲斐がありました。
あと相手の職員さんは耳が悪いという事を今回聞いてだから大声で話しているのかと思いました。

昔の政治家が「話せば分かる」と言ったらしいですが、まさにそうだなと思っています。
まだやっとスタートラインに戻れただけだけど僕はまた頑張ってみようと思います。
みなさんに心配かけてしまいすみませんでした。僕はまた動き始めます。
写真は最近のルピナスの丘です。水仙の花が咲いています。お礼です。
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「当事者研究カフェ経験は宝」僕のBruce Springsteen追っかけ人生2024.3.18@浦河カフェぶら

当事者研究カフェとして僕の当事者研究の発表をしました。
他人事メソッドも入れて僕の発病からリカバリーを話しました。
僕のリカバリーにはブルース・スプリングスティーンが密接に関わっています。
僕の人生を聴いてください。20分ほどの動画です。

MVI 7667当事者研究カフェ経験は宝 大矢英明 僕のBruce Springsteen追っかけ人生2024.3.18@浦河カフェぶら
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