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当事者研究の暴力性

居場所で当事者研究的に応援ミーティングをしてもらいました。
僕が居場所で大事にされていないと感じる。自分の話を聞いてもらえないのが不満だと話しました。
それについて話し合ったら「自分のことを聞いてもらえないと僕が感じている」ことについて研究しましょうと成りました。
それで僕はよし。研究しようと思いました。

でも翌日に成って何かおかしいと感じました。
「自分の話を聞いてもらえないと僕が感じる」のではなくて「実際に自分の話を聞いてもらえていない」のだと思いました。
僕はこれは危険。
1人の考えていることを強制的に考えないようにさせると思います。
研究の前提を強制的に決められてしまう。
これは当事者研究の暴力だと思いました。
そして僕は当事者研究を上手くまとめようと考えるので研究の前提を鵜呑みにしてしまう。
研究の行き着く先を初めから決められてしまう。危ないなと思いました。

後日に僕が信頼している診療所のソーシャルワーカーさんにこの事を話したら僕の話を信用してくれて「自分の話を聞いてもらえない時に僕がどうするか」の研究をしましょうとしてもらいました。
僕はうれしかったです。
それから居場所に見学に来ている人がいて、僕はその人はみんなに自分の話を聞いてもらっているように見えていいなと思っている人にみんなと接していてどう感じているか?どうしたら自分の話を聞いてもらえるかインタビューしようと成りました。

そのソーシャルワーカーさんとの面談の後にちょうどその人を見かけたのでさっそく聞いてみました。
すると「私は相手の話を聞く時間の方が自分の話をする時間よりも圧倒的に長いです」と応えてもらいました。
僕はそうか。僕は自分の話を聞いてもらえないからと思って相手の話も聞いていなかったと思い当たりました。

そういうことで僕の「自分の話を聞いてもらえない時に僕がどうするか」の研究を進めています。
これから更にインタビューをしていきデータを取っていきます。
当事者研究は万能のようでいて使い方を間違えると相手の話を封じ込める暴力に成るので危ないところがあるのだと僕は思いました。
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半々メソッド

半々メソッドがいいみたい。
来週からのニューべてる復帰について考えている。
結局僕はべてるに求め過ぎているように思う。
もっと軽くて楽しければもうけもん。上手くいかない日もあると思うと良いかもしれない。
浦河べてるに足を全部置かない。半分は浦河べてるだけど、半分は千葉に。
半分は当事者研究だけど半分はブルース・スプリングスティーンの追っかけ。
その方が柔軟に生活出来ると思う。人付き合いも柔らかく出来ると思う。
僕は半々メソッドと名付けました。
写真の青い花は近くの花屋さんで買って来て植えました。元からある赤い花と青い花がいい釣り合いに見えます。これも半々メソッドかな。
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べてるの家応援カンファレンス

今日は僕の応援カンファレンスをカフェぶらで開いてもらいました。
僕はあきらめずに自分の思いを話してその結果で分かり合えたと感じました。
僕と相手の職員、悦子さん、ゆうこさん、PSW、カフェぶらの職員3人、メンバー2人が集まってくれました。

最初に僕が相手の職員から受けた嫌な思いを話しました。
すると僕の特性である、特定の人を嫌いになり気にして攻撃するロックオン現象だという話に成りました。
でも僕はそこでべてるで僕は大事にされていないと感じている。と話しました。

そしてまずは相手の職員に謝ってもらいました。
ていねいに心から謝ってもらったと僕は感じたので僕は分かりましたと言いました。
そこから流れがぎくしゃくした物から率直な雰囲気に成りました。

僕はニューべてるでまた活動したいと言いました。
また僕の大事な話をスルーされるのはすごく嫌な気持ちに成る。
べてるは一人で何とかやれる人には放置して何とかさせて我慢させて、そして知的障害の人や爆発する人にばかりケアが行くのが不満だと話しました。
そこから日々の対話は大切だねと共有出来ました。

僕は2週間に一度職員さんに30分間面談してもらい課題をピックアップして、それをニューべてるトリプルSでメンバーに話してみることにしました。

終わりにそれぞれ感想を言いました。
助かっていると日々伝えないといけないねと職員の人が言っていました。
またスルーすることも大切だけどあえてスルーしないのも大切だなと思いましたと職員さんが言っていました。

今回僕はスルーしないでこだわった。
それにより対話の大切さ必要さをみんなで共有出来たと思います。
悦子さんが歴史的に残るカンファレンスだったと大げさに言っていたけれど僕の歴史に残る話し合いでした。よかったです。

あとはメンバーの人が途中で抜けてしまったのが残念でした。これからはメンバーとどう関係を築いていくかも課題に成ると思います。

ロックオン現象よりも対話不足だったというのが発見でした。
僕が言い張った甲斐がありました。
あと相手の職員さんは耳が悪いという事を今回聞いてだから大声で話しているのかと思いました。

昔の政治家が「話せば分かる」と言ったらしいですが、まさにそうだなと思っています。
まだやっとスタートラインに戻れただけだけど僕はまた頑張ってみようと思います。
みなさんに心配かけてしまいすみませんでした。僕はまた動き始めます。
写真は最近のルピナスの丘です。水仙の花が咲いています。お礼です。
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「当事者研究カフェ経験は宝」僕のBruce Springsteen追っかけ人生2024.3.18@浦河カフェぶら

当事者研究カフェとして僕の当事者研究の発表をしました。
他人事メソッドも入れて僕の発病からリカバリーを話しました。
僕のリカバリーにはブルース・スプリングスティーンが密接に関わっています。
僕の人生を聴いてください。20分ほどの動画です。

MVI 7667当事者研究カフェ経験は宝 大矢英明 僕のBruce Springsteen追っかけ人生2024.3.18@浦河カフェぶら
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当事者研究の目指すところ

昨日当事者研究のことについて僕の住むグループホーム、オリーブハウスでメンバーと一緒に東大の方のインタビューを受けました。
Zoomでの聞き取り。合同、個別それぞれで合計4回目最終回でした。
当事者研究をして来てよかったこととして僕は浦河に来れたのも当事者研究をして来たから来れた。
良くも悪くも当事者研究を学ぶことで浦河に来れました。
そして浦河に来て自分のことだけでなくみんなでいろいろな困ったことを当事者研究出来ていると話しました。
でもみんなと一緒に居るのが大変、
でも自分の考えていることや想いを当事者研究を通してみんなに伝えられましたと話しました。

そして当事者研究とリカバリーについて聞かれたので僕は当事者研究的にはリカバリーは病気に成る前の100%の自分に戻ることは出来ない、しないのが正解と言われている。
だけど僕はこれだけはやりたいという事はやりたいでやって来た。と話しました。
気象予報士にしてもブルース・スプリングスティーンにしてもこれはゆずれない僕の生き方だと思いました。
そして浦河で僕はみんなのことも当事者研究出来ているのがよいことですと話しました。

まあ僕は自分自身のことは千葉でも当事者研究をして来た。
そして浦河ではもっと広く他の人たちと当事者研究をして来たのだなと思いました。
良い振り返りが出来ました。
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「吃音の当事者研究」どもる人たちがべてるの家と出会った 向谷地生良 伊藤伸二 著を読んでの感想

「吃音の当事者研究」どもる人たちがべてるの家と出会った 向谷地生良 伊藤伸二 著を読んでの感想です。
この本はどもる人たちの自助グループ代表の伊藤さんがどもりの当事者研究のワークショップに向谷地生良先生を招いて開いた時の記録本です。
生良先生が当事者研究の紹介をした時の話が僕に新鮮で、そうだ当事者研究はこうだったなと思い出せました。

その現実にどんな態度で向き合うか。
それをどういう出来事として扱おうとしているか。
当事者研究は生活の中から研究の素材を見出して、それを研究テーマとして、そのテーマの背景にある事柄や経験、意味などを見極めて、ユニークな発想で自分に合った「自分の助け方」や理解を見出していく。
〇当事者が苦労の主人公
〇どんなに困難でも、その場、仲間、自分の経験の中に困難を解消する大切な知恵があると考える
〇仲間とともに「研究する」という視点に立ってワイワイガヤガヤと語り合い、出来事や苦労の起こるパターンや仕組み苦労や困難の背後にある意味や可能性を見出す。
〇即興的(偶然)に生まれるユニークな理解やアイデアが「自分の助け方」の発見につながる
〇「態度」「とらえ方」「立ち位置」の変更を基本とし、問題が「解決」されなくても「解消」されることを考える

そして「治る」のを目指すのではなくて生きづらさを生きやすくする。どう治すかでなくどう生きるか。
そして何かあったら研究しようと考える。
当事者研究は楽しいもの。つらい時や気乗りしない時は入口が違っているかもと考える

その中で自分たちが機嫌良くしている。吹いて来る冷風には温かい風を送り続ける
「したたかさ」「ユーモア」「にもかかわらず生きる」
ここが僕が思うべてるのすごいい所かなと思います。今はだいぶ薄れてしまったかもしれませんが。
この本のどもり当事者の伊藤さんは必死に闘っているけれど生良先生はしたたかに生きて来たと僕は思います。そして機嫌良くしていると人が集まって来る。この機嫌良くしているというのを僕も忘れてしまっていたなと思いました。
また当事者研究を実践して行こうと思いました。
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「弱さの情報公開--つなぐーー」の読書会に参加しました

「弱さの情報公開--つなぐーー」のzoom読書会に2日間参加しました。
僕はべてるの家に2年間居て慣れでしまい気が付かないことも出て来たと思い、一般の人がべてるの家にどう興味を持っているかを知りたいとも思い参加しました。
僕はべてるの家に不満もあるけれど、べてるのみんな弱さを出していると思う。べてるの家はそれなりに弱さを出せる場なのだと思います。
そして僕はべてるのみんなは自分で意識して弱さを出しているというより、自然に勝手に出てしまうのではと思いました。

強さでつながっているチームはもろい。
弱さは慣れないと出せないのでは?
弱さの反対が開き直りなのでは?でも出てしまう弱さ。
エガちゃん、江頭さんは上手く弱さを出している。ダメさ加減を憎めないで表現する人。人の心をつかむ。弱さと強さは同じでは?
確かにエガちゃん、江頭さんを僕もyoutubeで観たらいいなと思いました。優しく弱さを出しているなと思いました。

弱さを出すには通過儀礼がある。殻を破る。周りの先人に学ぶ。ひと皮むける瞬間があるはず。
僕も弱さを出す達人を目指そう、それが僕がこれからべてるに居る目標かなと思いました。

2日目では僕はべてるの理念を想いました。
そこで「3度の飯よりミーティング」に本で再会しました。
そうだこれだ。今のべてるにはこれが薄れていると思いました。
何か有ったらすぐ集まって話し合う。食事なんかよりも大事だと。
それが今はさあ昼ごはんちゃんと食べましょう。晩ごはん食べて規則正しく生活しましょうと言われる。
そこが今のべてるで無くなってしまった理念だと思いました。
僕はもっとミーティングに参加していこうと思いました。

そして「降りていく生き方」は聴き取りやすい、耳に優しいフレーズと話される人がいてなるほどと僕は思いました。
僕は降りていく生き方が今一つ分からないでいます。
僕は目標を立てて努力して達成してそれを喜ぶ。僕はそんな生き方を理想として来た。それなのに求めていく生き方はダメと言われた気がしました。

でも自分をみがきたいというのは降りて行く生き方と両立する。
物を持たない生き方。
自分らしさ自分探しを今までして来たけれど分からないという人に頑張り過ぎないでと言うのは良いと思う。
出来たことに人はうれしい。でも追及し過ぎると無理がある。人にもそれこそ地球にも。
僕は足るを知る。謙虚に成るのが大切かなと思いました。

そしてべてるの家の現在の話になりました。
この前のオリーブ通信すごくよかった。
自己病名で語り合うといい。
弱さを武器に弱さ自慢をするといいかも。
安心していると弱さを出せる。

べてるの家は一般的な所に成ってしまった。
キヨシさんも3分間しか作業出来なかったのが今は1時間作業出来てしまう。
べてるが常識的に成ってしまった。他の作業所と同じに成ってしまった。

そして最後、やはり自分が心地よい、相手にも心地よいのがいいですねという話に成った。
僕はべてるの家は何だかんだあるけれど、弱さを出せる貴重な場なのかなと思いました。
今回僕は一般の人の参加する読書会でべてるの家を少し離れてながめられてべてるにも良い所があるのだなと気が付きました。
感謝です。
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これが僕の生きる道

「これが僕の生きる道」 
僕は目標を持つと頑張れる。はっきりとした目標を持とう。
来年の3月末にサンフランシスコでブルース・スプリングスティーンのライブを思う存分楽しむ。
そしてそこで出会うファンの人や現地の人と話が出来るように英語を勉強する。
これをこれから5か月していこうと思う。
目標を持ちそれを達成して獲得して生きて行く生きかた。
僕は今までいくつもの目標を作り努力してそれを達成して喜ぶ生き方をして来た。

この前、浦河教会で牧師先生が話した説教では車を持ち、家を持ち、家族を持ち、子供を持ちという生き方には無理があると話していた。
それをしないことがべてるで言う「降りて行く生き方」なのだとすると僕はそれに反する生き方になるかもしれない。
でも僕はみんながそれぞれ自分なりの目標を持てばいいと思う。
それがシンプルでいいと思う。

「上る生き方、降りない生き方」と「目標を持って生きる生き方」とは違うと思う。
僕は僕ならではの目標を持って生きていきたいと思う。

べてるの人には「降りて行く生き方」をしなければいけないという同調圧力があると僕は感じる。
目標を持って努力しようとすると、あの人は自分達と違うと言われる気が僕はする。
僕はもっと自由にみんながやりたいことをやればいいのにと思う。
今のべてるは「降りて行く」のがべてるのやり方で、そうしないといけないという雰囲気に支配されていると僕は感じている。

そこが僕がべてるに来て感じて来た違和感なのだと思う。
無理しないで流れにまかせるのは自然な生き方でいいと僕も思う。
でも目標を持って自分なりの生き方をしようとするのをあの人は自分達と違うと言われては僕はどうすればいいのだと思ってしまう。

そこであえて僕は嫌われてもいい。
やりたいことをやると言えたらいいと思う。
それを浦河で出来るか挑戦したい。
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当事者研究全国交流集会浦河大会に参加しました

昨日浦河で当事者研究全国交流集会がありました。僕はポスター発表と分科会「おーい。老い」に参加しました。
僕の考えていることを話しました。そしてみなさんの感想、考えを聞きました。
僕はすごく温かい気持ちに成りました。
僕はみんなと上手くやらなくてはいけないとずっと考えていましたが、自分からボケる。自分から嫌われる老人に成るのもありなのかなと思いました。
暗く成りがちな老後の話もみんなと話すと温かい話し合いに成るのだなと思いました。
みなさんに感謝です。
今日はぱぴぷぺぽ劇団の発表をがんばります。

発表したポスターを載せます。読んでくださったらうれしいです。


べてるの家で経験した人づき合 いの苦労(浦河の知惠) 当事者研究的に考えてみました 大矢英明

浦河に来ました
 僕は今まで千葉に住んでいて千葉、東京、神奈川の居場所 に行っていました。どこでも初めはニコニコおだやかにい られるのだけど、そのうち苦手な人が出来て嫌に成りその 居場所を去って来ました。
 僕はここが最後の場所と思って浦河に来ました。でも浦河 でも苦手な人が出来て来た。さあどうするか?  何とかやっていかなければいけない。そんな気持ちで浦河 に居続けて2年に成りました。

Kさんとの苦労 その1
 あいさつをKさんが返してくれないで嫌だった。
 同じグループホームのメンバーと相談して僕は毎日Kさん に「おはようございます」と言ってKさんの反応を無視× うなずく△おうと応える〇で表に書いた。楽しく成って来 た。
 Kさんと上手く行っているかをメンバーが頭をさわる合図 で聞いてくれたら僕が親指を上げるか下げるかで返事をし た。Kさんに会うのが段々楽しみに成って来た。

Kさんとの苦労 その2
 ある程度Kさんとあいさつ出来るように成ったらKさんから 「千葉から戻って来るな。俺はお前が嫌いだ」と言われた。 「僕もあなたが嫌いです」と応えた。
 その直後に僕はコロナにかかり部屋で1週間位待機。
 コロナ明けに居場所に行ったらKさんが朝ミーティングで 「逆さ言葉を使ってしまった」とみんなの居る所で謝って くれた。僕もそれならと謝った。
 KさんはSSTをして僕に謝る練習をしてくれたようだった。 べてるの場の力を感じた。

A1さんとの苦労
 コロナが流行して他の住居の人が食堂に住むので、飼って いた金魚を部屋に持って行って欲しいと職員に言われた。 僕は住居の皆に相談した。するとA1さんが「金魚より人 間が大事でしょ」と言ったのが僕はすごく嫌だった。
 みんなに相談して僕は態度保留で棚にその事を置いておい た。しばらくしてまあいいやに成って来た。
 またA1さんと嫌なことが有ったけれど態度保留でその事 も棚に置いている。またA1さんと嫌なことが有った。
 でもそのうちにまあいいやに成って来た。

A2さんとの苦労
A2さんが金曜ミーティング苦労人のコーナーで「ある人 に謝れと言われてキレられて気分悪いです」と言い、僕 が「それは私のことですか」と言い返してケンカに成っ た。 みんなに僕の言い分を聞いてもらったけれど気分が悪い ままだった。 それでも1か月位経って僕もA2さんもまあいいやに成っ たように思う。今は顔を合わすと意識してお互いに積極 的にあいさつしている。

K先生との苦労 その1
 診察でK先生は僕の話を聞いてくれないと感じている。  「千葉からこっちに来たのは失敗だったと思っているだ ろ」と言われてすごく嫌な気持ちに成った。
 以前には「かんちがいして浦河に来る人がいる」と言われ てその事が僕の頭に残っている。
 それらの嫌なことで僕はK先生の診察を受けず薬の処方箋 だけもらっている。
 べてるの職員さんに毎週ミニ当事者研究的をしてもらい診 察の代わりにしている。

K先生との苦労 その2
 電話で診療所ソーシャルワーカーにK先生とのことを相談 しようとしたけれどろくに話を聞いてもらえなかった。  でも浦河には他の先生がいない。
 3か月間処方箋だけもらっていたけれど、話を聞いてくれ そうなソーシャルワーカーを診療所で見かけたので声をか けて面談の予約をした。
 僕の気持ち、言いたいことをそのソーシャルワーカーに話 した。しっかり聞いてもらえたと感じた。
 まずは第一歩進めたと感じている

食堂で金魚を飼う事への対話
 グループホーム食堂で金魚をみんなで飼っていたのだけど、 食堂にカビが生えたので水槽を部屋に持って行って下さい と職員さんに言われた。
 メンバーと職員でリフレクティングを使って話し合った。
 お互いの気持ち、考え方、事情を相手を攻撃することなく 分かり合えた。
 現在は水槽を脱衣所に移動させて様子を見ている。
 僕の住むオリーブハウスは研究するグループホームなのだ。

まとめ その1
 その場で全て解決しようとしないで、困難をいったん棚に 置いてそのままにしておく。そして仲間や職員さんと話し 合いながら生活しているうちに自然と相手との関係が良く 成って来ると感じています
 でも何も言わないと相手は何で僕が怒っているのか分から ないようだ。自分の気持ち、考えを上手く相手に伝える。 そこが僕のこれからの課題です。
 これらのことを僕は浦河で実験、検証しながら学びました。

まとめ その2
 それにしても浦河の人たちは仲直りが上手いと思います。 不満を言うけれど言い過ぎない。間を置く。
 だから僕も今も浦河に居られるのかな。
 長い年月の間に作られたみんなが排除されずに居られるた めの浦河の知惠だと僕は思っています。
 そして言いたい事はある程度言ってそれで収める。そこが ポイントかなと思います。それが浦河の人たちの技かなと 思います。僕も浦河で学んでいます。

A1さんへの発見
 A1さんは全力でボケていたのだ。
 そこにツッコまなかった僕の力不足だった。
 これからはボケてくれるA1さんにツッコみを入れる練習 をしよう。
 否定しないツッコミ。目指すは漫才のぺこぱ。
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「べてるの家」の由来

聖書を読んでいたら旧約聖書に僕の居るべてるの家の名前の素のベテルが出て来ました。
「その場所をベテル(神の家)と名付けた」創世記28章19節
ベテルと名付けたヤコブという人は全ての人類の先祖アブラハムの孫なのだけれど、その生き方があまりにも人間臭い。
自分が兄エサウの代わりに神さまからの祝福を受け継ぎたいと考えて、弟のヤコブの方が好きな母の助言通りに目が見えにくくなった父イサクをだまして暗闇で兄エサウになりすまして父から代々続く神さまの祝福を得てしまう。
だまされる父も悔しがる兄も兄を恐れて逃げるヤコブも情けないなと僕は思う。
こんな人たちが人類の先祖なのかと馬鹿らしく感じる。
でも人間とはそんな情けない存在なのかなと僕は思う。
そのヤコブが逃げる途中で寝泊まりした場所に神さまが現れてヤコブは祝福してもらったのでその場所をベテルと名付けた。
そう思うと僕が今居るべてるの家もすごく人間臭い、情けない場だと思うと納得がいく。
人間なんてそんなもんさという開き直りというか達観するとべてるの家はすごいのかなと思えたりもする。
でも実際は毎日毎日生きるのに精いっぱいでそれこそ情けない人間臭い生活をメンバーも職員もしているのかなと思います。
僕も毎日毎日べてるの家に行く情けない自分が少しだけいいなと思いました。
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「赦す」ことについて考えました

昨日居場所で第3者委員会の人たちとの懇談会があると聞いたので参加しました。
メンバーが7,8人集まって第3者委員会の人3人と話し合いました。
メンバーはみんなここは良い所だ感謝している仲間が助け合っていると話した。僕だけ不満を話した。
話し合いの後で第3者委員の人たちが僕に聞き取りしてくれたので僕は正直に話した。
委員の人たちはうなずいて僕の話に驚いていた場面もあった。
終わって僕は何とも嫌な気分に成った。僕だけ孤立していると感じた。いわゆる内部告発をした後の複雑な気持ちなのだと思う。そして嫌だった2か月前の出来事を思い出してしまった。

今日は疲れて寝坊した。さらに布団から起き上がるまでに1時間かかった。午前中は部屋に居て昼ごはんを食べに居場所に行った。
ベテランさんに話したら相手の人は気にしていないよと話してくれた。確かに相手は気にしていないのだろう。僕が気にしているのだ。

1人住居に帰り部屋でコーラ飲みながらメジャーリーグを観てそれから風呂に入って考えた。「赦す」しかないな。僕は疲れた。
「許す」のではない.。
個別の嫌だった出来事を無かったことにするだけ。
イエスさまのお名前のもとで赦す、赦される。
みんなも僕も弱い、ずるい人間なのだからと。
でもそれは相手と距離をとるということ。仲良くは成らないのだろう。

聖書に「だれの罪でも、あなた(がた)が赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなた(がた)が赦さなければ、赦されないまま残る」ヨハネによる福音書20-23
と書いてある。まさにその通りだと思う。僕がいいやと思えば流せるのだ。僕はこれでやっていこうと思う。
でもこれが僕のこの居場所での最後の開き直りかなと思います。

僕は赦すよりも相手としっかり話し合ってお互い許し合えれば一番いいと思う。
でも相手は変わらない自分が変わるのが僕が学んでいる当事者研究の基本的な考え方。
僕はどうしたら良いか考えがグルグル回っています。
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「合わせて6割理論」を再び

僕は浦河で変な嫌なことがあり頭に来たので予定を早めて千葉に来た。
その千葉、東京に来る本来の目的のブルース・スプリングスティーンのファンの集まりで一緒に参加する人からのメッセージを9日間気が付かず返事していなかった。
親しい人との電話で傷つけることを言ってしまったみたい。

そんなことがあって僕は今日教会に行った。
玄関でいつもの人に会い話した。
浦河でのことにその人は、僕は年とればいいと話してくれてなるほどと思った。そして老人ホームもお金かかる。その点、浦河いいと言ってくれた。
今日はペンテコステ礼拝 イエスさまの弟子の所に聖霊が降りて来くれてて弟子が宣教を始めた日。教会の誕生日。
ダメな弟子にイエスさまは何度も息を吹き込む。ペンテコステはそのダメ出し。
知ってるもん、あなたを。あなたの情けなさもズルさも。でもそれがいいんだよ。それを変えようとするな。
無学な弟子が布教を始めたから信用された。
あなたの弱さを選び最大限に活かした。
そこがいいんだよ。そうじゃないと伝わらない。
僕はこれはまさにべてるの家の『弱さを力に』ではないかと思った。弱いから伝わる。弱さを知っているから信用される。これだなと思った。
今日は洗礼を受けられた方がいて息子さんの洗礼を受けるのをお母さまが一生懸命スマホで写していた。僕は僕のお母さんが僕が洗礼を受けるのをうれしそうに見ていたのを思い出して涙が出て来た。
今日は聖餐式もあった。いただいたウエハースを食べたら歯に引っかかった。何かおかしかった。
礼拝の後、牧師先生がバラの花びらをみんなに振りかけてくれてみんながまたみんなに掛け合いに成り大騒ぎに。
それからピザを焼いていただき食べて歓談した。楽しかった。

それから今度は地域の居場所に行った。
沖縄の基地問題の映画を観て意見を出し合った。
国会も解散が近いらしい。自分たちの選挙区は区割りが変わったと話してもらった。
それから僕が久しぶりということで僕の話を聞いてくれて僕がブルース・スプリングスティーンのライブを観にニューーヨークに行った話を聞いてくれた。
ブルース・スプリングスティーンを知っている人もいて興味深く聞いてくれてうれしかった。

そんなこともあって僕は何か満たされた気持ちに成った。
もちろん連絡をしなかったことも傷つけた事を言ってしまったことも、そもそもの浦河で怒ったことも、
全て考えるのだけど、ひとまず置いておいて別のことをやりながら眺めてみる。
するとふうっと楽に成り良いアイデアが浮かんで来た。

これは以前僕が考えた「合わせて6割理論」の応用編なのではと思いました。
一か所では満たされなくても他の場所にも行って合わせて6割満足すれば良しとする考え方。
これが合わせて6割に成るだけでなくそれぞれの困難も解決するかもしれない。そう思いました。
礼拝の最後にみんなで言う「神に感謝」とともに皆さんに感謝です。
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「枠枠(わくわく)メソッド」の開発に取り掛かりました

今朝はいろいろぶつぶつ言いながら散歩して写真を撮った。
ふと思った。僕の生き方は写真を撮るように生きればいいかな、いろいろある中で自分の見たい所を見る。
写真を撮る時にファインダーを見て構図を決める時のように。撮る所、撮る時間を考えて撮るように。そうすれば自分の撮りたい写真、生きたい人生を生きられるかなと。
ただやみくもに生きていたら迷ってしまう。何かすごく大切なことに思いました。
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僕らの当事者研究

昨日は僕の以前の居場所のお仲間が僕の写真展を観に来てくれて、その後に3人でファミレスで当事者研究をしました。
「僕が機嫌良く浦河に帰る方法の研究」
明るい未来が開けない。とりあえず楽に帰る。他人の否定を受け取らない。待っていてくれている人のことを考える。などが出ました。
アドバイスでなくアイデアが飛び交った。これは今まで一緒に居た仲間だからそう出来たのだと思います。
僕が機嫌が悪くなった原因として、自分が大事にされていない感じがする。かまってほしいウイルスが飛び交う。
愛されるかまわれ方は?
おもしろくない→イライラ→怒鳴る→避けられる の悪循環
これをかまって欲しいサウンドを奏でることに替える。 OYA SOUNDSを鳴らすといい。
今回の僕が怒鳴ったことをサラッと謝る
忠臣蔵の大事の前の小事と思って謝る
僕は当然と思うことをしないと怒鳴る(コンビニの店員に、ドコモショップの対応も)
でも今回のことで相手が形だけ僕に謝ったと言っていて、僕はそれを言われたらもう何も仲直り出来ないと思ったのだけど、実は僕もそもそも最初は形だけ怒っていたのだったと気が付いた。→これで浦河に戻れる
僕は前の居場所でも怒鳴るという同じことをしてしまったので仲間のことを考えるととても言えないのだけど、
僕は今回の件は形だけ怒るつもりが相手の反応で本気に怒鳴ってしまった。そもそも僕は一応謝ってくれればそれで流すつもりでいたのだと思い出した。
この意外な展開がおもしろくて当事者研究的だなと思った。もちろんみんなに嫌な思いをさせてしまって申し訳ないけれど僕は何か楽になって前に進める気がした。仲間に感謝。
僕はこの研究はこのメンバーだから出来たのだと思う。今までのお互いの積み重ねがあっての研究だと思う。 仲間はありがたいなと思いました。大切にします。
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「トム・アンデルセン会話哲学の軌跡」を読んでの感想

「トム・アンデルセン会話哲学の軌跡」リフレクティング・チームからリフレクティング・プロセスへ 矢原隆行著訳 トム・アンデルセン著を読んでの感想です。
僕は今までリフレクティングをおもしろい話し合いの仕方だなと思っていました。
二人なり何人かで面談話し合いをして、それをもう一つのグループが離れて聞いていて、話し合いをいったん中断して離れていたグループがその話をまとめて感想、さらにどんなことを聞きたいか感想を言う。そしてその感想を聞いてもう一度面談を再開する。そうすると不思議と話をシンプルに分かりやすくそして深く話し合える。そんな面談の技法と思っていました。

それを医療の現場ではマジックミラーで仕切られている2つの部屋に分かれて照明を点けて消して片方の部屋で他方の部屋を見聞きして、また交代して見聞きされて、それぞれの部屋を見て聞きながら面談をするという。
以前僕は東京の居場所で実験でそのリフレクティングをひとつの部屋で端のの照明をつけたり消したりしながら楽しく実験したのを思い出します。
そんなリフレクティングというやり方はおもしろいなと思ったのが僕の最初の感想です。
そのリフレクティングを上手く用いて今注目されているオープンダイアログは行われているようです。

この本ではそのリフレクティングを技法としてだけでなくどう広く医療の場で活用していくかリフレクティング・チームからリフレクティング・プロセスへの過程が書かれていたと思います。

僕は相手を尊重することかな。異なることの大切さ。「あれかこれか」でなくて「あれもこれも」「あれでなくこれでもない」を基本にして面談する。
そしてみんなでアイデアを出し合う。僕の学んでいる当事者研究にも通じるなと思いました。
アドバイスでなくアイデア。相手を思いやり謙虚に聞く。
でも僕はこれを読んだだけでは分からないな。実際のガイドが必要だなと思いました。

実践が先。みんな平等対等ということかな。オープンダイアログ、リフレクティングを行う時にそれは常に意識していないといけないことなのだろうと思いました。
でも僕の疑問としてスタッフとメンバーは完全に対等には成れない。やはり友達つきあいではない、治療なので上下関係というか聞く側聞いてもらう側が出来るのではないかなと僕は思います。

どんな言葉を用いるかが大事。話したくないことは話さなくてよい、それがリフレクティングの倫理。
具体例として「なぜ」の質問はしない。具体的な質問をする。
「代わりに」から「加えて」。「あれかこれか」から「あれもこれも」へ。考えるな、見よ。
密室密談はよくない。開かれた場で話し合う。より多く聞きより少なく話す。
リフレクティングトークではどんな風に続けるかに集中する。新たな解決にこだわらない、自ずと生じる。
注意として実際に話されたことに基づいてリフレクトする。自分で考えた意見は言わない。技法でなく場、間が大切。

僕はこの本は医療者への心得集のように感じました。でも当事者研究を実践しようとしている僕にもあてはまるなと思いながら読みました。
オープンダイアログ、リフレクティングと当事者研究は大切にしていることが共通しているなと思いました。途中読んでいて分からない所はななめ読みしましたが。
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