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Jim Boggia ウクレレ・スプリングスティーン・カバー・ライブに行きました

Jim Boggiaさんのウクレレ・ライブを観に行きました。
ブルース・スプリングスティーンのカバー曲をやるということで
ブルース・スプリングスティーンのファンの集まりBSJのみなさんと観ました。
スプリングスティーンの曲を一緒に歌って楽しかったです。
ウクレレの音色がギターとも違って温かみがあり親しみやすかったです。
僕の弾くウクレレとは全然違いますが。

BSJのみなさんと楽しめたのがよかったです。
その中で僕はBorn in the U.S.A.が激しく動かされました。
僕の好きなThe Promised Landも演奏してくれてうれしかったです。
Rosalitaも盛り上がりました。
そしてDancing in the Dark スプリングスティーン・オン・ブロードウエイでも印象深かった曲。
僕の歌だと思っています。一緒に歌えてとてもよかったです。
今回のLive ジムさんのウクレレに魅かれました。そしてそれをみんなで歌う。すごく楽しかったです。
出来たらブルース・スプリングスティーンのライブを日本で今日みたいにみんなで楽しめたらいいなと思いました。
温かいライブでした。よかったです。
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奥田英朗「向田理髪店」を読んでの感想

奥田英朗「向田理髪店」を読みました。
北海道苫沢町という過疎の町でのお話。
若者は出て行き、年寄りだけが残る希望のない町。
でもその中で何とかしてこの町を良くしたい。一方であきらめもある。
そんな町の理髪店に来る人たちの人間模様を温かく書いてあると思いました。

町民同士のいがみ合いは幾度となくあった。その都度、時間が解決してくれた。互いに頭が冷めて、ほこを収めるのだ。半分はあきらめのようなところもある。顔を合わせないでは生きられないから、適当なところで手を打つしかない。

僕の居場所もそんなところがあると思う。
そんな中で本の最後、対話の力という言葉が出て来た。
僕の最近の関心ごとだ。
何とか知恵を出し合っていくらかでもお互い住みやすくする努力。
それを僕も居場所でやっていきたい。そこに対話の大切さが出て来るのだと思う。

もっとも僕はいい話が好きだけど、なかなかそれを実践出来ないでいる。
でもこの本に登場する人たちのようにお互い対話しながら、大変でも楽しみながら生きていきたいと思いました。
最近、僕は居場所のことで大変なのだけれど、読んでいてこころが温かくなりました。
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僕の大先生ありがとうございました

僕にも僕のお母さんにも恩人の教会大先生の葬儀に教会信徒、牧師先生と参列しました。
ルーテル教会の偉い先生の説教
大胆に絶望する者が復活する。人間にはどうすることも出来ない神のことがある。キリストの愛に支えられた愛の鼓動がドクンドクンとある。それを感じながら私たちはキリストの愛によって生かされている。
僕は今ひとつ説教の意味が分からなかった。でもそういう難しい話を僕の大先生は僕の通う教会で僕にも分かるように話してくださっていた。
そんな僕の大先生が本当はとてつもなく偉い先生だったのだと葬儀のしおりに書いてあった略歴で分かった。
略歴には日本福音ルーテル教会事務局長、総会議長とまで載っていた。

そんな偉い大先生が僕の通う教会に来てくださっていたのだ。
当時僕の教会は大変な時期だったらしく大先生が来て下さり何とか建て直せた。
そして大先生は僕のお母さんが癌で亡くなる時、何回も会いに来てくれてお祈りをしてくださった。
まさに降りて来てくださった。
5回位ホスピスに来てくださり、1回は信徒の人が来るのを待てないでご自分でタクシーに乗りタクシー運転手さんに車いすを押してもらい母の病室に来てくれました。
僕はいきなり大先生が車いすで現れてびっくりしました。

お母さんはお祈りしてもらいながら一番大切な所になるといつも眠ってしまったけれどありがたかったです。
そしてお母さんは天国に安心して行きました。

僕はその後、大先生や信徒のみなさんがそこまでしてくださったのがうれしくて感謝の気持ちで毎週教会に通うようになりました。
今では僕の大切な居場所のひとつになりました。

葬儀の最後に参列者が大先生の家族の方にあいさつして退室しました。僕は息子さん娘さんに「先生のおかげでお母さんは天国に行きました。ありがとうございました」と話して帰って来ました。

そんな大先生だけど普段はニコニコしているおじいちゃんでした。礼拝の時にはきびしい表情でした。
生涯一牧師。かっこいい大先生でした。
僕の大先生、ありがとうございました。

僕の大先生、僕のフェイスブックの投稿を読んでいると言ってくれていて
いろいろあるようですねと言ってくれていました。


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天国の大先生

僕の通う教会の大先生が亡くなられた。
実感が湧かないまま信徒の方の車に乗せていただき九十九里のご自宅へ行った。
大先生が眠られていた。
おでこを触らせていただいた。冷たかった。
何か考えがまとまらない。

2週間前のイースターでの説教が大先生の最後の説教だった。
僕はそれに立ち会えたのが幸運だった。
ただ今はあまり思い出せない。放心状態とでもいうのかもしれない。

残念なのはその時に説教を聞いた感想をしっかり伝えるべきだった。
また今度話そうと思ってそのままになってしまった。

とにかく僕は大先生のご自宅に行き大先生にありがとうございましたと話した。
今はそれだけのやれることをやった。
後からいろいろ思い出が出て来るのだと思う。
大先生は勤めを終えられて天国に行かれた。
ご自宅の庭がきれいなお花畑だった。
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