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北海道浦河の夏

北海道浦河ではクーラーがほとんどの家でついていないです。
僕は浦河の部屋で扇風機をつけて涼んで本を読んでいたらふと懐かしい思い出が浮かび上がって来ました。
千葉での僕が中学生の夏休み。父親が夜勤から帰って来てウイスキーのソーダ割りを飲んで、
僕はオレンジジュースのソーダ割りを飲んでいました。
それから勉強をしていました。
浦河の夏は僕の子供の頃の千葉の夏に似ているなと思います。クーラー無くて扇風機でしのげる程度の暑さだったように思います。
ふと扇風機にあたっていたら昔の思い出が浮かんで来ました。

でもこれは3日前までのことで今は暑くて図書館に避難しています。
僕の住む部屋はアパートの2階。トタン屋根で天井から日射の暑さが降りて来ます。昔に倉庫作業していた時の暑さの感じです。
頭がぼーっとして来て危なかったです。
地球温暖化のせいもあるのだろうなと思います。
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僕の話したいこと

僕はべてるの家に居るけれど、ここでは僕は自分の話したいことを話していない。
僕がブルース・スプリングスティーンのライブを観にアメリカに行った話をするとうらやましがられて嫌われる。
お金の無い人たちにはこういう話はタブーみたいだ。
今日は見学に来た人に僕の刺繍の話をした。熱心に聞いてくれたけれど僕はそれほどおもしろくない。
営業セールスしているような気持ちに成る。
自分の話したい話も出来ないで何が居場所なのだという思いもある。
まあブルース・スプリングスティーンの話はファンの集まりですればいいのだけど。
でも僕の気象予報士ネタもここではほとんど話さない。何か自慢話を嫌がられる感じがする。
浦河の教会でもお客さんに自己紹介した時に僕は当たり障りのない話をした。
でもこうしていると僕のidentityは何なのだろうと思う。
ただ居場所で嫌われない為に言いたいことも言えずに居続ける。
どういうものかな?と思う。
煮詰まって来たので来週千葉に1週間帰ることにした。
実家の庭の草刈りをする。
夢の2拠点生活とは違う気もするけれど。
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「水曜の朝、午前3時」蓮見圭一著を読んでの感想

「水曜の朝、午前3時」蓮見圭一著を読んでの感想です。
小説でも読みやすい文章と読みにくい文章があるなと思いました。この小説の文章は硬い文章だなと思いました。
何か嫌な小説だな。下品な興味で読んでいるみたいで嫌だなと思いました。
死期が近い主人公が娘に送った録音テープを聞く設定の小説だったけれど僕は好きに成れなかった。
「私のなかに残っているのは楽をしすぎてしまったという思いなのです」
そんな女性の半生が書かれていましたが、僕はこの女性を良いとは思えませんでした。
何かワクワクするようなおもしろい文章を読みたいな。久しぶりに村上春樹を読んでみようかな。
あーすれば良かったこーすれば良かったと僕も死ぬ前に思うのかな嫌だな。この小説は怨念のようにさえ感じました。
でも洋楽の話がところどころに出て来たのは良かった。この小説のタイトル「水曜の朝、午前3時」はサイモン&ガーファンクルのアルバムだなと思いました。
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「べてるの家」の由来

聖書を読んでいたら旧約聖書に僕の居るべてるの家の名前の素のベテルが出て来ました。
「その場所をベテル(神の家)と名付けた」創世記28章19節
ベテルと名付けたヤコブという人は全ての人類の先祖アブラハムの孫なのだけれど、その生き方があまりにも人間臭い。
自分が兄エサウの代わりに神さまからの祝福を受け継ぎたいと考えて、弟のヤコブの方が好きな母の助言通りに目が見えにくくなった父イサクをだまして暗闇で兄エサウになりすまして父から代々続く神さまの祝福を得てしまう。
だまされる父も悔しがる兄も兄を恐れて逃げるヤコブも情けないなと僕は思う。
こんな人たちが人類の先祖なのかと馬鹿らしく感じる。
でも人間とはそんな情けない存在なのかなと僕は思う。
そのヤコブが逃げる途中で寝泊まりした場所に神さまが現れてヤコブは祝福してもらったのでその場所をベテルと名付けた。
そう思うと僕が今居るべてるの家もすごく人間臭い、情けない場だと思うと納得がいく。
人間なんてそんなもんさという開き直りというか達観するとべてるの家はすごいのかなと思えたりもする。
でも実際は毎日毎日生きるのに精いっぱいでそれこそ情けない人間臭い生活をメンバーも職員もしているのかなと思います。
僕も毎日毎日べてるの家に行く情けない自分が少しだけいいなと思いました。
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