goo

平野啓一郎さん「空白を満たしなさい」の感想

平野啓一郎さんの「空白を満たしなさい」を「マチネの終わりに」に続けて読みました。
僕は平野啓一郎さんは幸せの時を描くのが上手いなと思います。読んでいて幸せに感じます。
その一方で嫌なことを描くのも上手い。僕は先を読みたくなくなる程に嫌に描かれます。
「空白を満たしなさい」で主人公徹生は一度死んだのが生き返って来た人。妻の千佳、小さい子供の璃久(りく)に家に戻って会ったら「3年前に死んだのに」と驚かれるという話から始まる。
そして徹生が嫌な人に会った時の話、千佳もその嫌な人に会った時の話、僕は読むのが嫌になる程にその人が嫌いになった。
でも僕はその人もよく考え直してみるとなるほどそうだな、そういう見方もあるかもなと思えて来た。
自分の価値感に自分を合わせようとするときつい。今の上手くいかない自分に自分の価値感を落とす。
僕も認めたくない生き方だけど認めないと生きていけないのかな。そんなことも感じながら嫌々読んだ箇所もありました。
一方で徹生と千佳が久しぶりに交わったシーンは素敵でした。よかったと思いました。あこがれました。
これがあったから僕はこの本を読み進められました。

そして「分人」の話。人は恋人と会っているうれしい時の分人、親と会っている時の分人、職場にいる時の分人、嫌な人に会っている時の分人、などそれぞれ違う分人で生きている。その分人同士で見守り合う。そういう生き方をすると楽に生きられると書いてありました。なるほど、それぞれが自分なんだ。そう思うと嫌なことも嫌な人も流せるかなと思いました。

そして僕が一番のテーマだと思ったのが「マチネの終わりに」でもテーマになっていたと思うのだけど、
過去は今の自分の生き方で塗り変えられる。
僕の学んでいる「当事者研究」やいろいろな自助グループでも言われているのが、
過去は変えられない、変えられるのは今現在。
という考え方。
でもこれは本人が一生懸命生きていればいつか過去の嫌だった出来事にも違う見方が出来るようになるのでは、
一人ではなかなかそれは出来ないけれど、みんなと一緒に楽しい時を持って生きていれば、
過去の嫌な思い出も許せるようになるのでは、過去の出来事に違う意味が出て来るのではと僕は思いました。

それが「分人」という考え方を使うと自然に考えられるのではと思います。
僕もブルース・スプリングスティーンの初来日公演に行きたかったのに入院してしまい行かれなかった。
でもいろいろなこころある人に出会えて手助けしてもらい何度もブルース・スプリングスティーンのライブをアメリカに行って観れた。
今は初来日公演に行かれなかったことが別の意味になっている。
そんなことも考えました。
その中で僕が大切だったと思うのは、一人では出来なかった。いろいろな人とのつきあいでこれが出来たのだと思います。

そして僕も平凡な考え方かもしれないけれど、人生は一度きりだからいいのかも。僕も一生懸命生きようと思いました。
僕はそんなことを読み終わってから考えました。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )