自分の周りの空を写します
北東気流の街に生まれて
金環日食とブルース・スプリングスティーンのコンサートの違い
僕は仕事が早朝からなので職場に休みを取って、
万全の態勢で待っている。
でも明日、空に雲が覆っていたら何も意味が無くなってしまう。
何とも無慈悲なものだと思う。
一方、ブルース・スプリングスティーンのコンサート。
これはコンサート会場に行ければ
その時点で最高の思いが出来ると期待してもいいのだと僕は思っている。
「あなたの一生は保証出来ない。でも今夜は保証する」
ブルース・スプリングスティーンが若いころにライブの初めに言った言葉だ。
そしてブルース・スプリングスティーンがその言葉の通りに演奏する。
PROVE IT ALL NIGHTとしてプレイしてくれる。
それをブートで聴いて見てきた僕は充ち足りた気分になる。
そして僕はまた頑張れる。
今回のブルース・スプリングスティーン&ジEストリートバンドのライブでは
俺達がここにいて
あなた達がここにいれば
彼らもここにいる
というフレーズがライブの芯になっているようだ。
コンサートは一期一会であるとブルース・スプリングスティーンは心得ているのだと思う。
だから彼らはコンサートに来た人が満足出来るように全力でプレイする。
僕は会場に行ければ保証されるのだ。
だから僕は何とかしてその会場に行くんだと思ってきた。
ブルース・スプリングスティーンのコンサート。
一生に一度の機会かもしれない。
それを彼らはよく心得ているのだと思う。
だから過剰なぐらいに全力を尽くすのだと思う。
スポーツ観戦をすると自分の応援しているチームが負けるとがっかりする。
負けるにしてもやる気の無いプレーを見たりすると、
なおさらがっかりした損した気分になる。
せっかく自分も頑張ってここまで来たのに、楽しみにしていたのにと。
一方、ライブは良い演奏の時も失敗してダメな時もあるという人もいる。
エリック・クラプトンなどは若い時はライブは実験だと言って、
最高にうまくいった時もあれば、
ボロボロだった日もあったと聞く。
それがライブなのかもしれない。
僕が考えるには、
ブルース・スプリングスティーンはそういうライブとは
異なったコンサートをしていると思う。
演劇的というかブルース・スプリングスティーンはある意味ライブを演じているのだと
僕は思う。
悪い言葉で言えば計算して考えている。
最近読んだ記事で覚えているものがある。
ブルース・スプリングスティーンは魔術師だと評論していた。
裏にはタネがあるのだと。
僕は3年前、ボストンまで行って彼らのライブを見た。
僕はライブが最高潮に達したところで、
ブルースがステージの前で本当に長い距離を実際に全速力でスライディングしたのを
僕の目の前で見て僕はすごく感動した。
そこまでブルースがしてくれたと。
でも最近分かったのだがブルースは長いスライディングをする前に
ズボンのすそに水をたっぷり濡らして滑りやすくしている。
またライブの写真でブルースが髪の毛から額までもの凄い汗をかいて、
顔を振ったら汗が飛び散る写真、映像があるが、
あれもあらかじめバケツの水をかぶっているのであって、
実際にあんなに大汗をかいているのでは無い。
でも僕はそのブルース・スプリングスティーンの全力でやるコンサートを見て、
僕は生きているぞ。
今まで頑張って生きてきたから、このすごいコンサートを見れたんだ。
生きてきてよかった。
ブルースありがとうと思った。
そういう思いをさせてくれるのが一晩を保証してくれる
ブルース・スプリングスティーンのコンサートなのだと僕は
ずっと思い込んできた。
今回のブルース・スプリングスティーンのライブツアーもいろいろな大変なこともあったが、
いろいろな人の手助けを借りてワシントンDCまで行って
9月にライブを見てくる。
今回は一晩だけ。
まさに一期一会だ。
いろいろな苦労、一生懸命の思いでコンサート会場に僕は辿り着く。
そしてブルース達はそれをわかってくれているかのように
それに応えて一生懸命にプレイしてくれる。
たとえ演奏の出来が今ひとつでも僕はその気持ちを受け取って
これからの人生をまた生きていく、
次の彼らのライブを見る時まで。
おおげさに言えば
人生に不条理がある中でも、
保証される時間、空間がある。
それがブルース・スプリングスティーンのコンサートなのだと僕は思っている。
金環日食はその時、場所にいても見れないかもしれない。
でもブルース・スプリングスティーンの熱いライブはコンサート会場に行けば必ず見れる。
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