かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

仏師から見た日本仏像史

2022年04月01日 | Books
今日は、朝から、冷たい風雨。
雨は上がったが、冷え込んだまま。
ウクライナも、コロナも、まだまだ先は見えない。
エイプリル・フールが、ずっと続いているようなものだ。



本書は、新聞の書評を見て、面白そうだったので、ゲットした。

本書は、”仏師から見た”のところが、売りになっているようだが、それに止まらず、日本の古代史、仏教史にも、ディープに踏み込んだ、総合的な本だった。
先日の六波羅蜜寺展に展示されていた仏像も多く取り上げられているが、鎌倉初期までの有名な仏像は、ほとんど触れられている。
少し、高度かもしれないが、仏像に興味のある人には、是非お勧めしたい1冊だ。

改めて認識されたのは、2点。

1点目は、我々が目にしているすばらしい仏像群だが、かつては途方もない数の仏像が作られ、そのレベルも、今残されているものよりも、高かったかもしれない仏像が、多く作られたが、そのほとんどは失われてしまっていること。
文献で、その存在、様子は、想像できるのだが、残念ながらそれ以上のところは、想像するしかない。

2点目は、寄木造りについて。
まず木製の仏像が多くなったのは、他の素材の仏像は、製作が難しかったり、日本での素材調達が難しかったことによる。
そこまでは、わかっていたが、木造はどうしても、ひびが入ってしまうリスクが高く、中を空洞にするために、当初は、一旦仏像ができてから、前後に切って、中をくり抜いて、再度合わせるという手法がとられたのだという。
流石に、それでは、罰当たりということで、中を最初からくり抜いたものを、前後、別々に作って合わせる手法がとられるようになり、それが、発展して、寄木作りになったのだという。
その結果、分業が可能になったのだが、最初から、分業を可能とすることが目的ではなかったらしい。

きり金(きりがね)の技術についての話しも面白かった。
ほとんど途絶えかけた技法を、少しづつ復活すべく、努力している職人さんがいらっしゃる。

写真は、白黒のもの中心に少しだけなので、本書を片手に、実物の仏像巡りをすると楽しいだろう。
私は、取り上げられている現存する仏像の8割は見ているように思う。
廃寺になって、今は残されていない寺院の話は、知らない話が多かった。
今は、訪れても、石碑や、看板しか残っていないだろう。

何度見ても、いい仏像は、いいので、これからも仏像巡りを続けようと思う。
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