かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

太陽の塔

2022年12月20日 | Kyoto・Osaka・Shiga ( Japan )


今日も好天だが、寒い1日。
万博記念公園に行って来た。
2年ちょっと前に行った時は、コロナで、再生なった太陽の塔に入れなかった。
公開再開したので。
朝の方は、中学生の団体が入っていて、予約が取れたのは、11時半の回。
このシーンを見ると、わくわくする。
万博が開催されていた当時は、まだこのモノレールはなく、たぶんバスで行ったのだと思う。
小6の夏休み。
今から思うと、よく行けたものだ。
両親も、子供の楽しい夏休みの思い出作りのために、一所懸命だったのだろう。

 

太陽の塔を保存することは、なかなか決まらず、また、決まってからも、保存するために、相当手を加えている。



中には、後ろ側から入る。
当時も公開されていたのだが、行けなかった。



時間があったので、太陽の塔の中に入る前に、前回も行ったEXPO'70パビリオンへ。
当時の鉄鋼館の建物を移築して、パビリオンにしたそうだ。



1階が特別展、2階が常設展。
2回目なので、よりゆっくり、落ち着いて見れた。
1階の特別展の展示も、前回とかなり似ていた。
これは、当時の鉄鋼館内のイベントスペースをそのまま保存したもの。
今も、音と光のショーが見れる。
当時は、いろんなイベントが催されたようだ。



万博会場の模型。
本当に夢が、現実になった感じだった。
混んでて、ほんの一部しか見れなかったのだが。
アメリカ館と電力館に行ったことだけは、はっきり覚えている。
その他は、行列の短いところを少し行っただけだと思う。



当時の万博の歴史を説明したポスター。
何故か、渋沢栄一が行った1868年のパリ万博がない。
その次のウイーン万博が、日本政府として初参加とある。
パリ万博の時は、まだ、江戸時代だったのはわかるが、何故万博自体をなきものにしてしまったのかは不明。



前回も紹介したメリーホプキンショーのポスター。
今となっては、貴重なものだ。



さて、塔の中に入ると、まず、太陽の塔が生まれるまでの岡本太郎のスケッチ群。
どういう発想から、太陽の塔が生まれたか?
このデッサンを見ても良くはわからないのだが。



これも復元された地下の太陽。
ほとんど忘れられていた。
当時の記録、写真を頼りに見事復元。
何種類かのプロジェクションマッピングで、楽しませてくれる。
ここから、小グループに分けて内部へ。
耐久性の問題もあり、この先も、時々、人数制限のための時間調整が入る。



そして、これが、生命の樹。
見事というか、クレージーというか。
ジャックと豆の木みたいな樹に、地球誕生から、人類発生までの生命の営みが、展示される。
特に、恐竜は、大きく、場所も当時のまんまという。
塔の壁を厚くしたため、動物数は、少し減ったらしいが、見事としか言いようがない。
最初に作った人も、再建した人も。



写真は、危険防止の観点から、1階からしか撮れないが十分楽しめる。
ゴリラの頭部が壊れていたが、あえて、壊れたまま展示して、年月の長さを表現しているらしい。
当時は、ここだけ機械仕掛けで動いていたのか。
太陽の塔の腕部分が、生命の樹の最上部だが、当時は、一方の腕がエスカレーターになっていて、屋根に出れたという。
もう一方は、非常階段になっていて、それは、今も再現されていた。

岡本太郎ワールドを、巨大な3次元アートに昇華させた大作。
内部公開されている内に、一度は、見ておくべきだろう。
高度成長期のど真ん中だったから、出来たような気もするが、素晴らしい❗️
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