
今日は、千葉県にある名門コースでプレイ。
アクアラインの重体が心配で、早めに着くように出るのだが、ひどい渋滞ではなかったので、ずいぶん早く着いた。

この猛暑だが、コンディションは、すばらしい。
相変わらずの暑さとの闘いだが、パットは、まずます。
スコアは、10点満点で、4.5点ぐらい。
500mlのペットボトルを4本飲んだ。

本書は、本屋で見つけた。
買ってから気づいたのだが、2009年初版で、ゲットしたのは、第8刷。
著者の溝口さんは、既に亡くなられていた。
ただ、その内容は、ひじょうに興味深いものだった。
本書は、アマテラスが、神々の中心になったのは、7世紀ころで、その前は、タカミムスヒが中心であったという。
それまでは、アマテラスは、伊勢地方の地方神に過ぎなかったが、従来の神々の伝承に、北方ユーラシアの伝承が重ねられる段階で、タカミムスヒと並びたつ存在となり、古事記編纂の時に、中心として据えられた。
しかし、タカミムスヒ中心の伝承も残され、古事記の二重構造を生むことになったという。
また、アマテラスが、急に主神としてあがめられることもなかった。
古事記を読むと、話がねじれたり、時代がごっちゃになったりして、混乱するが、この二重構造が、原因になっているとすると説明できる事象も多い。
そもそも文字ない時代に、数百年にわたって伝承がなされること自体、無理があり、5~6世紀以降の部分には、真実が含まれているにしても、それ以前は、他から流入した話を元に創作したと考える方が自然で、その流れで、古事記をとらえるとわかりやすい。
そして、そこには、唐、新羅の状況を見て、新たな日本の土台を築こうとした天武天皇の意思が大きく影響している。
そして、それをベースにして、氏姓制度を整理、再構築し、天皇中心の世を確立しようとした。
ただ、日本書紀が完成するころには、天武天皇の意図も忘れかけられてきていたのではとも考える。
アマテラスが、かならずしも絶対的な神々のトップではなかったこと、そして、その変化が、7世紀末頃から始まる記紀の編纂=日本の始まりの時期に起こっていること、アマテラスが祀り上げられる前の痕跡も、記紀に残されていることは、確かであるように思えた。
たいへん説得力のある一書であると思う。