かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

モンゴル帝国と長いその後

2008年03月05日 | Books
講談社の『興亡の世界史』シリーズは、ずっと読んでいるが、それぞれの巻の切り口が、ユニークで、バラェティに富んでおり、読者を飽きさせない。

最新刊は、『モンゴル帝国と長いその後』。モンゴルと言えば、『元寇』、『朝青龍』。要するに、野蛮?な暴れん坊?のイメージ。ヨーロッパにおいてもそれは、変わらない。かつて読んだ小説でも、言うことを聞かない国に対しては、殺戮と略奪の限りを尽くしたとなっていた。でも、これらは、後に作られた姿で、モンゴル帝国こそ、ユーラシア大陸全体を初めて一つのものとして捉えた人類史を変えるイベントだったと本書は説く。大航海時代より、200年も前のことだ。人類史上初めて、世界という概念がモンゴルによって生まれた。
殺戮と略奪は、後に作られた誇大広告で、実は、回りの国々と協調関係を結びながら、緩やかに勢力を拡大していったのが実態だというのだ。例えば、元寇だが、日本を征服するほどの船団を送ることは当時不可能ではなかったという。北条家の誇大宣伝ではないかというのだ。確かに、13世紀に、日本海を越えて、日本を征服するほどの船団を送れたか。陸続きの韓国だったらまだしも。

この本の最初では、ユーラシアという切り口から、西>東の虚を一刀両断にする。亜細亜という言葉は、アッシリアの『アス』という言葉から来ており、その意味は、単に『東』という意味だという。『欧羅巴』は、単に『西』の意味だった。それが、だんだん欧>亜になったのは、その後造られたもの(ヒストリーではなく、単なるストーリー)だと本書は言う。西>東のストーリーをヒストリーをするべく、いろんな作り話が権威付けされて歴史となった。

モンゴル帝国は、元が崩壊後、急速に縮まったように見えるが、本書によると、インドのムガール帝国は、モンゴル人の血を引くティムール帝国から派生しているし、ロシアの元祖のイワン4世も母方は、モンゴル人の血を引いていたという。
ということは、20世紀初頭まで、モンゴル帝国の築いた体制は、清、ムガール帝国、ロシア、オスマン帝国、神聖ローマ帝国と姿を変えて、ユーラシア大陸全体で、息づいていたのだ。そして、今のアフガンの問題にまで、つながっている。

恐るべしジンギスカン(そこまで、想定していたと思わないが、ユーラシア大陸全体を意識した帝国を築いた)。

学校で習った世界史は、各帝国が作った正史を基にしているものが多いが、それらにより抹殺された本当の歴史を掘り起こすことにより、より真実に近い歴史(真史?)がにじみ出てくる面白さを味わえる本だ。
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