かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

シルクロードと唐帝国

2008年03月12日 | China・Mongolia


興亡の世界史の第五巻は、シルクロードと唐帝国。
隋・唐といえば、漢民族による中国が最強・最大で、ウィグル、チベット等周辺諸国を従わせ、中華思想の原点となった時代という印象がある。
でも、この本は、またまたこの漠然とした所謂常識を否定する。

この常識は、唐帝国を正史を作る際、建国時に実際に主導的な役割を果たした中央アジアを支配していた騎馬民族の存在を隠蔽したことにより、生み出されたという。
つまり、唐は、漢民族の国家が巨大化したのではなく、そもそもの成り立ちからして中央ユーラシア型国家で、まさにモンゴル帝国で完成された騎馬民族中心の国家の原点だったというのだ。ふぅむ....

著者は、トルコ系諸民族が、唐のことをタブガチと呼んでいたのだが、これは、タクバツの意で、唐は、漢民族の王朝ではなく、タクバツ(騎馬民族)王朝だったと考える。
唐とチベットが会盟(講話条約)を結んだことは、チベットに石碑が残っており知られているが、ウィグル、チベット間でも同様の会盟が結ばれたの見方がでてきて、ついに唐・チベット・ウィグルの三国会盟であったということが判明したのである。随分、大唐帝国のイメージが変わってくる。

漢民族を中心にして、大きくなったり、小さくなったり、他民族に支配されたり、支配し返したりという中国の歴史を習ってきたように思うが、コペルニクス的発想の転換で、中央アジアを軸にした歴史感を持たないと、本当のユーラシア大陸の歴史は、見えてこないのかもしれない。
ただ、残されている資料は少なすぎるし、今の中国にとっては、何のメリットもない研究だから、なかなかその方向での研究には、限界があるだろうが。

コメント
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