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「バカの壁」の手前で・・

 筒井康隆の「アホの壁」を読みたいと思った。しかし、その前に養老孟司の「バカの壁」(新潮新書)を読むのが筋だろう、どうしたってそうだろう、と思った。だが、残念なことに私は「バカの壁」は読んでいない。確か刊行されて間もない頃に買った覚えはあるのだが、どこに行ったのか書棚を探しても見つからなかった。仕方なく、書店でまた買って読み始めたのだが、大ベストセラーとなった名著なのに面白くない。書いてあることが真っ当過ぎてわざわざ読むまでもない、そんなことさえ途中で思ってしまった。何を偉そうに、と詰難する声が聞こえてきそうだが、ここで取り繕っても意味がない。はっきり言って期待したほどではなった・・。
 もちろんそこかしこに警句がちりばめられ、大いに参考にすべき点はいくつもある。しかし、この書が口述筆記という体裁をとっているためなのか、深く心に沁みてこない。講演会に行って、「なるほど!」とその場では思っても、家に戻るとほとんどその内容を覚えていない、それとよく似た印象だ。それはただ単に私の理解力が不足しているだけかもしれないが、要は私とは縁の薄い書物だったということなのかもしれない。
 そうは言っても最後まできちんと読んだ。かなりペースは遅かったが、飛ばし読みなどしなかった。読み終わった時には、「ああ、これで筒井康隆が読める」、そんな感慨しか持てなかったのは、何とも失礼な話であるが・・。

 今思えば、作者がいったいどういう人々を「バカ」だと考えているのかが判然としなかったのが、論説に没頭できなかった一番の原因だったように思う。「バカ」の定義・・。そう考えていたら、「そう言えば」と思いついたのが、五味太郎の「馬鹿図鑑」(筑摩書房)という本だ。



『世界中の馬鹿が一堂に会した人間図鑑! ときどきはっとするほどのすごいことを思いつくのに、なにしろ馬鹿だから、その思いつきのすごさに気づかない…。そんな馬鹿について、馬鹿にしないで馬鹿にしてみる絵本』
などということが帯に書いてある本だが、世の中に棲息する様々なタイプの「馬鹿」について、珍妙な絵とともに珍妙な解説を加えている。絵本と言っても、「ううっ!」と唸ってしまうことも度々で、まさに馬鹿にできない内容になっている。
 以下に、印象的な文をいくつか引用してみる。

・『学力・知力・理解力・総合力とかとか、なにしろ力を脳につけるエクササイズを続けていたので、その結果、脳の筋力が馬鹿についてしまった、馬鹿。力は入るが使い道がね・・・という馬鹿』

・『はっきりズレている、でもそのズレ方に法則性も規則性もないので、そこが不安、という馬鹿。加えて、それは当人にとって中心がズレるのだから、そのズレに自覚が乏しいというタイプの馬鹿』

・『積極的にゆくべきなんだろうけどね、ちょっとリスクがね、いや、もう少し待ってみるべきなんだろうかね、でも、このままのような気がするけどね、えーと、どーしようかな、うーん、えー、なんて次元の馬鹿』

 
 別にこの国の総理大臣を念頭に置いて、「馬鹿」を選んだわけではないので、悪しからず・・。
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