goo blog サービス終了のお知らせ 
goo

息子

 息子は、年末の30日に帰ってきて、今日7日に戻っていったから一週間以上家にいたことになるのだが、振り返ってみるとあまり接触した覚えがない。息子が出かけることが多かったのと、私が塾で忙しかったせいもあるのだろうが、ろくに話もしなかったような気がする。男親っていうものはなんだか邪険にされる存在のような気がするから、あえて近づこうともしなかったのかもしれないが、それにしても、直接話をしたのはほんの僅かだったような気がする。でも、何を話したんだろう、よく覚えていない・・・。
 私は高校2年の終わりにある理由から父に我慢ができなくなって、結婚するまでの7・8年間一度も口をきいたことがなかったから、それに比べればまだ息子との意思の疎通は少しはできていると思うが、面と向かって話す機会はなかなかなかった。無理やり思い出せば、
「ハンカチ君と会ったことはある?」
「ないよ」
「ふ~ん」
「年末にTVに出て抱負を語っていたらしいね」
「おお、それは見た。勉強が全く面白くないって言ってたなあ」
「噂によるとかなり成績が悪いらしいよ」
「あれだけ野球をしてればなぁ・・」
などと息子に直接関係ない話をしたことしか覚えがない。
 以心伝心なのか、伝えるべきことが何もないのか、微妙な関係だが、これが息子と父親の当たり前の関係だと思わないでもない。
「大学で彼女はできたか?」と聞いてみようかとも思ったが、それもなんだか照れくさくて聞けない。でも、まだ息子ならちょっと頑張れば聞けそうな気がする。娘に「彼氏はいるの?」などとは絶対聞きたくはないから、自分でも可笑しなものだと思うが・・。
 久しぶりに会った娘がどことなく今まで違っていたのは、4日の記事に書いたが、息子のほうは1年前と何も変わっていない印象だ。服装の趣味も髪型も、話すことなども大して変わっていない気がした。名古屋と東京ではさほど変わりはないのだろうか、私にはよく分からないが、大して世間ずれしていない気がするのは息子の持つ特異性なのかもしれない。そういえば、大学の先輩からは結構不思議キャラとして扱われているような話をしていた。
 でも、土曜日に妻の助言を得ながら作ってくれた「茶碗蒸し」には驚いた。塾が終わって遅い晩御飯を食べていると、妻が、その茶碗蒸しは息子が作ったものだと教えてくれた。それならそうと言ってくれれば記念に写真を撮ったのにと、かなり残念な思いがしたが、なかなかおいしくて息子が作ったものだとは思いもしなかった。自炊するからと言って、妻が父の作った野菜をダンボールに詰めて、せっせと送っているのは知っていたが、本当に息子が料理できるなんて知らなかった。去年までなら台所に立つ息子の姿を見たことがなかったから、これだけでも大学に入って進歩したことかな、と少々嬉しい気持ちになった。それに反して、娘は卒論のための実験で忙しくて外食ばかりだそうだから、果たして茶碗蒸しを作ることができるだろうか・・。今度帰ってきたときに作らせてみよう。
 でも、茶碗蒸っていったいどうやって作るんだろう、私が勉強するほうが先だ・・。

 しかし、これでまたしばらく若者たちがいない家になってしまった。何だか寂しくなってしまうが、それはもうこれからの我が家の宿命みたいなものだから、仕方がない。ただ、過ぎていく時間を家族でじっくりと味わえれるように工夫していかなくてはならないと思っている・・。
コメント ( 8 ) | Trackback ( 0 )