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霊能者

 小池靖「テレビ霊能者を斬る」(ソフトバンク新書)を読んだ。と言うと、このところ何かと糾弾されることが多くなってきた江原啓之について文句を言うために読んだのか、と思われそうだが、去年の暮れに「江原さん、細木さんから、ユリゲラー、FBI超能力捜査官まで、新進気鋭の宗教学者がブッタ斬る!」という帯に書かれた威勢のいい文言に惹かれて思わず買ってしまった、というのが本当のところである。ただ、実際に読んでみたら、帯に書かれたほど「テレビ霊能者」をブッタ斬っているわけではなく、「霊能」を持つと自称する彼らがTVを通じて一大ブームとなってきた時代背景や社会状況を解説するといった、なかなか読み応えのある内容となっている。
 私は江原の番組をほとんど見たことはない。もちろんその著作も読んだこともないから、彼が「霊能者」であるかどうかを検証する資料はまったく持っていない。というより、そんな必要はないと思っている。彼が「霊視」によって守護霊が見えると言うのなら、本当に見えるのかもしれない。「見える」と言い張る人物に「見えるはずがない」と言ったところで、水掛け論になるだけだ。そんなことはどうでもいいし、「霊視」から彼がご託宣めいたことを言うのだって、言われた相手がなるほど!と納得すればそれでいいと思っている。そんなことを信じる奴はバカだ、などと非難するのも傲慢なような気がするし、人情の機微が分かっていないようにも思う。相談者が言って欲しいと思っていることを言ってやることも、カウンセラーの大事な仕事の一つであろうから、たとえきつい言葉でも、言われた相手がそこから得るものがあれば、素晴らしいアドバイスということになる。
 しかし、それは個対個の場合においてである。個人的に「霊視」しようが、そこから見えたものによってどんなことを言おうが、不当な金品を要求しない限りは問題とはならないだろう。江原の場合はそうした個の範囲でとどめておくべきことを、TVという不特定多数の人々に届く媒体を通して行っていることが、そもそもの間違いであるように思う。恐山のイタコをTVカメラの前に連れてきて、「口寄せ」をさせるようなことを毎週毎週TVで放送しているのだから、どう考えてもおかしい。恐山という空間においてのみ行われてきたものを白日の下に晒してしまう、そんな一種暴挙とも呼べることが可能になったのには、TV局サイドに視聴率至上主義があるためだとも言えようが、本書ではそのあたりの事情を以下のようにまとめている。

 ・オウム事件直後はしばらく作られなかった霊能番組が。2001年頃から復活してきた。江原啓之の番組はその筆頭である。
 ・通常のカウンセリングではできないような「断定口調」は、悩める現代日本人の一部の支持を得たとみることができる。
 ・江原流スピリチュアル・カウンセリングのメッセージは特に、格差社会で結婚・出産もままならない独身女性たちに、強力な「救い」となる潜在的な可能性がある。
 ・江原のマーケッティングのうまさは、祖先崇拝に基づく日本人の宗教観を否定せずに、英国スピリチュアリズムを説き、さらに、批判されそうなポイントをあらかじめある程度封じ込めているところにある。

 「独立不羈」という言葉がある。広辞苑に拠れば「他からの束縛・制約を受けることなく、自分の思うところに従って行動すること」とある。現代人の中には、そんな独立不羈の精神などとうに忘れてしまい、己の行動を他者の意図に委ねて決定している者たちが多く見受けられる。進取して活路を見出そうというよりも、当たり障りのない玉虫色の選択を、他者に依存しながら行っている者たちのなんと多いことか。かくいう私だってその一人かもしれないが、そうした他者任せで自己に責任を持たない者たちが多くいるため、強い口調でアジする者たちの闊歩を許してしまっているような気がしてならない・・。
 それは大阪で知事になった、元「茶髪の風雲児」が人気を博した背景にもあるように思う。自己をしっかり持ち続けていないと、なんだか危ない方向に行ってしまいそうな昨今である、気をつけねば。
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