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光琳

 先日自室の床に散乱していた書物を整理していたら、2005年10月号の「芸術新潮」が出てきた。「大特集 光琳の七不思議」と題して、尾形光琳の遺した業績をさまざまな角度から検証してある。その冒頭の一節が光琳の生涯を端的に表しているように思われるので、引用してみる。

 尾形光琳(1658~1716)はふしぎな画家です 都のぼんぼんで女たらしで借金まみれで、絵師の仕事もどこまで本気かわかりません けれどもそんな彼の絵が、日本絵画史を転回させた 大雅も応挙も若冲も、光琳がひらいた画境なくしてはありえなかった 天才という言葉ではかたづかない、ひとすじなわではいかない光琳の七色の謎に、多士済々の美術史家10人がせまる大特集です

 7つの謎と言われても、さほど光琳に詳しくない私にはよく分からないことも多かったが、2大傑作と言われる「燕子花図屏風」に関する「なぜかきつばただったのか」と、「紅白梅図屏風」に関する「金箔か金泥か?」という記事は読み応えがあった。
 そこで、この2つの屏風を探してきた。




 じっと見ていると、実物が見たくなってくる。「燕子花図屏風」は東京の根津美術館の所蔵であるが、現在根津美術館は改築中で2009年までは入場することができないそうだ。残念だ。HPにあった写真を貼ってみたのだが、なぜか背景の金色が鮮明ではない。片方しかないがこちらの方が実物に近いように思う。


 「紅白梅図屏風」は、熱海のMOA美術館が所蔵している。夏に若冲の「鳥獣花木図屏風」を見たときに感じたことだが、屏風というものは実際に立てられたものを鑑賞して初めてその素晴らしさが分かる。図録やTV画面で見ただけではその迫力は伝わってこない。熱海なら時間を作れば行けるかなと思ったが、この屏風は2月にしか展示されないのだそうだ。う~~ん、2月は受験期間でとても出かけられない、残念だ・・。
 しかし、MOA美術館の敷地内には、光琳自筆の間取り図に従って復元された「光琳屋敷」が建てられているのだそうだ。こちらはいつでも見学できそうなので、それを見に行くだけでも価値があるかもしれない。さらには、豊臣秀吉の「黄金の茶室」も復元されているそうなので、ますます興味が湧いてくる。成金趣味のこてこての茶室とバカにしていたけど、実際に復元されているなんて知らなかった。是非行ってみたい。
 いつ実現できるか分からないけれど、ひとつの目標としてがんばってみようか。
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