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くらげ

 くらげのような生き方をしたいと思っている。波間に漂い、どこへ行くともなくただただ漂う、なんて素敵だろう。
 若い頃、目的を持って生きることは打算に通じるものとして、目的など持たずに生きようと思った。ただ生きてるだけで十分じゃないか、そのときそのときさえ十全に生きていればそれでいいではないか、そう思っていた。年をとってもさほど思いは変わっていない。何かを成そうとか、何かを遂げようとか、そんなこと何も考えたことはない。ただ今の自分に与えられた、もしくは思いがけずも選び取ってしまったものを一つずつ丁寧にこなして行こう、そうすれば何とかやっていけるのではないか、ただ漠然とそう思って生きている。
 それが果たしてくらげのような生き方かどうかは分からないが、自分が決してくらげになれないことは分かっている。くらげも生き物である以上、感情とまでは行かないまでも、何らかの本能は持ち合わせているだろうから、自らを守るために近くにいる人間を刺すこともある。しかし、彼らは私のように、感情や知恵や意思などは持っていないだろう。持っていないからこそ、日がな一日海を漂っていても退屈などせずにいられるのではないかと思う。残念なことにその点で私は彼らには及ばない。すぐに腹を立てるし、ちょっとしたことで動揺してしまう。悲しければ泣くこともあるし、笑い転げることだってある。とてもくらげのように泰然自若、融通無碍には生きていけそうもない。だから余計にあこがれるのかもしれないが。

   「すべり台」  服部ひでこ
 きもちが一直線に
 すべり台してしまったら
 両手をあげて
 心地よく すべりましょう
 泣き笑いしながら
 ワーッと すべることを
 楽しみましょう

 どんどん どんどん
 すべっていって
 ポン と 地上に足がついたら
 
 ゆっくり 立ち上がり
 
 手をさしのべる空に向かって
 また
 歩きだせばいいんだから


 いくら何も考えずに生きようとしても、様々なしがらみがまとわりついてくる。振りほどこうとすればするほど、がんじがらめにされてしまう。それが生きることなのかもしれないが、時にはそんなものを全て断ち切ってしまいたくなる。すべり台どころか、ジェットコースターにでも乗ったつもりになって、一切合切をかなぐり捨てて、我を忘れて恐怖感や爽快感を味わいたくなってしまう。≪どうだろう、私にできるだろうか?≫。奈落の底に落ちていくように見えても、必ず底はあるのだから、そこにたどり着いたら大きな空を仰ぎ見て、やれやれと思いながらも、歩き出していけばいいではないか。≪やってみようよ、気が楽になるぞ≫。歩く先など考えなくてもいい、ただ歩いていけばまた何かにぶち当たるだろうから、そこでどうするか、考えればいいではないか。≪どうだい、やってみないか≫・・・

 そんな誘惑と闘っていたら、ブログを更新するのを随分忘れてしまっていた・・・
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