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星の王子さま

 今年2005年1月に日本での著作権が消滅したのにともない、サンテグジュぺリ原作の「Le Petit Prince」 の新訳が次々と出版された。今私の手元には、内藤濯訳(岩波書店)、倉橋由美子訳(宝島社)、池澤夏樹訳(集英社)、山崎庸一郎訳(みすず書房)の4冊がある。他にも中央公論新社版など数種類あるようだ。
 内藤は、「星の王子さま」という邦題を名付けた元祖とも呼ぶべき翻訳家であり、倉橋と池澤は小説家である。山崎の訳のみ、題名を「小さな王子さま」としているが、その理由を「作品の物語性のみを前面に押し出し、その内面性を見落とさせる惧れなしとしないと考えたからである」と書いているが、明晰さを第一とするフランス文学の研究家としては、歯切れの悪いまどろっこしいコメントである。これに対して池澤は「原題を直訳すれば『小さな王子さま』ということになるだろうけれど、元の petit (小さい)に込められた親愛の感じはそのままでは伝わらない」として、「星の王子さま」以上の題は考えられないと述べている。倉橋は題名は「星の王子さま」としているが、「この小説は子供が書いたものでもなく、子供のためのものでもなく、四十歳を過ぎた男が書いた、大人のための小説」という視点から邦訳している。
 こうした一言持った人々が訳すのであるから、同じ原典を元にしながらも微妙な違いがそれぞれの訳に滲み出ている。そのいくつかの例を以下に記して、そのニュアンスの違いを楽しんでみるのも面白いかもしれない。
(例1)
 原典:"C'est tellement mysterieux, le pays des larmes!"
 英訳:"It is such a secret place, the land of tears.
内藤訳:「涙の国って、ほんとうにふしぎなところですね」
倉橋訳:「・・・涙の国というのは謎に満ちたところだ」
池澤訳:「涙の国というのはそんなにも不思議なところだ!」
山崎訳:「涙のくにというものは、ほんとうに謎めいているのです」

 こんなに短い文を訳すだけでもこれだけの違いがある。その違いがまた、訳者のこの物語に託す思いの違いを表わしているようで興味深い。
 さらにこの物語の中で、最も有名な箇所の1つであるキツネと王子との対話から引用してみる。
(例2)
 原典:"Voici mon secret. Il est tres simple: On ne voit bien qu'avec le coeur. L'essentiel est invisible pour les yeux."
 英訳:"And now here is my secret, a very simple secret: It is only with the heart that one can see rightly; what is essential is invisible to the eyes."
内藤訳:「さっきの秘密をいおうかね。なに、なんでもないことだよ。心で見なくちゃ、物事はよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」
倉橋訳:「おれの秘密を教えようか。簡単なことさ。心で見ないと物事はよく見えない。肝心なことは目には見えないということだ」
池澤訳:「じゃ秘密を言うよ。簡単なことなんだーーものは心で見る。肝心なことは目では見えない」
山崎訳:「ぼくの秘密を教えてあげよう。とても簡単なことなんだ。心で見なくちゃよく見えない。大切なことは目に見えないんだよ」

 この部分だけをとってみれば、私は山崎の訳が一番いいと思う。「本質的な、欠くことのできない」という意味の essentiel という単語を山崎だけが「大切な」と訳している。確かに語義的には「肝心な」という訳の方がいいとは思うが、目で見て「肝」という字はあまりきれいでないし、耳で聞いても「カンジン」というのは耳障りな音であるように思える。それよりも、「大切な」というやさしい言葉を選んだ山崎の言語感覚に私は軍配を上げたいと思う。(あくまでも、この文章においてだけだが)
 これだけで各訳の優劣をつけてしまうのは暴論過ぎる。ただ、何かのヒントにはなるかなという程度のものであることは言うまでもない。

  
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