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「下流社会」

 昨日行きつけの本屋に行ったところ、「下流社会」(三浦展著、光文社刊)という新書が平積みされていた。一冊手にとってパラパラとめくってみたら、興味を引かれる箇所が幾つかあったので買ってみた。私は新書はなるべく買わないようにしている。タイトルや前書きに惹かれて買ってみると、全ての論が表題や前書きに言い尽くされていて、残りの200ページほどは、同じことを少し角度を変え論じてみたり、やたら数字ばかりのデータを見せつけられたりして、もっとコンパクトにまとめろよと思うような本が多いからである。特別な研究者でもない一般読者は、精緻なデータの裏づけなどに興味はなく、それから導きだされる結論やそれに対する処方箋を知りたい場合が多いと思うのだが、それだけだと1冊の本として売るには薄っぺらになってしまうのだろう。無理矢理としか思えないような論理の展開で水増しした文章には、そんなことはもういいから早く結論を出せよ、とぶつぶつ言いながら結局は途中を読み飛ばして、最後の結論だけを読むことが私には多い。
 この本はどうなんだろうと思って読み始めた。さすがに論旨は私が常日頃憂慮していることであるため納得がいく。
 
 階層格差が広がっているという。所得格差が広がり、そのために学力格差が広がり、結果、階層格差が固定化し、流動性を失っている。あるいは「希望格差」も拡大している。こうした説が、ここ数年、多数発表された。
 それは、日本が今までのような「中流社会」から「下流社会」に向かうということである。

ここで「下流社会」とは作者の造語であり、下流の定義を次のように述べている。

 本書が取り扱う「下流」は、基本的には「中の下」である。食うや食わずとは無縁の生活をしている。しかしやはり「中流」に比べれば何かが足りない。(中略)では「下流」には何が足りないのか。それは意欲である。中流であることに対する意欲のない人、そして中流から降りる人、あるいは落ちる人、それが「下流」だ。

 現代社会を「意欲」という言葉をキーワードとして読み解こうというのは、「意欲」という言葉が使い古され埃を被ったような言葉であるから、かえって新鮮な気がする。まあ、意欲だけではなんともならないことも多々あるのだが、意欲がなければ何も始まらない。そこで、この本の冒頭にある「下流度チェック」を試してみて己の意欲度をチェックするのも一興かもしれない。
  
  ①年収が年齢の10倍未満だ
  ②その日その日を気楽に生きたいと思う
  ③自分らしく生きるのがよいと思う
  ④好きなことだけして生きたい
  ⑤面倒くさがり、だらしない、出不精
  ⑥一人でいるのが好きだ
  ⑦地味で目立たない性格だ
  ⑧ファッションは自分流である
  ⑨食べることが面倒くさいと思うことがある
  ⑩お菓子やファーストフードをよく食べる
  ⑪一日中テレビゲームやインターネットをして過ごすことがよくある
  ⑫未婚である(男性で33歳以上、女性で30歳以上の方)

半分以上当てはまるものがあれば、かなり「下流的」だそうである。
 やっぱりこの本も途中のデータを飛ばしてしまった。こんな面倒くさがりな読み方をしていると上のチェックに引っかかってしまう。どうも私は意欲不足のようだ。

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