毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
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こころ

楓もそうだが、私たちが紅葉として愛でる葉は、その形が愛らしいものが多いような気がする。桜の葉のように何の特徴もない葉は、散ってもただのゴミのようにしか扱われないが、楓は赤子の手のひら、銀杏は鳥の形というように、葉の形が我々の視覚を通して、秋の風情を心に響かせるのかもしれない。そう言えば、漱石の「こころ」に次のような一節がある。先生から受け取った便りについて、
私は箱根から貰った絵端書をまだ持っている。日光へ行った時は紅葉の葉を一枚封じ込めた郵便も貰った。 「先生と私」九
当時は女性だけでなく男性もこうやって旅の記念となるものを同封した手紙を送るのが流行っていたそうだ。現代だったら、携帯電話で撮った紅葉の写真を添付したメールを送るだろうが、明治の人々には考えも及ばぬことだ。逆に言えば、そういう不便な時代だったからこそ、風雅な趣が昔の人々の心を楽しませたともいえるだろう。
現代と明治を比べて、どちらがよいかなどと考えることは全くのナンセンスであるが、漱石の小説を読んでいると、明治の人たちはこんな風だったのかと驚くことがしばしばある。例えば、同じ「こころ」に
すると先生がいきなり道の端へ寄って行った。そうして綺麗に刈り込んだ生垣の下で、裾をまくって小便をした。私は先生が用を足す間ぼんやりそこに立っていた。
「やあ、失敬」
先生はこう言ってまた歩き出した。 「先生と私」 三十
歩きながらの会話の途中でいきなり立小便をして、「失敬」も何もないものだが、たぶん当時は、そんなことは日常茶飯事だったんだろう。現代ではよっぽどの酔っ払いでもない限りそんなことはしないだろう。いやしくも知識人たる先生の行動は、現代の私たちには理解できない。また、「三四郎」にもおやっと思わせる記述がある。上京する三四郎と同じ汽車に乗り合わせた、一高の教師広田先生との会話の最中に、先生が、
さんざん食い散らした水密桃の核子(たね)やら皮やらを、ひとまとめに新聞にくるんで、窓の外へ投げ出した。 (一)
現代だったらよほどの礼儀知らずな野無頼漢でなければできないようなことを、当時の一級の知識人は平気でしていたんだなと、つくづく時代の違いを感じる。果たして漱石自身もこんな行為をしたかどうかは私には分からないが、これに近いことは何のためらいもなくやっていたのではないかと勘繰りたくなってしまう。ジェントルマンの国イギリスに留学したあの漱石がまさか、とは思いたいが・・・
100年も昔の話であるから、細かく見ていけばこのような風俗、習慣の違いが色々でてくるだろう。しかし、こういうどうでもいいような豆知識をどれだけたくさん先生が知っているかで、生徒の授業に対する興味も違ってくるはずだ。エゴイズムがどうのこうのという前に、「実はこんな話があって」などと前説の面白い先生の授業は私自身も楽しんで受けていた記憶がある。
ちょうど高2が「こころ」の授業を受けているから、一度Sくんたちにも話してみよう。どんな反応をするだろうか、楽しみだ。
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