三枝草日記

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越後

2016-09-17 20:15:37 | 旅行

 忙しかった8月も終わり、彼岸前の空白の週を利用して47都道中、唯一行っていない新潟の温泉巡りに出かけた。金沢から上越妙高まで昨年3月に開業した北陸新幹線に初めて乗車した。まず新潟県村上市にある瀬波温泉♨️に宿泊した。日本海に面して佇む旅館の部屋から望む夕映えは燃えるようで神秘的であった。源泉かけ流しの"生の温泉"に入り身も心も癒された。湯船に流れ出る湯は90℃程あり手を当てると火傷しそうであった。ゆもみ板で湯もみして湯温を調節することになっていが、露天風呂なので外気に触れ丁度よい湯加減になっていた。新潟と言えば米と酒が有名であるが、ご飯のコシヒカリは流石に美味しかったが、残念ながらアルコールはやらないので食前酒で乾杯した。翌日は笹川流れの遊覧船に乗った。日本海の荒波に浸食された洞窟や奇岩が絵巻のように続き、見事な景観を誇る延長11㎞の笹川流れを楽しんだあと弥彦神社のある弥彦山に向かった。地元にある雪彦山は日本の三彦山と言われるが、三彦山(さんひこやま)とは、新潟県の弥彦山、福岡県の英彦山、兵庫県の雪彦山を指している。この三山は古来より修験者の山として知られており、この三山がある新潟県弥彦村、兵庫県姫路市(旧飾磨郡夢前町)、福岡県添田町では村おこしや地域活性化を狙い1991年から日本三彦山サミットが実施されている。その弥彦山に一度行ってみたいと思っていたので念願がやっとかなった。山頂からは日本海に遠く浮かぶ佐渡島、稲穂が黄金色に波打つ田園風景が広がる越後平野を一望でき、正に絶景であった。二日目は新発田市にある.月岡温泉♨️に宿泊した。月岡温泉の硫黄含有量は全国屈指を誇り、美肌と長寿の白玉の湯として知られている。瀬波温泉、月岡温泉も石油採掘の際に偶然発見されたそうで歴史は浅い。盆の疲れを癒す恒例の慰安旅行、天候にも恵まれ越後の味覚「極め寿司」と「村上牛」を食し、名湯に浸かり最高のリフレッシュとなり至福の一時を過ごすことができた。弥彦山からくっきりと佐渡島を一望できたのは、その週の中で1日位だったようでラッキーであった。やっぱり晴男はちがうね。新潟の観光地と言えば佐渡島位しか頭になかったが、温泉地は全国位、魚沼コシヒカリに代表されるコメは美味しく魚介類も豊富で見どころ満載であった。

 

 

 

 

 


温泉旅行

2016-03-03 13:40:57 | 旅行

 師走以来猛烈に忙しかった3ヶ月を何んとか乗り切ることができ、一息ついたところで身体のオーバーホールに温泉に出かけた。毎年のことながら正月明けに身体の変調をきたし医者(内科、外科、泌尿器科、歯科)通いし貯まるのは病院の診察券ばかりである。病院に行くとお決まりの検査があり悪い病気(癌等)はないようですが身体的ストレスが原因ではないかと言われホッとした。昨年の盆明けに秘湯めぐりをした時も整形外科で治らなかった脚の痛みがなくなり寒い冬場にも出なかった。秘湯にはテレビも電話もなくトイレ、洗面所も共同の所もあり自炊をして湯治を目的とした施設もあり冬季の半年間は閉鎖されている。こんな所へ偶に行くのは良いが今回は人気のある鳴子温泉「吟の庄・幸雲閣」と初めて行く岩手繫(つなぎ)温泉「紫苑」にした。温泉には11種類の泉質があるようだが鳴子温泉はその内9種類の泉質を誇り内湯や外湯でも泉質が異なるようだ。両方とも料理、風呂も最高であり従業員の接客もよく教育されていて気持ちがよかった。

 鳴子温泉には仙台空港から送迎バスで行き、そこで一泊し翌日は角館を散策、乳頭温泉にも浸かり繫温泉に向かった。3月に入り寒気が南下し一夜にして雪がかなり積もり雪が降りしきる中での観光となった。角館も春や秋の観光シーズンには大混雑するようだが観光j客の姿は殆どなく閑散としていた。歩道の雪掻きをしておられた方からこんな日によく来られたなあと言われた。しかし雪の角館も風情があり武家屋敷の石黒家には江戸時代からつたわる季節の雛人形も見ることができた。武家屋敷の西村家で食べた郷土料理の昼食も大変美味しかった。

 繫温泉から仙台空港まで直行し空港内にある牛タン専門レストラン「冠舌屋」で昼食をとった。レストラン街は3Fにあり皆はそちらの方に行ってしまうが、牛タン専門店のこの店は1Fにあり慣れたものでないと分かり難い。間もなく東日本大震災より5年、震災体験談も聞けて有意義な旅行となった。今回の旅行は無理のない日程が組んであり行きは伊丹発13時10分のフライト帰りは仙台発13時20分だったので、ゆっくりと家を出て帰りは16時頃にはもう家に着いていた。機中から綺麗な富士山も見え身も心もリフレッシュでき良い命の洗濯ができた。


京都冬の旅

2016-01-13 11:10:58 | 旅行

 3連休の過密スケジュールを何んとか乗り切り気分転換を兼ねて京都に出かけた。冬の京都は観光客も少なく凛とした空気感が漂い、行楽シーズンには行けない人気スポットをゆっくり見て回れるので毎年この時期に京都を訪れている。まず西尾八ッ橋の里(西尾八ッ橋別邸)に行った。本家八ッ橋西尾は元禄年間創業の京都を代表する銘菓「八ッ橋」の老舗である。財界人・河原林樫一郎の邸宅として大正8年に建てられた数寄屋橋風書院の建物の庭には樹齢150年を超える椋の大木があり「八ッ橋」の由来として「かきつばたの池」が再現されている。門に掛かる看板は比叡山延暦寺の千日回峰行を2回満行された行者として有名な酒井雄哉大阿闍梨の書である。高倉健さんの座右の銘の送り主でもある。「往く道は精進にして、忍びて終わり、悔いなし」

  昼食はミシュラン三ツ星「瓢亭」の松花堂弁当。瓢亭は約400年前の元禄年間に、南禅寺の腰掛茶屋として発祥し「懐石料理の瓢亭」として全国的にも名高い京都屈指の老舗料亭であり一度は行ってみたかった料亭である。一子相伝の名物「瓢亭玉子」や季節の素材を上品に活かした京料理は美味しかった。歴史ある建物と味、接客もさすが三ツ星の料亭である。

 昼食を済ませ「葵祭」で有名な世界文化遺産・下鴨神社へ向かった。昨年21年に一度の式年遷宮を迎え社殿の大規模な修復がなされ、マンション建設の問題も報道され話題も多く行ってみたかった。下鴨神社は正しくは「賀茂御祖神社」といい上賀茂神社は「賀茂別雷神社と言うそうです。下鴨神社、上賀茂神社と字が違うのは通称名で紛らわしいくならないためだそうです。ここで頂いた「小豆粥」は美味しかった。小豆粥は邪気を払い万病を除くと伝えられる日本古来の新春の風習でもある。その後スタバで少し休憩してから錦市場を散策し早めに家路についた。


大阪城・海遊館・USJ

2015-12-19 13:59:52 | 旅行

 師走に入り俄然忙しくなり前途多難を思わせたが、何とか乗り切りここに来て一段落した。こんな時は休日を最大限利用して明日への英気を養うのがベストであると思う。「忙中閑あり」とか、思い立ったら吉日とばかり大阪城に向かった。来年の大河ドラマは「真田丸」、真田幸村没後400年になり真田幸村ゆかりの大阪城は話題性も豊富なので久し振りに行って見たくなった。城内に入ると約半世紀前に行った時の記憶がかすかに蘇ってきた。エレベーターが混んでいたので8Fの展望台まで階段を上がると汗ばむ程になった。寒気が入り寒くなる予報が出ていたので厚着をしていたせいかも知れない。次は開館直後に行って以来となる海遊館に向かった。昼食を隣の天保山マーケットプレースで済ませ海遊館に行くと、今年が開館25周年記念の年にあたり入口に装飾が施してあった。海遊館のメインは何といってもジンベエザメである。

 海遊館に来たからには近くのUSJに行かない手はない、トワイライト・パスで午後3時に入場できた。孫からよく話は聞いていたが初めての体験となる。「百聞は一見にしかず」とか、入場してすぐに人気のハリーポッターエリアを目指した。幸い入場整理券なしで人気のホグワーツ城に入ることができた。お目当てのクリスマスツリーの点灯の瞬間を見る前に夕食を済ませようと思ってレストランを探し回った。どこのレストランも長蛇の列で食事をとるのにも一苦労した。レストランを出るとクリスマスツリー前は人、人、人で埋め尽くされていた。道路の地べたに座りこんでよく見える場所は占拠されていた。午後6時の点灯の瞬間は大きなどよめきが起こり世界一の光のツリーの奇跡と感動の一時を体験出来て良かった。点灯の瞬間は人込みに押され転倒しそうになった。光り輝く世界一のクリスマスツリーも見たのでもう帰ろうかとも思ったが、折角来たので閉園前のパレードを見て帰ることにした。今度はパレードのコースや出発地点を事前に聞き、出発地点のよく見える場所に陣取りパレードを待った。マジカル・スターライト・パレードは圧巻であった。最新のライティング技術を駆使したイルミネーションで彩られたフロートが何台も行進し、まるで夢の世界にいるようであった。感動してまた来たくなった。まだまだ若い 姫路発7:18の新快速に乗り帰りは大阪発21;00の新快速で帰って来ることができた。効率よく大阪の名所3か所を巡ることができ、よい命の洗濯ができた。これから年末にかけてますます忙しくなるが頑張らなくっちゃ。


紀州路

2015-11-20 14:26:04 | 旅行

 昨日は師走を控えて特に予定のない空白の1日、秋の行楽シーズンもたけなわ、紅葉で賑わうところを避けて紀州方面にドライブに出かけた。特にあてもなくハンドルの向くまま久し振りに西国札所にお参りすることに決め、まず西国3番札所粉河寺に行った。一昨日来の雨が上がったとはいえ曇りがちの肌寒い日であったので参拝者は少なく閑散としていた。この時期、境内の土産店で紀州名産のみかんや柿を売っているのは10数年前に来た時と同じであった。その時、土産に買った柿の味が忘れられず買うつもりでいたが、「にいちゃんこの柿は美味しいよ」とおばちゃんに声をかけられ余分に買っちゃった。そう言われると悪い気はしなく鷹揚になり余分に買ってしまったが値引きしてもらってどちらも良かった。柿は何処にでもありよく口にする代表的な果物であるが、ここの柿は柿のようで柿でなく格別に美味しい。サイズもでっかい、大きいものは一個600グラムもあった。

 次はこれまで近くを通りながら行ったことがなかった根来寺に向かった。根来寺の高さ40mの国宝の大塔や高さ16.88mの大門などに圧倒された。旧紀州徳川家の別邸には自然の滝と池を配した名園があり国の名勝に指定されている。次の紀三井寺に行く前に24号線沿いにあるレスランで昼食をとったが、ここの海鮮丼は最高に美味しかった。紀三井寺では新仏殿と日本最大の観音様である大千手十一面観世音菩薩が平成20年5月に落慶法要が営まれており拝観することができた。予定していた所は行ってしまったので出来れば日暮れまでに阪和道に入りたいと思っていたが、まだ時間的な余裕があったので、何時も素通りしている和歌山城の天守閣に上がって帰ることにした。紀州徳川家は「南海の鎮」として西日本を監視する役割を担い、八代将軍吉宗、十四代将軍家茂を輩出した。和歌山城は昭和10年国宝に指定されていたが、和歌山大空襲で焼失し現在の城は昭和33年に鉄筋コンクリートで復元された。和歌山北インターに入る頃にはもう夕暮れが迫っていた。帰りは名塩で夕食を済ませ午後7時過ぎには帰宅できた。夢前インターを利用できるようになり時間的に短縮でき有り難い。近畿自動車道で少し渋滞があった程度で、国道24号線もよく整備されていて運転し易かった。それでも走行距離は約450㎞であった。