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見もの・読みもの日記

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紙の美、墨の美/国宝 古今和歌集序と日本の書(大倉集古館)

2012-09-12 02:14:13 | 行ったもの(美術館・見仏)
大倉集古館 特別企画展『国宝 古今和歌集序と日本の書』(2012年8月4日~9月30日)

 同館が所蔵する国宝「古今和歌集序」を、3年間にわたる修理後、初公開する。実は私は初見である。2006年の『Gold ~金色(こんじき)が織りなす異空間』後期を見に行ったとき、前期に出ていた「古今和歌集序」の複製色紙を見て、大倉集古館には、こんな魅力的な収蔵品があるのか~次は必ず見たいな~と思ってから、6年の歳月が流れてしまった。

 入館して、まずは1階の展示室をチラ見で見渡したが、それらしいものが見えない。はやる気持ちを抑えて、順番に見ていく。はじめは古写経。「特種東海製紙」からの出陳が多い。田中親美による平家納経模本など、ここ大倉集古館では定番の作品をゆっくり見ていく。

 2階に上がると、最初の展示ケースに、色鮮やかな料紙を貼りついだ国宝「古今和歌集序」が全面開示されていた。この作品は「巻子本古今和歌集」とよばれ、平安時代後期(12世紀初め)の書写。「古今和歌集」の成立が10世紀初め(905年)だから、すでに200年は経っているんだな。本文20巻に仮名序1巻を加えた計21巻として制作されたとみられている。現在は仮名序だけが首尾完存しており、あとは巻13の零本と断簡が諸家に分蔵されるのみという。

 仮名序の巻は全33紙。書風も美しいのだが、まずその料紙の美しさに目を奪われてしまって、筆跡が目に入らない。赤、青、緑、黄(梔子?)、その微妙な濃淡。色だけで10種類くらいはあるだろうか。色は同じでも、よく見ると雲母刷りの文様が違う紙もある。33枚全て違うわけではなくて、同じ料紙が繰り返し使われているものもある。色の並びはランダムで、特に規則性があるわけではないが、濃い色どうしがぶつからないような配慮はなされているように思う。

 そして、この色彩の帯をわたっていく筆跡は、薄色の料紙の上では細くたおやかに、濃色の料紙では墨色も濃く、いくぶん力強さを増して、変幻自在の妙を見せている。ああ、この1巻だけでも、断裁されず、完存していてよかった…。なお、伝称筆者は源俊頼だが、書風などから藤原定実を筆者とするのが定説であるという。Wikiの説明を読んだら「後半二十紙目は全て草仮名のみで書いており、これが仮名序全体において大きなアクセントとなっている」由。気がつかなかった。やや濃いめの桜色の料紙である。

 後半に、この「巻子本古今和歌集」の断簡も2件展示されている。茶掛けとして珍重されたというが、派手すぎて、私はあまり好まないなあ。石山切(西本願寺本三十六人集)は好きなんだけど。石山切・伊勢集(伝藤原公任筆)と石山切・貫之集(藤原定信筆)を並べて見ることができる機会というのも、ありそうであまりないので、嬉しかった。地味だが国宝の「元暦校本万葉集」や「寸松庵色紙(としふれば)」など、古筆好きには満足のいく内容だと思う。ただ、先入観かもしれないが、「墨の美」よりは「紙の美」に重点をおいたセレクションのような気もした。

 古筆ではないが、光悦&宗達コラボレーションの「和歌巻」「詩書巻」も見もの。「和歌巻」は金泥・銀泥で雌日芝(メヒシバ)を摺ったもの。鶴下絵や鹿下絵の華やかさはないが、何気ない雑草が、こんな美しい文様に化けるのは、琳派の魔術としか言いようがない。「詩書巻」は絹本で、ふうわりとした緑や紅の彩色で、木蓮(木蘭)の花枝が大きく描かれている。朗らかな唐風が漢詩の書にふさわしい。

 なお、私が2階に上がっていったときは、ちょうど、東京国立博物館副館長の島谷弘幸氏による特別ギャラリートーク(無料)が行われていたが、すごい聴衆の数で、近づけなかった。見るからにセレブな奥様が多かったのは、さすが大倉なのか、書を趣味とする方々が上流なのか、どっちだろう。
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