○三の丸尚蔵館 第58回展覧会『珍品ものがたり』(後期:2012年8月11日~9月2日)
おや、こんな展覧会をやっていたのか、と気づいて、駆け込みで行ってきた。タイトルどおり、なかなか「珍しいもの」揃いで面白かった。まず『旧諸大名槍雛形』。大名行列を飾る長刀や槍、その鞘袋のかたちは、各家を識別するシンボルであった。これを30~40センチ(原寸の4分の1~5分の1)のミニチュアールにしたもの。播磨龍野藩脇坂氏のエスキモーの帽子みたいな毛皮の鞘袋がかわいい。
『日本各邦製古金銀貨幣模造鑑』は、古代から江戸時代末までの貨幣の複製コレクション。江戸時代の「描いて集める」博物図譜への熱狂が、近代では、精巧なミニチュアールやコピーの製作に引き継がれているように思う。貨幣史には詳しくないので、「寿永大判金・小判金」「大塔宮小判金」「尊氏銀判」など、初めて聞くものが興味深かった(ネット検索してみたけど、詳細は不明)。「堀川小判金」は、めずらしく小判形でなく真円である。
『水晶玉蟠龍置物』の直径20センチ近い水晶玉は、それだけでも見応えがあるが、解説パネルの「ものがたり」は一層面白かった。明治6年、ウィーン万博に出品され、フランス郵船ニール号で帰国途中、伊豆沖で沈没、のち、引上げられて皇室に献上されたもので、水晶を支える銀の蟠龍と、足の長い蒔絵台は、それ以後の作だという。調べたら「193箱の積み荷はすべて沈んだが1年後に68箱が引き上げられた」が、残りは長く放置され、近年(2004~2007年)に至って、なお海底調査が行われているようだ。
『菩薩立像(伝・蒙古仏)』は、対馬の法清寺に伝来した20余体の木造仏のひとつで、文永の役で襲来した蒙古軍の船首を飾っていたとも、15世紀の高麗(とあったが朝鮮王朝時代?)で排仏運動が起こった際、海中に投げ入れられ、対馬に漂着したものとも言われている。全体に摩耗が進んでいるが、頭部が大きく、見開いた目が飛び出たように大きいのが特徴的だ。蒙古軍の船首飾りよりは、後者のほうが信憑性がありそうだが、確か朝鮮半島には、あまり古い木造仏が残っていないはずで、比較対象が思い浮かばない。また、なぜこの木造仏が皇室に献上されたのかもよく分からなかった。
『蒙古襲来絵詞』は、鎌倉時代後期(13世紀)成立の絵巻物。この展覧会、久しぶりにこれが見たくて、出かけた。Wikiによると「蒙古兵と日本騎馬武者の描写の違いなどから、後世の加筆、改竄、または編纂があったとする説も提唱されている」そうだ。え~知らなかった。全二巻で、後期は「弘安の役」に取材した後巻が展示されていた。細かく見ると、額に刺さった矢を抜こうとしている蒙古武者の表情とか、えも言われぬペーソスがあって、思わず吹いてしまった。また、あとのほうに、無帽(無兜)の蒙古人がたくさん乗った舟が描かれているが、頭頂部を剃り上げ、左右は角髪(みずら)のように長髪を輪にして垂らしている。Wikiの角髪(みずら)の説明に「おさげ遊牧民族であるモンゴル人」というのが、勇猛なイメージと釣り合わなくて、かわいくて可笑しい。
おや、こんな展覧会をやっていたのか、と気づいて、駆け込みで行ってきた。タイトルどおり、なかなか「珍しいもの」揃いで面白かった。まず『旧諸大名槍雛形』。大名行列を飾る長刀や槍、その鞘袋のかたちは、各家を識別するシンボルであった。これを30~40センチ(原寸の4分の1~5分の1)のミニチュアールにしたもの。播磨龍野藩脇坂氏のエスキモーの帽子みたいな毛皮の鞘袋がかわいい。
『日本各邦製古金銀貨幣模造鑑』は、古代から江戸時代末までの貨幣の複製コレクション。江戸時代の「描いて集める」博物図譜への熱狂が、近代では、精巧なミニチュアールやコピーの製作に引き継がれているように思う。貨幣史には詳しくないので、「寿永大判金・小判金」「大塔宮小判金」「尊氏銀判」など、初めて聞くものが興味深かった(ネット検索してみたけど、詳細は不明)。「堀川小判金」は、めずらしく小判形でなく真円である。
『水晶玉蟠龍置物』の直径20センチ近い水晶玉は、それだけでも見応えがあるが、解説パネルの「ものがたり」は一層面白かった。明治6年、ウィーン万博に出品され、フランス郵船ニール号で帰国途中、伊豆沖で沈没、のち、引上げられて皇室に献上されたもので、水晶を支える銀の蟠龍と、足の長い蒔絵台は、それ以後の作だという。調べたら「193箱の積み荷はすべて沈んだが1年後に68箱が引き上げられた」が、残りは長く放置され、近年(2004~2007年)に至って、なお海底調査が行われているようだ。
『菩薩立像(伝・蒙古仏)』は、対馬の法清寺に伝来した20余体の木造仏のひとつで、文永の役で襲来した蒙古軍の船首を飾っていたとも、15世紀の高麗(とあったが朝鮮王朝時代?)で排仏運動が起こった際、海中に投げ入れられ、対馬に漂着したものとも言われている。全体に摩耗が進んでいるが、頭部が大きく、見開いた目が飛び出たように大きいのが特徴的だ。蒙古軍の船首飾りよりは、後者のほうが信憑性がありそうだが、確か朝鮮半島には、あまり古い木造仏が残っていないはずで、比較対象が思い浮かばない。また、なぜこの木造仏が皇室に献上されたのかもよく分からなかった。
『蒙古襲来絵詞』は、鎌倉時代後期(13世紀)成立の絵巻物。この展覧会、久しぶりにこれが見たくて、出かけた。Wikiによると「蒙古兵と日本騎馬武者の描写の違いなどから、後世の加筆、改竄、または編纂があったとする説も提唱されている」そうだ。え~知らなかった。全二巻で、後期は「弘安の役」に取材した後巻が展示されていた。細かく見ると、額に刺さった矢を抜こうとしている蒙古武者の表情とか、えも言われぬペーソスがあって、思わず吹いてしまった。また、あとのほうに、無帽(無兜)の蒙古人がたくさん乗った舟が描かれているが、頭頂部を剃り上げ、左右は角髪(みずら)のように長髪を輪にして垂らしている。Wikiの角髪(みずら)の説明に「おさげ遊牧民族であるモンゴル人」というのが、勇猛なイメージと釣り合わなくて、かわいくて可笑しい。