見もの・読みもの日記

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舞楽公演・四天王寺の聖霊会(国立劇場)

2012-09-17 20:21:22 | 行ったもの2(講演・公演)
国立劇場 舞楽公演『四天王寺の聖霊会 舞楽四箇法要』(2012年9月15日、14:00~)

 むかしから一度行きたいと思っていた、大阪・四天王寺の聖霊会が国立劇場に来ると分かって、速攻でチケットを取った。聖霊会は、聖徳太子を偲んで、毎年4月22日(本来の命日は旧暦の2月22日)に行われる。休日に当たると決まっているわけではないし、社会人の4月は忙しいので、なかなか行きにくいのである。

 舞台上は初めから幕が上がっていて、中央に一段高い石舞台、奥に中央の開いた幔幕。幕前が楽人の席。左右に分かれて着座するのだが、相当な大編成だった。石舞台の四隅には、赤い球状の飾りもの(曼珠沙華)が吊るされている。本来は柱を立てるのだが、観客が見やすいように配慮したのだろう。赤い球体からは、太陽の光線をあらわすような筋(長い棒)が四方八方に飛び出していて、その棒に、切紙細工(?)の小さな白いツバメが多数吊るされている。友人と席につくとすぐ、開演を告げるベルが鳴った。

 マイクによる進行説明はなく、舞台両脇の電光掲示板に、最低限の説明が流れる。これがけっこう役に立った。「客席の皆様には、お堂の聖徳太子の視点でご覧いただきます」と説明。なるほど。

・道行(みちゆき)…客席後方から二列になって、法要を行う人々が登場。ガイドブックには「獅子、舞童、楽人、衆僧、八部衆などの供奉衆」とあるが、公演では、管楽器を奏す楽人が先頭だったような。獅子がデカくてびっくりした。顔=お面は小さいのだが、後ろ足役は身を屈めないのである。また、胡蝶・迦陵頻姿の舞童や、鳥兜をかぶった舞人の足元が、白足袋に草履なのが面白かった。

・舞台前庭儀(ぶたいぜんていぎ)
・両舎利入堂(りょうしゃりにゅうどう)…「舎利」は法要を取り行う高僧の職名。

・惣礼伽陀(そうらいかだ)…舞台上に左右5人×2の僧侶が上がり、偈誦を唱える。この法要は、声明と舞楽のコラボレーション。

・衆僧入堂(しゅうそうにゅうどう)
・諸役別座(しょやくべつざ)
・集会乱声(しゅうえらんじょう)…左右両楽舎が楽を奏する。

・舞楽 振鉾 三節(えんぶ さんせつ)…はじめに左方が「新楽乱声」を奏し、左方の舞人が舞う。次に右方が「高麗乱声」を奏し、右方の舞人が舞う。最後に左右の楽舎が、新楽・高麗両乱声を奏し、左右の舞人が揃って舞う、と説明にある。確かに最初と二番目の楽調が違うのは分かった。私は、左方(唐楽)が、右方(高麗楽)より好みだ。

・舞楽 蘇利古(そりこ)…一般には四人舞だが、天王寺舞楽では五人で舞う。舞人の動作が、ぴょんぴょん跳ねるみたいに元気いっぱいなので、吹いてしまった。「蘇利古」って、あの雑面から、もっとおどろおどろしい舞をイメージしていたのに。鎌倉・鶴岡八幡宮で見た記憶もあるのだが、こんなんだったっけ? それとも天王寺バージョン?

・御上帳(みじょうちょう)・御手水(みちょうず)…「蘇利古」の発楽の間に、聖徳太子像の帳が掲げられる。「蘇利古」は「聖徳太子目覚めの舞」だそうで、それなら、子どものラジオ体操みたいに元気があってもいいのかもしれない。

・両舎利登高座(りょうしゃりとうこうざ)…「蘇利古」の舞の間に、両舎利(高僧)が座につく。この法要は、舞台上と舞台下で同時進行する部分が多く、目が追いつかない。

・ 諷誦文(ふじゅもん)・願文(がんもん)…おもむろに紙を広げた両舎利が、それぞれを「黙読」する。えええ~。不思議に思ったが、聖徳太子の霊に捧げるのだから、参列者に聞かせる必要はないのか。

・行事鉦(ぎょうじしょう)…行事の進行を促す鉦。

・楽 十天楽(じってんらく)・伝供(てんぐ)…奏楽の間、二列に並んだ舞童や八部衆たちが、供物を手渡しリレーで運ぶ。実際は、御供所から太子宝廟前まで運ぶのだそうだ。幼い舞童の奉仕にハラハラして、かわいい。

・楽 承和楽(しょうわらく)

・祭文(さいもん)…これも「微音」で唱えるというが、客席には何も聞こえない。ほぼ黙読。

・行事鉦(ぎょうじしょう)
・楽 賀王恩(がおうおん)

・唄匿(ばいのく)…唄師の独唱「始段唄」で始まる。これは一子相伝の伝授を受けた者のみ唱えることが許される由。さすがに美声で、聞き惚れた。

・散華(さんげ)・対揚(たいよう)・梵音(ぼんおん)・錫杖(しゃくじょう)…カノン形式があったり、二階席の最前列と応答したり、凝った演出が楽しめた。錫杖の音も、魂を振るうようで、よかったなあ。

・獅子(しし)…舞台上に二頭の獅子登場。口の形がちゃんと阿吽である。ゆったりと四方を拝礼する。もっと激しい動きを想像していたので、肩すかしだった。

・舞楽 迦陵頻(かりょうびん)…四人舞。いちばん年嵩の子が小学校高学年か中学生、チビは小学校低学年かな。小さなシンバルみたいな楽器(銅拍子)を腹の前で叩き合わせながら、やっぱりぴょんぴょん跳ねるように舞う。可愛い。女の子か?と思ったが、プログラムを見たら、全員男子の名前だった。

※なお「胡蝶(こちょう)」「菩薩(ぼさつ)」は省略。

・楽 長慶子(ちょうげいし)
・両舎利降高座(りょうしゃりこうこうざ)

※ここで休憩20分。開始から約1時間半を一気に上演しており、あとは舞楽「太平楽」「蘇莫者」を残すだけだったので、え?ここで休憩?と不思議な感じがしたが、まだ1時間近くかかることを確認して、納得。

・舞楽 太平楽(たいへいらく)…私は、たぶん今上天皇の御即位十年記念の宮内庁楽部公演(1999年)ではないかと思うのだが、過去に1回だけ「太平楽」を見たことがあって、目が覚めるほど面白かったことを記憶している。その後は、ぱったり見る機会がなかったので、今回、とても楽しみにしていた。

 そして、期待にたがわず、やっぱり面白かった。一緒に見た友人が「戦隊ヒーローものみたいだ」と評していたが、そんな感じ。動き早いし。鉾を構えて舞うかと思えば、途中で抜刀しちゃうし。しかし、くるくる回っているように見えるけど、舞楽の基本フォーメーション(全員が同じ動きをする)を逸脱しているわけではないんだな、ということも分かった。

 「太平楽」演奏の間に聖徳太子の御影の帳が下ろされ、両舎利・衆僧は退出、法要部は終了する。あとは、法要に集まった人々の楽しみである「入調部」に移り、江戸時代には、合計18曲もの舞楽が延々と演じられたという。へえ~。舞楽って、古代のものという先入観があったが、意外と江戸の人々の感性で、焼きなおされているのかもしれない。

・舞楽 蘇莫者(そまくしゃ)…一人舞。舞台下に唐冠の人物が現れ、横笛を奏すると、舞台上に、三角帽子をかぶり、大きな金目をむき、耳の左右に長い白髪を垂らした人物が走り出て、またもぴょんぴょん跳ねて、激しく舞う。横笛の奏者は聖徳太子、舞人は信貴の山神ともいう。

 公演は以上。

 さて、私が四天王寺の聖霊会に興味を持ったのは、梅原猛の『隠された十字架』(1972年刊)を、高校時代に読んで以来である。法隆寺は聖徳太子の怨霊を鎮魂する目的で建てられたという主張で、1970年代のベストセラーだった。不思議な雑面をつけた「蘇利古」は太子の亡霊ではないかとか、「蘇莫者」とは「蘇我の莫(な)き者」の意味ではないか、といった記述に、怖いもの好きの私は魅せられて、ぞくぞくした。しかし、大学に入ったら、一般教養で取った日本古代史の先生が、「あんな説は…」と鼻から否定していたので、熱が冷めたのだった。

 公演を見た翌日、図書館で同書を探して、30数年ぶりに該当箇所を開いてみた。「蘇利古」の五人舞は、四天王と太子の亡霊ではないか、と書かれていた。そして、狂ったように舞う「蘇莫者」こそ、荒れ狂う太子の霊だと論じられている。「横顔がすごい」「一言にしてオバケ」というけど、うーん。意外と愛らしいと思ったんだけどな、私は。とりあえず、文章に漲るおどろおどろしい熱の入れようを、懐かしく感じた。


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