○安田浩一『ネットと愛国:在特会の「闇」を追いかけて』
正直にいうと、初めて知ることばかりで、びっくりしながら読んだ。そして、そういう自分の無知を、なんとなく居心地の悪いものに感じた。在特会(在日特権を許さない市民の会)という名前だけは知っていた。ネットに多数の関連動画があるのを知らないわけではないが、視聴してみたいと思ったことは一度もない。あまり繁華街を歩かないので、彼らの過激な街宣活動に出くわしたこともない。一度だけ、2010年に札幌で、今考えると彼らかもしれない姿を見かけた。本書に書かれているほど過激な街宣ではなかったが、同感できる主張ではなかったので、耳に蓋をして通りすぎたことを覚えている。
在特会(在日特権を許さない市民の会)とは、在日韓国・朝鮮人に許されている権利が、日本人に不利益を強いる「特権」であると考え、その是正を掲げる団体である。2007年に設立。ネットを通じて急速に会員数を伸ばし、2009年頃から、過激な活動スタイルで注目を集めるようになった。本書には、プロローグとして、著者が実際に見聞した「日本最大のコリアンタウン」鶴橋での街宣の様子、さらに2009年の「京都朝鮮学校妨害」事件と2010年の「徳島県教組乱入」事件のルポが掲載されている。なんだろうなあ、これは。引用も憚られるような汚い罵詈雑言の数々。これが白昼堂々、民主主義国家で起きていい事件なのか?と耳を(目を)疑いたくなる。
いったい彼らは何者なのか。著者は、同会の中心人物である桜井誠の実像を求めて、その故郷・北九州市を訪ね、親族や高校時代のクラスメイトに取材し、多くの会員にインタビューしている。出版社で働く広報局長、銀行マンの支部長、イラン人の母を持つハーフ日本人、在日コリアンの親戚や友人を持つ会員、普通のOL、いきがる中学二年生、等々。ひとりひとり向き合ってみれば、彼らの言動に、特別狂気じみたところはなく、私たちの普通の隣人であることが分かる。
著者の取材は、およそ1年半に及んでおり、その間、関係者の心境に、少なからぬ変化や動揺がうかがえる。次第に会の活動から距離を置くようになった者や、はっきり批判を表明する立場に変わった者もいる。特に、はじめは在特会の新しい情報戦略とそのパワーを、高く評価していた右翼・保守系団体の運動家たちが、やがて同会の暴走に失望し、離反を始めた現状も明らかにされている。ここの関係者インタビューが、私はいちばん面白かった。こういう人たち(=筋金入りの伝統右翼)の主張に、これほどじっくり耳を傾けたことがなかったので。著者は、同会が「大人」の支援を失って、成長の機会を取り逃がしたことを惜しんでいるフシがある。だが、従来の保守運動の枠に取り込まれなかった点にこそ、同会の意義があるとも言えるので、なかなか評価は難しいと思う。
また、在特会から糾弾を受けた在日コリアンの側の発言や、身内の取材に激怒し、態度を硬化させた会長・桜井誠が見せた弱気、表面上は会の結束を守って、著者の取材を拒否・妨害しながら、さりげなく親愛のサインを示す会員たちなどの様子が、つとめて淡々と叙述されている。安易な「正義」や「真実」を持ち出さず、矛盾や混乱をそのまま投げ出して、最後の判断を読者の「読み」にゆだねるスタイルである。
著者は、ひとつの解釈として、在特会の人々を動かしているのは「承認欲求」ではないかと説明している。何をしても「うまくいかない」人たち。「奪われた」「裏切られた」「否定された」ルサンチマンが、なんとなく「守られている側」の人々に向かう。分かり易い。分かり易すぎて、眉唾したくなるくらいだ。だとすれば「在特会の『闇』」の中にいるのは、怪物ではなくて、単なる枯れ尾花じゃないか、と言ってしまいたくなる。
しかし、正体が枯れ尾花だったとしても、彼らの攻撃は現実のものだ。本人たちは、楽しく「ハネている」だけかもしれないが、彼ら(および彼らに影響を受けた人々)のまき散らす憎悪が、現実社会とネット社会の両方に、ギスギスした「住みにくさ」をもたらしていることは否定できない。なんとかならないものか。
せめて、これ以上の荒廃を食い止めるため、ひとりの「大人」として、できることがあるとすれば、自分がかかわる若者の「承認欲求」をきちんと満たしてあげること。それと、インターネットに対する過剰な思い込みを是正する必要がある。マスコミ報道が「偽」「偏向」であるとしても、ネット検索ごときで、それに替わる「真実」が手に入るわけはないじゃないか。と思うのだが、とにかくクイック・レスポンスが評価される今日では、理解されないのかなあ。
その点では、「エピローグ」に登場する、朝鮮初等学校OBの男性の証言には、真逆の重みがある。彼は「分かりやすい」在特会よりも、その背後にあって、無邪気に彼らを支持している市民のほうが恐ろしいと漏らす。白日のもとで、陽炎のように、ゆらゆら立ちのぼる悪意。在特会の闇よりも、確かに、そちらのほうが怖いかもしれない。

在特会(在日特権を許さない市民の会)とは、在日韓国・朝鮮人に許されている権利が、日本人に不利益を強いる「特権」であると考え、その是正を掲げる団体である。2007年に設立。ネットを通じて急速に会員数を伸ばし、2009年頃から、過激な活動スタイルで注目を集めるようになった。本書には、プロローグとして、著者が実際に見聞した「日本最大のコリアンタウン」鶴橋での街宣の様子、さらに2009年の「京都朝鮮学校妨害」事件と2010年の「徳島県教組乱入」事件のルポが掲載されている。なんだろうなあ、これは。引用も憚られるような汚い罵詈雑言の数々。これが白昼堂々、民主主義国家で起きていい事件なのか?と耳を(目を)疑いたくなる。
いったい彼らは何者なのか。著者は、同会の中心人物である桜井誠の実像を求めて、その故郷・北九州市を訪ね、親族や高校時代のクラスメイトに取材し、多くの会員にインタビューしている。出版社で働く広報局長、銀行マンの支部長、イラン人の母を持つハーフ日本人、在日コリアンの親戚や友人を持つ会員、普通のOL、いきがる中学二年生、等々。ひとりひとり向き合ってみれば、彼らの言動に、特別狂気じみたところはなく、私たちの普通の隣人であることが分かる。
著者の取材は、およそ1年半に及んでおり、その間、関係者の心境に、少なからぬ変化や動揺がうかがえる。次第に会の活動から距離を置くようになった者や、はっきり批判を表明する立場に変わった者もいる。特に、はじめは在特会の新しい情報戦略とそのパワーを、高く評価していた右翼・保守系団体の運動家たちが、やがて同会の暴走に失望し、離反を始めた現状も明らかにされている。ここの関係者インタビューが、私はいちばん面白かった。こういう人たち(=筋金入りの伝統右翼)の主張に、これほどじっくり耳を傾けたことがなかったので。著者は、同会が「大人」の支援を失って、成長の機会を取り逃がしたことを惜しんでいるフシがある。だが、従来の保守運動の枠に取り込まれなかった点にこそ、同会の意義があるとも言えるので、なかなか評価は難しいと思う。
また、在特会から糾弾を受けた在日コリアンの側の発言や、身内の取材に激怒し、態度を硬化させた会長・桜井誠が見せた弱気、表面上は会の結束を守って、著者の取材を拒否・妨害しながら、さりげなく親愛のサインを示す会員たちなどの様子が、つとめて淡々と叙述されている。安易な「正義」や「真実」を持ち出さず、矛盾や混乱をそのまま投げ出して、最後の判断を読者の「読み」にゆだねるスタイルである。
著者は、ひとつの解釈として、在特会の人々を動かしているのは「承認欲求」ではないかと説明している。何をしても「うまくいかない」人たち。「奪われた」「裏切られた」「否定された」ルサンチマンが、なんとなく「守られている側」の人々に向かう。分かり易い。分かり易すぎて、眉唾したくなるくらいだ。だとすれば「在特会の『闇』」の中にいるのは、怪物ではなくて、単なる枯れ尾花じゃないか、と言ってしまいたくなる。
しかし、正体が枯れ尾花だったとしても、彼らの攻撃は現実のものだ。本人たちは、楽しく「ハネている」だけかもしれないが、彼ら(および彼らに影響を受けた人々)のまき散らす憎悪が、現実社会とネット社会の両方に、ギスギスした「住みにくさ」をもたらしていることは否定できない。なんとかならないものか。
せめて、これ以上の荒廃を食い止めるため、ひとりの「大人」として、できることがあるとすれば、自分がかかわる若者の「承認欲求」をきちんと満たしてあげること。それと、インターネットに対する過剰な思い込みを是正する必要がある。マスコミ報道が「偽」「偏向」であるとしても、ネット検索ごときで、それに替わる「真実」が手に入るわけはないじゃないか。と思うのだが、とにかくクイック・レスポンスが評価される今日では、理解されないのかなあ。
その点では、「エピローグ」に登場する、朝鮮初等学校OBの男性の証言には、真逆の重みがある。彼は「分かりやすい」在特会よりも、その背後にあって、無邪気に彼らを支持している市民のほうが恐ろしいと漏らす。白日のもとで、陽炎のように、ゆらゆら立ちのぼる悪意。在特会の闇よりも、確かに、そちらのほうが怖いかもしれない。