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見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

貧乏人の王道楽土/中原の虹(浅田次郎)

2007-11-15 23:53:42 | 読んだもの(書籍)
○浅田次郎『中原の虹』1~4巻 講談社 2006.9-2007.11

 『中原の虹』第1巻が刊行されたのは昨年9月。ああ、とうとう、と思って感慨深かった。しかし、全4巻が完結するのは2007年11月だという。待てない。1巻ずつ読んで、何ヶ月も続きを待つなんて絶対にできない、と思った私は、最終巻が刊行されるまで、じっと目をつぶって我慢することに決めた。そして、ようやく念願がかなう時が来た。先々週末、旅行先の奈良で第1巻を読み始め、11/8発売の最終巻をGETして一気に読み抜いた。

 舞台は中国、時代は清朝末年。戊戌の変法の挫折後、光緒帝は幽閉され、命運尽きようとする大清帝国を、老いた西太后ひとりが必死に支えていた。東北(日本ふうに言えば満州)の地に突如登場する命知らずの馬賊、李春雷。『蒼穹の昴』の主人公、李春雲(春児=チュンル)の実兄である。李春雷は、ふとしたことから、馬賊の大親分(総攬把)白虎張こと張作霖のもとに身を寄せる。

 物語は東北を新たな舞台とし、中国と日本を行き来して、『蒼穹の昴』の登場人物たちのその後の人生を描く。同時に、今しも長城を越えて中原に勇躍しようとする張作霖の姿に重ねて、同じように長城を越えてやってきた愛新覚羅(アイシンギョロ)家の「始まりの物語」を挿入する。

 私は勤め人であるから、主たる読書時間は通勤電車の中だ。困ったことに、この小説、私はたびたび、ぼろぼろに泣かされてしまった。誰が、どの場面が、泣けるというのではない。中国の近代史そのもの、大清帝国という巨龍が、我が身を賭して生まれ変わろうとする凄絶さに泣けるのである。

 いちばん泣けたのは西太后の死だった。浅田次郎さんは、いろいろ調べていて西太后に惚れたんだろうなあ。近年、中国でも西太后の悪評は大分払拭されているらしいが、ここまで愛情を注ぎ込んで彼女を描いた例は(まだ)ないだろうと思う。私は、そもそもCCTV(中国中央電視台)のドラマ『走向共和』を見て、中国近代史に魅入られ、その後に、著者の『蒼穹の昴』と『珍妃の井戸』を読んだ(本書を読んでいても、どうしてもあのドラマの俳優さんの顔が浮かんでしまう。徐世昌とか)。ドラマ『走向共和』も西太后には好意的だった。しかし、袁世凱にはかなり厳しかったと記憶する。

 本作では、著者の目は「俗物」袁世凱に対しても優しい。袁世凱が皇帝を称したのは、無理やりにでも中華民族に求心力をもたらし、列強の蚕食から国土を護るためで、彼は敢えて道化になったのだ、という解釈である。自分の所業におののきながら玉座への龍陛を上がる袁世凱に、李鴻章の幻が「よくやった。わしにあと十五年の齢があれば同じことをした」と語りかけるところは、どうかなあ~。小説としてはいい場面なんだけど、歴史解釈としては受け入れがたい。浅田さん、孫文のことは、あまり好きでないみたいなのも面白い。

 第4巻には、先月刊行された平野聡さんの『大清帝国と中華の混迷』の広告が挟んであって、ちょっとニヤリとした。講談社、商売うまいな。私は平野さんの著書の感想に「清朝史に興味や親近感を持つ日本人は少ないと思う」と書いたが、浅田次郎さんのシリーズがこれだけ売れていることを考えると、そうは言い切れないかもしれない。私の不明であるなら、却って嬉しい。

 張作霖のことはよく知らなかったので、新たに興味を掻きたてられた。中国では、一般的にどんな評価なのかなあ。息子の張学良を主人公にしたTVドラマはあったはずだが。既に二三、参考文献をチェックしたので、これから読んでみたいと思う。馬賊については渡辺龍策『馬賊』(中公新書)がおすすめ。

 社会の最下層で、ぼろ切れのように捨てられていく人々の怨嗟が凝り固まって、「千人を殺して、億万人を生かす」ひとりの凶暴な英雄を生み出すというのは、中国史を見ていると、自然と思い浮かぶビジョンなのかもしれない。諸星大二郎のマンガ『西遊妖猿伝』を久しぶりに思い出した。
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謎解き鳥羽僧正/鳥獣戯画がやってきた!(サントリー美術館)

2007-11-14 01:36:10 | 行ったもの(美術館・見仏)
○サントリー美術館 開館記念特別展『鳥獣戯画がやってきた!-国宝「鳥獣人物戯画絵巻」の全貌』

http://www.suntory.co.jp/sma/

 絵巻は面白い。ぼうっと眺めるだけでも面白いが、誰が、何のために描いたのかなど考え始めると、なお面白い。そんな絵巻の楽しみ方を教えてくれたのは、黒田日出男氏の著書『謎解き伴大納言絵巻』(2002.7)であり、続いて『吉備大臣入唐絵巻の謎』(2005.10)も出た。

 展覧会では、2006年10月の出光美術館『国宝 伴大納言絵巻展-新たな発見、深まる謎-』が、黒田氏の名著に、最新の光学的調査の成果を加えて、「考える楽しさ」「発見の喜び」を打ち出した企画となっていた。今回の『鳥獣戯画』展もそれに近い。

 京都・高山寺に伝わる国宝『鳥獣人物戯画』は、甲乙丙丁の4巻からなる絵巻物である。「鳥獣戯画」と聞いてすぐに我々が思い浮かべる、ウサギ・カエル・サルなどを擬人化して描いた図は、全て甲巻。乙巻は、牛・馬・山羊など主に四足の獣を描く。甲巻のウサギやカエルのように、後ろ足で立ち上がったり、着物を着たりはしないが、表情はどことなく人間っぽい。子どもの頃に慣れ親しんだ、手塚治虫の描く動物みたいだ。

 丙丁の2巻には、動物はほとんど登場せず、僧俗の人間たちの滑稽な姿態が、きわめて即興的に描かれる。筆づかいは丙巻のほうが、呆れるほど大胆で楽しい。どちらも甲乙巻とは別人の筆と思われる。本展では、各巻の前半を前期(~11/26)、後半を後期(11/28~)に展示するので、2回足を運べば全場面を見ることができる。

 興味深いのは、このほかに後世の摸本や断簡があるだけ集められていることだ。それらを見比べると、今の『鳥獣戯画』の姿が、かつてのままではないらしいことが分かる。錯簡(順序の入れ違い)や散逸箇所があるのだ。もう一度、原本をよく見ると、料紙の長さが一定でない。切り継ぎが行われた形跡なのではないかと疑われる。『探幽縮図』なんて、普段は、おお~狩野探幽の筆か~とかしこまってしまうが、立派な史料的価値があるのだ、と再認識した。

 もうひとつの楽しみは「鳥獣戯画の系譜」と題された、白描図と擬人化された動物たちの特集。奈良時代の『墨書土器』には生き生きとしたサルの顔が描かれている。密教の図像は、本来、厳格な儀軌を守らなければならないのだが、鳥羽僧正覚猷は、従来にない不動明王像を生み出し、これは「鳥羽僧正様」と呼ばれたそうだ。住吉広行の『年中行事絵巻』摸本に、小さく「鳥獣戯画」っぽい図があるのは、よく見つけたものだと感心(展示替リストの内側に写真図版あり)。

 ぎょっとするのが『勝絵絵巻』。前半に男性の陽物比べ、後半に放屁合戦を描いたもの。まさかと思った前半が堂々と広げられていた。ネットで検索してみたら「誰もが足早に通り過ぎる」とあったけれど、私が行ったときは、程よく混んでいたので、前後の観客もゆっくり眺めていた。三井記念美術館の所蔵。ある個人ブログに、学芸員の話として「そこ(三井)では前半部分は展示する予定はないそうです」とあったのに笑ってしまった。ハイソが売りの三井じゃ展示できないだろう。サントリー、よくやったなあ。

 最後に、サントリー美術館のお宝『鼠草子絵巻』が出ている。なかなか全巻(一部ずつだけど)見る機会はないので、嬉しかった。なお、『鳥獣戯画』の断簡が全て見られるのは11/28~12/3の間。一度しか行かないなら、ここが狙い目である。
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美の運命/安宅英一の眼(三井記念美術館)

2007-11-11 23:53:53 | 行ったもの(美術館・見仏)
○三井記念美術館 特別展『美の求道者 安宅英一の眼-安宅コレクション』

http://www.mitsui-museum.jp/index2.html

 安宅コレクションは、大阪市立東洋陶磁美術館が所蔵する韓国・中国陶磁コレクションである。同名の展覧会は、今年の春から夏にかけて同館で開かれていた。その内容は「かなりスゴイらしい」と聞いて、何とか会期中に見にいこうと画策していたのだが、東京でも巡回展が開かれると知って、秋を待つことにした。

 さて、その東京展。すごい。ノックアウトとしか言いようがない。第1室は、唐美人の婦女俑で軽いジャブのあと、国宝『飛青磁花生(とびせいじはないけ)』。これまで写真で見るかぎり、その良さがよく分からなかったのだが、実物を前にして、すっかり心を捉まれてしまった。完璧な青磁の肌を引き立てる濃茶色の鉄斑。玉壺春と呼ばれる、細すぎる頸と豊かに膨らんだ胴部の対照は、たとえばコルセットで人工的に体型を整えた美女のような、あまりに危うい均衡を保っている。

 オリーブグリーンに深い花文を彫り入れた耀州窯の『青磁刻花牡丹唐草文瓶』と、定窯にはめずらしく、白地にモスグリーンで花文を描いた『白磁銹花牡丹唐草文瓶』。「瓶」といっても、ずんぐりした、カボチャのような姿をしている(太白尊または吐魯瓶と呼ぶらしい)。ただでさえ珍しい器形が2つ並んだところは、格別の愛らしさだ。安宅氏はこの2つを並べることを「至福」と呼んだそうだが、私はガラスケースの側面に立って、2つを同時に視野に入れて眺めると楽しいと思った。

 それから、元代の『青花蓮池魚藻文壺』。あー懐かしいなあ。これは、2004年、出光美術館の『磁都・景徳鎮1000年記念』展で、最も印象深かった作品だ。以来、精彩に富んだ元代の青花を、私は愛好し続けている。清冽なブルーでまとめた『法花花鳥文壺』(明代)もいい。この第1室を歩いていると、自分が清朝の王孫に生まれて、父祖伝来の宝物に囲まれているような気分になってくる。

 出品125件のうち、半数弱が中国陶磁器。後半の半数強が朝鮮陶磁器である。朝鮮ものがまたすごくて、私は、あーとかうーとか唸りっぱなし。いくつかは、世田谷美術館の企画展『青山二郎の眼』で見たもの(白磁壺、銘「白袴」など)だった。青山も好んだ、粉引瓶や青花、鉄砂は、日本の陶磁器に通ずる、大胆で軽やかな俳味を感じさせる。一方、「青磁逆象嵌」「青磁象嵌辰砂彩」などは、中国の作陶技術に迫る美麗な作品である。朝鮮陶磁器の幅の広さを、初めて実感した。

 展覧会の図録には、大阪市立東洋陶磁美術館長の伊藤郁太郎氏が寄稿している。伊藤氏は、もと安宅産業の一社員としてコレクションの形成に深くかかわった人物である。それゆえ、図録および会場内には、それぞれの作品が安宅コレクションに加わった際の逸話が多数、紹介されている。所蔵者を如何に攻略するか。オークションでいくらの札を入れるか。社内や世間の「無駄遣い」という非難をどう収めたか。たとえば、上述の『青花蓮池魚藻文壺』は、個人宅に秘蔵されていたが、オークション開始から数分間で数十倍の値がつき、さらに落札価格の2倍以上で安宅氏が買い取ったという。「日本の蔵は奥が深い」という伊藤氏の言に深く同感した。

 さて、会場の中ほどには、さりげなく安宅英一氏の年譜が掲げられている。じっと読んでいくと、安宅産業(総合貿易会社)は、第1次オイルショックのあと、債権のこげつきが発覚し、77年には債権債務を清算管理会社に引き継ぎ、伊藤忠商事に吸収合併された(事実上の倒産)。切ないなあ。けれども、住友グループの尽力を経て、安宅コレクションが大阪市に寄贈され、東洋陶磁美術館が設立されたことは、百年の慶事だと思う。散逸したり、海外流出しなくて、本当によかった。「安宅コレクションが散逸しないよう」すみやかに異例の通達を出した文化庁を褒めたい。

 図書にしても美術品にしても、「コレクション」の運命は数奇である。ひとたび集積したコレクションも、やがては部分的または全面的に解体し、砂の城が押し流されるように崩れていく。そうと分かっていればこそ、いまある「コレクション」を味わい、楽しむことに妙味があるのだろう。
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関西週末旅行11月編:拾遺(興福寺ほか)

2007-11-10 23:11:30 | 行ったもの(美術館・見仏)
 関西旅行から拾遺。

【11/3】京都国立博物館~智積院~天理大学天理図書館~天理参考館~奈良国立博物館

 京博で『狩野永徳展』を見たあとは、すぐそばの智積院に寄った。同じ桃山の長谷川等伯の障壁画を見ていこうと思って。「秋の文化財特別拝観」で鎌倉時代の仏画『孔雀明王像』が公開されているというのにも惹かれたが、孔雀の顔がマンガっぽかった。

 ちなみに、その前の週(10/28)、長蛇の列に恐れをなして『永徳展』をあきらめたときは、京博の常設展だけ見て帰った。このときは、中国絵画室で八大山人の『松鹿図』が見られて感激! 上目づかいの鹿。短い尻尾を垂らした股間が気になる。

 天理では、久しぶりに参考館に寄った。北京の看板とか、常設展の近代民俗資料が楽しい。考古美術の部屋では、めずらしい形の陶俑をいくつか発見した。「orz」みたいな小型の陶俑(伏拝男子・後漢)には苦笑した。

 それから、奈良市内に出て、再び(10/28に引き続き)奈良博に行ってみた。”『正倉院展』は夕方になると比較的空く”という噂が本当なのかを、一度確かめたかったのだ。しかし、17:40頃でもまだ「入館15分待ち」の列が。しばらく本館で時間をつぶし、ようやく18:00に入場した。さすがの私も同一会期中に2回来たのは初めてである。

 第1展示室の前半はだいぶ空き始めていたが、後半の『墨絵弾弓(すみえのだんきゅう)』の前はまだ混雑している。先週の記憶を思い起こしながら、もう一度見たいと思うものだけ、人込みを避けつつ、拾い見してまわる。閉館10分前くらいに、第1展示室まで戻ってみると、おお~さすがにもう、ほとんど人影がなくて、警備員さんたちが、やれやれという様子で立ち話をしている。私は『墨絵弾弓』の前に寄った。ここからの10分は、ほぼ私の独占状態。文字どおり「ためつすがめつ」して記憶に焼き付けるよう努めた。

 結論としては、やっぱり『正倉院展』全体を見るには、朝イチで並ぶことが上策。その上で、ピンポイントで独占して眺めたい品があれば、閉館前の10分に賭けるのがよろしい。

【11/4】東大寺(三月堂、二月堂)~興福寺(北円堂、国宝館、大円堂)~大阪歴史博物館

 日曜の朝は、東京から遅れて来る友人を待つ間、東大寺に行った。まだ人影の少ない春日野~手向山八幡宮を歩き、久しぶりに三月堂に入った。堂内には、老若男女10人ほどの先客が、静かに仏像に向き合っていた。朝の光が深く堂内に差し込んでいる。ここは何度来てもいい。ご本尊の不空絹索観音は、20年来、私のいちばん好きな仏様である。しばらくすると、お坊さんが現れて(団体さんもいないのに)お堂の説明をしてくれた。その中で「不空絹索観音の作例は非常に少ない。鹿の皮を肩に掛ける姿を藤原氏が嫌ったためかもしれない」というのは、面白いと思った。でも、少ない作例にもかかわらず、私は、東大寺三月堂、興福寺南円堂、福岡観世音寺、太秦広隆寺、みんな好きなのである。

 友人とは興福寺北円堂で落ち合い、『秘仏公開2007』と名打った国宝館と本坊・大圓堂を見る。国宝館では八部衆像を一挙公開中。なんでこんな幼い顔に苦悩の表情を浮かべた仏像を作ったのかなあと不思議に思う。私は胸から上しか残っていない「五部浄」が好きだ。大圓堂では鎌倉時代の美麗な観音立像を拝観した。
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関西週末旅行11月編:特別展・風林火山(大阪歴博)

2007-11-09 22:01:56 | 行ったもの(美術館・見仏)
○大阪歴史博物館 第26回 NHK大河ドラマ特別展『風林火山-信玄・謙信、そして伝説の軍師-』

http://www.mus-his.city.osaka.jp/index.html

 病膏肓に入ると言うべきか。この展覧会、どうしても見たくて大阪まで行ってしまった。NHK大河ドラマの連動企画であることは承知である。番組宣伝のパネル写真とかでごまかされたら嫌だな、と思っていたが、さにあらず、なかなか見応えのある展示だった。

 会場の冒頭には、山本勘助の実在を証拠づけた(とされる)「市河文書」が展示されている。武田信玄が市河藤若に宛てた書簡で「猶山本菅助口上有るべく候。恐々謹言」と結ばれている。10/28放送の『風林火山』でも、さりげなく触れられていた。おおーこれがホンモノかー。ドラマと歴史と目の前の資料が渾然と結びつき、不思議な気分である。信濃の地頭職であった市河家の文書が、北海道釧路市の指定文化財になっているということを初めて知った。歴史って面白いなあ。

 ほか、文書類は国宝の「上杉文書」から「謙信公御年譜」(江戸時代)など数件。信玄の書状や願文も複数。私は、戦国武将の花押って基本的に「書き判」だと思っていたので、版刻したものを墨で押印する「花押型(かおうがた)」の存在を知らなかった。初めて見たが、中国文人の用いる印鑑に比べると、実に素朴で、実用一点張りである。

 文物では、上杉神社に伝わる「馬上杯」を楽しみにしていた。酒飲みの景虎(謙信)愛用の品で、見てきた人の話では「極彩色の小花模様の酒杯」だという。どんな贅沢品かと思ったら、何のことはない、中国物産展でよく見るような七宝焼きだった(水色に小花・唐草模様、内側は金)。しかし、エキゾチックである。明からの舶載品。『狩野永徳展』でも触れたが、近世初期に流行した異国趣味(中国趣味)の反映なのだろうか。

 それから、私は今回初めて、刀剣の魅力を知ってしまった。原美濃入道所持と伝える刀の、ずしりと黒光りする刃がやたら美しかったのである。日本刀って、もっと白々と光るものだと思っていたのに。上杉の『姫鶴一文字』もよかった。

 また、信玄と謙信の物語が後世に与えた影響を物語る、屏風・錦絵・軍学書などの資料も面白かった。徳川家康が甲州武田軍学を好んだことは知っていたが、宇佐美氏の子孫が紀州徳川家に仕えて越後流軍学を称揚したことは初耳だった。ふーん。紀州徳川家って、常にどこか本家にライバル意識を持っているようで面白い。

 『甲陽軍艦』は5セット出ていた。最古の版本「片仮名付訓無刊記十行本」(元和~寛永初年頃)は丹表紙が美しく、意外なことに書体は光悦風の優美なものだった。武将たちの肖像画、大判の城図・合戦図(東北大の狩野文庫から大量に出陳)も興味深かった。あと、途中に観光PRコーナーがあり、Gackt謙信のポスターに見惚れてしまった。眼福。
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さらに奥へ!/続・和本入門(橋口侯之介)

2007-11-08 23:52:31 | 読んだもの(書籍)
○橋口侯之介『続・和本入門』 平凡社 2007.10

 「和本」というのは「有史以来、明治初期までの日本の書物の総称」である。多くは和紙を糸で綴じた様子の冊子だが、そのほかに地図・錦絵など1枚物の刷り物や絵巻物など、さまざまな形態がある。写本と版本の差とか、国書と和刻本漢籍の別とか、細かいことは言わない。まず、この太っ腹でおおらかな定義がうれしい。

 書店主、橋口侯之介さんによる前著『和本入門』(2005.10)は、一読して、これぞ私が待ち望んでいた本!と膝を打った。和本には、長年、少なからぬ興味があった。しかし、書誌学や史料学の本は、とっつきにくい。むかしは、もっと身近に和本があったから、基礎知識は実践で学び、次の段階から書物をひもとけばよかったのだろう。今は、和本に憧れを抱いていても(図書館や書店勤め、あるいは学生など、比較的書物に近いポジションにあっても)なかなか実物の和本に触れる機会を持てない。そんな我々に、和本の尽きせぬ魅力を、平明な言葉で語りかけてくれたのが前著だった。

 前著以来、「若い人たちが和本に新鮮な興味を持ってくれたのが嬉しかった」と著者はいうが、「若い人たち」は、まさにこういう入門書を待っていたのだと思う。このたび、続編刊行の運びとなったことを、心から喜びたい。

 それにしてもこの続編は前著以上に面白い。前著はともあれ「入門」だったことを思うと、本書の内容は格段に深みを増している。これを知っていたら、かなり自慢になるなあ、と思うことが次から次に出てくる。私は、覚えておきたい箇所はページの端を折っておくのが習いだが、あんまり折り過ぎて、何が何だか分からなくなってしまった。以下にざっと拾っておく。

・活字版は版本に比べて少数しか出版できないため、奉行所の検閲がなかった。
・板木は板木市で売買され、板元を変えながら購買者を広げた。
・「魁星印」は本ごとに作成した。
・草紙売り出しの日には蕎麦で祝うのが板元の吉例だった。
・京や大阪では新刊書を天満宮や住吉神社に奉納した。これは重版を確かめるときの証拠になる。版木が焼けてしまったときは、借り出した初刷本をもとに彫り直すことができた(日本にも一種の納本制度があったのか~)。
・中国では「惜字紙」という習慣(信仰)があり、字を書いた紙を粗末にしなかった。それゆえ、処分しなければならないときは特定の炉で焼き捨てた(焚書って蛮習とは言えないんだな)。一方、日本にはこの習慣がなかったため、古い写本が残った。
・日本の本屋は店先に小窓を設け、反古紙を集めて再利用した。
・新井白石『折りたく柴の記』は明治14年に初めて出版されたが、120点以上の写本が伝わる。専門の業者が写本製作を担ったのではないか。
・江戸幕府は徳川の先祖にかかわる話を禁書にした。しかし『太閤記』は禁書と思えないほど写本で読まれた。林子平『海国兵談』も同じ。
・江戸時代まで、書き入れのある本は「ひとまわり成長した本」として受け入れられた。
・江戸時代、身分を越えた読書会が作られた(木村蒹葭堂のサロンなど)。

 まだまだあるのだが、省略。後半では、全国の図書館・研究機関が構築・公開している、古典籍目録データベースを駆使して、江戸時代の出版事情に迫ろうと試みている。不備の多いデータベースである(著者の不満はごもっとも)が、一定の見識に基づく「補正」をかければ、随分いろいろなことが分かるのだな、と興味深かった。第3弾も出るかなあ。楽しみに待ちたい。
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関西週末旅行11月編:中国の絵入本(天理図書館)

2007-11-07 23:46:59 | 行ったもの(美術館・見仏)
○天理大学附属天理図書館 開館77周年記念展『中国の絵入本-明・清時代の版本を中心に-』

http://www.tcl.gr.jp/tenji/k77.htm

 昨年は仕事で訪ねた天理図書館の特別展に、今年はフリーで行ってみた。土曜日(祭日)は、図書館自体はお休みで、展示室だけが人を入れていた。

 会場に入って、なんだか嬉しくなってしまった。今回のテーマは「中国本」すなわち漢籍である。漢籍の展示会は、とにかく地味だ。黄ばんだ紙の上に黒くて四角い漢字が並んでいるだけ。朱墨で蔵書印が押してあればいいほう。江戸の草双紙や合巻のように華やかな挿絵や色摺りの表紙が付いているわけでもない。

 ところが今回、会場を見渡すと「文字ヅラ」がほとんどなくて「絵」のオンパレード。『仏母大孔雀明王経』(明版)にはびっくりした。巻頭の扉絵と巻末の刊記に鮮やかな彩色が施されている。赤・緑・黄・紺など。色数は少ないが、ぼかしや濃淡を効果的に用いた丁寧な仕事ぶりである。さらに『九天応元雷声普化天尊説玉枢宝経』(明・版本でなく写本のため参考展示)は、仏画そのもののような高度な芸術性を示す彩色画である。

 展示品は「西廂記」「琵琶記」などの戯曲・小説類が多い。もちろん「西遊記」「水滸伝」もあり。「三国志」は、元刊本の『至元新刊全相三分事略』が内閣文庫本(国立公文書館の『漢籍』展で見た)に次ぐ稀覯本なのだそうだ。しかし、挿絵は稚拙で、文字も略体が多い。「劉」とか「歓」とか、いまの簡体字そのものだ。ちなみに「三国志」の版本には、福建系と江南系があり、前者は「三国志伝」と題し、巻数は10巻か20巻、挿絵は上図下文形式で粗雑、後者は「演義」「三国志」と題し、24巻か12巻、挿絵は半面又は全面見開きで精巧なものが多いそうだ。覚えておこう。あ、同書の現存最古の版本は明の嘉靖本であることも。

 文学書以外にも、医学本草・技術産業・墨譜・画譜など幅広いジャンルが取り上げられている。富岡鉄斎旧蔵の『万寿盛典初集』、木村蒹葭堂→勝海舟旧蔵の『西湖佳話古今遺蹟』など名家旧蔵本が多いのは、天理図書館ならでは。この点で、最も興味深いのは、滝沢馬琴が自筆の跋文3葉を合綴した『三遂平妖伝』だろう。几帳面に罫線まで書き入れている。借覧本なのに。旅行中に読んでいた橋口侯之介さんの『続・和本入門』によれば、むかしの読者は、積極的に書き入れや綴じ直しを行うことで、本を「読む」と同時に「作る」作業にも参加していたのだそうだ。まさにその一例だろう。

 このほか、会場のところどころに参考作品として「蘇州版画」が掛けられていた。清代に蘇州で制作された年画(正月に飾る吉祥画)だが、「清末民初の度重なる戦乱のため中国では現存が稀である」そうだ。日本には、江戸時代に長崎を通じて舶載され、数多く残っているらしい。なるほどねえ。大好きな「乾隆銅版画」3点も見られて嬉しかった。

 ところで、天理図書館が秋に行う特別展は、翌春、東京の天理ギャラリーでも開催されることになっている。カラー図録(300円)を買い求めながら「東京にも来るんですよね?」とお尋ねしたら、「はい、来年5月に」とおっしゃっていた。東京の皆さん、お楽しみに。

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関西週末旅行11月編:狩野永徳(京都国立博)

2007-11-06 21:52:10 | 行ったもの(美術館・見仏)
○京都国立博物館 特別展覧会『狩野永徳』

http://www.kyohaku.go.jp/jp/index_top.html

 それにしても混みすぎだろ、狩野永徳展。先週の日曜は、午後1時過ぎで80分待ちだった。今週、再び東京から出直してきたが、9時に着いても30分待ちだった。

 そんなにいいか、永徳? 確かに、ポスターにもなっている『唐獅子図』は、一目見たら忘れられない。日本絵画には稀な、男っぷりのいい作品である。しかし、永徳って現存作品がきわめて少なく(Wikipediaによれば、10件に満たない)、明確な印象を結びにくい画家だと思うのに。「信長さま、秀吉さま、ご推奨!!」というキャッチフレーズが、よほど日本人の(関西人の)琴線に触れたのだろうか。

 などとブツクサ言いながら会場に入ると、いきなり、聚光院(大徳寺塔頭)の『琴棋書画図襖』(国宝)が待っている。壮年期の永徳の筆力が存分に発揮された作品。人物を描く筆の「入り」が硬い。書道で楷書を書くように、筆画の頭が太い三角形になっている。スレートみたいに黒光りする岩。サインペンで書きなぐったような松の根。行き場のないエネルギーが、息苦しいまでのテンションを感じさせる。必ずしも評判はよくないが、私は、こういう「過剰」な絵画が嫌いではない。

 向かいは、同じ聚光院の『花鳥図襖』(国宝)。こちらは、のびのびと生気に溢れた佳品だ。左端の鶴が天に向けて咆哮するように、大きくくちばしを開いている。甲高い一声が耳に響き渡るようだ。流水は岩に砕け、小鳥たちも、まるで人間のような仕草と表情で、会話を交わしている。こんなふうに豊かな「音」の存在を感じさせる絵画はめずらしいと思う。ほかの作品でも、永徳の描く小鳥たち・動物たちは、口を開け、声をあげているものが多いように思った。

 『二十四孝図屏風』など、永徳二十歳代の作品も出品されているが、はっきり言って凡庸である。ミスター桃山もこんなレベルから出発したのかと思うと、ちょっと微笑ましい。

 さて、本展随一の見ものは『洛中洛外図屏風』であるが、これはもう、黒山の人だかりで全く近づけず。図録と『芸術新潮』でガマンすることにしよう。そのほか、近江や吉野を描いた狩野派の名所図屏風が出ており、こちらは何とかそばで見ることができた。しかし、日吉大社のまわりで多数のサルが遊んでいるのに気づいたのは、うちで図録を眺めてからである。なかなか現場では、細部の面白さまで味わうことができない。

 後半は、いよいよ「桃山の華-金碧障屏画」の特集。ただし、永徳の作品がそんなに残っているわけではないので、狩野派総動員の様相を呈する。そんな中で、印象深かった永徳作品は、南禅寺の『群仙図襖』。人物の顔立ちが「面長で理知的」(近代的)なのが特徴的である。

 ちょっとびっくりしたのは『玄宗並笛図屏風』。玄宗皇帝が楊貴妃と睦まじく一本の横笛を奏する図である。また『羯鼓催花・御溝紅葉図屏風』も、同様に唐土の逸話(それもラブロマンス!)を題材にしている。どちらも近世初期(天正期?)の狩野派の作品。解説によれば、近世初期、「旺盛なる異国趣味を反映して、唐の玄宗皇帝を主題とする作品が数多く制作された」のだそうだ。へえ~南蛮屏風の存在は知っていたが、中国趣味が流行していたのは意外である。しかも、武辺の時代と思いきや、こんな華やかな宮廷ロマンが好まれていたとは。玄宗・楊貴妃の悲恋物語(長恨歌)の受容史って、文学に現れた影響だけで跡付けるのは危険なんだな。

 さらに私は、「ミスター桃山」永徳が『源氏物語図屏風』を描いていることにも激しく驚いた。戦国大名たちって、けっこう宮廷の軟弱文化に理解を示していたんだなあ。「桃山」って、物知らずの私にはまだ全貌が掴み切れないが、いろいろと混沌とした時代だったようである。
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塔の茶屋の茶がゆ弁当

2007-11-04 22:04:41 | 食べたもの(銘菓・名産)
なんと! 忙しがりながら、2週連続で関西に行ってきた。
今回の目的は京博の狩野永徳展。先週の日曜の午後、「入館待ち80分」と聞いて諦めたので、再チャレンジである。
あと、興福寺の秘仏公開、天理大学図書館の貴重書展と、大阪歴博の風林火山展も見てきた。

半日だけ友人が一緒だったので、お昼は少し贅沢して、興福寺・塔の茶屋の茶がゆ弁当。お庭に腰掛けていただいた。お店のホームページでは甘酒つきだが、今日は梅酒の小グラスつきだった。

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偉大な光と影/大清帝国と中華の混迷(平野聡)

2007-11-01 00:16:05 | 読んだもの(書籍)
○平野聡『大清帝国と中華の混迷』(興亡の世界史17) 講談社 2007.10

 ひとくちに中国史好きと言っても、興味の対象はさまざまである。日本人にいちばん人気があるのは、三国志、あるいはシルクロードの時代(唐代)だろうか。私もむかしは古代びいきだったのに、いつの頃からか、中国近代史のとりこになってしまった。その魅力は、著者の言葉を借りるなら「清という帝国の偉大な輝きと凄絶な崩壊をめぐる展開」にある。日本史はもちろん、世界史のどこを探しても、これほど「偉大な輝き」と「凄絶な崩壊」を体現した王朝(政権)は少ないのではないか。

 しかし、清朝史に興味や親近感を持つ日本人は少ないと思う。これは非常に残念なことだ。清朝史を理解することは、現在の中国を理解することに直結している。チベット、新疆、台湾など中国の辺境・周辺地域問題がなぜ生まれたか。中国人の頑強なナショナリズムはどこから来たか。今日「東アジア」の連帯と協調を阻むものは何か。そうした諸問題の鍵は清朝史にある、というのが本書の立場である。

 本書は、清のひとつ前の王朝、明の建国から没落までを駆け足で解説し、ついで、中国東北部に清(後金)を建国したヌルハチ、ホンタイジについて語る。そうそう、瀋陽故宮も行ったなあ。玉座のある大政殿(八角亭)の前の広場に10棟の東屋が建ち並ぶ様は、王宮として他に例を見ない、不思議な光景だったが、「遊牧民・狩猟民のゲル(テント)を用いた騎馬兵力の幕営地をイメージしている」と言われると、なるほどと思う。

 清朝初期の統治は、「礼部・儒学・科挙官僚・朝貢国」が適用される東アジア世界と、「理藩院・チベット仏教またはイスラム教・八旗軍人・藩部」が適用される内陸アジア世界の二重原理で構成されており、順治-康煕-雍正-乾隆と続く名君たちが重視したのは、内陸アジアの統治だった。けれども、19世紀に入ると、東シナ海に西洋諸国が出現し、内陸国家であった清を、不案内な海域世界に無理やり引きずり出す。いまの我々が考える「東アジア世界」は、こうした緊張と葛藤の中から始まったのである。

 そして、明治日本の出現は、清朝の人々にとって「およそ日本人には想像もできないほど衝撃的で混迷に満ちたものであった」と著者は言う。清は、漢人地域と内陸アジア、そして朝貢国については、それなりに豊富な情報を持っていたが、日本は全く未知の国だったからだ。日本との闘争を通して、清(中国)は、自らをひとつの国家として認識することを学んだ。つまり、近代東アジア諸国の強固なナショナリズムは、いずれも明治維新の伝播であると言える。

 平野聡さんの単行書は『清帝国とチベット』に続く2冊目だと思う。前作は博士論文がベースになっていて、かなり読み応えがあった。本書は、学生や市民講座の受講生の「わかりやすい読み物を書いてほしい」との要望に応えたもので、初心者にも読みやすく書かれている(ちょっと食い足りない感もある)。本書によって、清朝史に興味を持つ日本人がひとりでも増えてくれたら嬉しいと思う。

 なお、付録リーフレットに掲載されている「近代中国の光と影。失われた清朝の遺産に触れる」と題した参考文献一覧が面白い。藤子不二雄A著『劇画毛沢東伝』は著者のおすすめの由。読んでみたい。あと金庸の『書剣恩仇録』、浅田次郎の『蒼穹の昴』が載っているのにもニヤリとした。目配り広くていいなあ。
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