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見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

関西週末旅行11月編:狩野永徳(京都国立博)

2007-11-06 21:52:10 | 行ったもの(美術館・見仏)
○京都国立博物館 特別展覧会『狩野永徳』

http://www.kyohaku.go.jp/jp/index_top.html

 それにしても混みすぎだろ、狩野永徳展。先週の日曜は、午後1時過ぎで80分待ちだった。今週、再び東京から出直してきたが、9時に着いても30分待ちだった。

 そんなにいいか、永徳? 確かに、ポスターにもなっている『唐獅子図』は、一目見たら忘れられない。日本絵画には稀な、男っぷりのいい作品である。しかし、永徳って現存作品がきわめて少なく(Wikipediaによれば、10件に満たない)、明確な印象を結びにくい画家だと思うのに。「信長さま、秀吉さま、ご推奨!!」というキャッチフレーズが、よほど日本人の(関西人の)琴線に触れたのだろうか。

 などとブツクサ言いながら会場に入ると、いきなり、聚光院(大徳寺塔頭)の『琴棋書画図襖』(国宝)が待っている。壮年期の永徳の筆力が存分に発揮された作品。人物を描く筆の「入り」が硬い。書道で楷書を書くように、筆画の頭が太い三角形になっている。スレートみたいに黒光りする岩。サインペンで書きなぐったような松の根。行き場のないエネルギーが、息苦しいまでのテンションを感じさせる。必ずしも評判はよくないが、私は、こういう「過剰」な絵画が嫌いではない。

 向かいは、同じ聚光院の『花鳥図襖』(国宝)。こちらは、のびのびと生気に溢れた佳品だ。左端の鶴が天に向けて咆哮するように、大きくくちばしを開いている。甲高い一声が耳に響き渡るようだ。流水は岩に砕け、小鳥たちも、まるで人間のような仕草と表情で、会話を交わしている。こんなふうに豊かな「音」の存在を感じさせる絵画はめずらしいと思う。ほかの作品でも、永徳の描く小鳥たち・動物たちは、口を開け、声をあげているものが多いように思った。

 『二十四孝図屏風』など、永徳二十歳代の作品も出品されているが、はっきり言って凡庸である。ミスター桃山もこんなレベルから出発したのかと思うと、ちょっと微笑ましい。

 さて、本展随一の見ものは『洛中洛外図屏風』であるが、これはもう、黒山の人だかりで全く近づけず。図録と『芸術新潮』でガマンすることにしよう。そのほか、近江や吉野を描いた狩野派の名所図屏風が出ており、こちらは何とかそばで見ることができた。しかし、日吉大社のまわりで多数のサルが遊んでいるのに気づいたのは、うちで図録を眺めてからである。なかなか現場では、細部の面白さまで味わうことができない。

 後半は、いよいよ「桃山の華-金碧障屏画」の特集。ただし、永徳の作品がそんなに残っているわけではないので、狩野派総動員の様相を呈する。そんな中で、印象深かった永徳作品は、南禅寺の『群仙図襖』。人物の顔立ちが「面長で理知的」(近代的)なのが特徴的である。

 ちょっとびっくりしたのは『玄宗並笛図屏風』。玄宗皇帝が楊貴妃と睦まじく一本の横笛を奏する図である。また『羯鼓催花・御溝紅葉図屏風』も、同様に唐土の逸話(それもラブロマンス!)を題材にしている。どちらも近世初期(天正期?)の狩野派の作品。解説によれば、近世初期、「旺盛なる異国趣味を反映して、唐の玄宗皇帝を主題とする作品が数多く制作された」のだそうだ。へえ~南蛮屏風の存在は知っていたが、中国趣味が流行していたのは意外である。しかも、武辺の時代と思いきや、こんな華やかな宮廷ロマンが好まれていたとは。玄宗・楊貴妃の悲恋物語(長恨歌)の受容史って、文学に現れた影響だけで跡付けるのは危険なんだな。

 さらに私は、「ミスター桃山」永徳が『源氏物語図屏風』を描いていることにも激しく驚いた。戦国大名たちって、けっこう宮廷の軟弱文化に理解を示していたんだなあ。「桃山」って、物知らずの私にはまだ全貌が掴み切れないが、いろいろと混沌とした時代だったようである。
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