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見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

饒舌な主人公/単騎、千里を走る

2006-02-15 22:37:18 | 見たもの(Webサイト・TV)
○張芸謀監督、高倉健主演 映画『単騎、千里を走る』

http://www.tanki-senri.com/

 中国雲南省の麗江は、長いこと、私の憧れだった。念願かなって訪ねることができたのは、2004年の元旦を挟んだ年末年始の休暇である。麗江は、環境保全型の開発が進んで、小ぎれいな観光城市に変貌しつつあったが、それでも、一歩メインストリートを外れると、昔のままの生活が残っていた。それから、ちょうど1年経って、2004年の暮れ、張芸謀(チャン・イーモウ)が麗江で高倉健の映画を撮っているというニュースを知って、びっくりした。私の旅行が1年遅れていたら、彼らの撮影にぶつかっていたかもしれない。そんなわけで、早くから気になっていた映画である。

 このところ、張芸謀の日本公開作品はだいたい見ている。この作品は、『HERO』『LOVERS』の娯楽大作路線とは異なり、『あの子を探して』『初恋のきた道』『至福のとき』の系譜に連なると言える。困難に置かれた主人公が見せる誠意。それに応えて、人々が寄せ合う善意。ただそれだけの、作為やトリックに乏しい、単純なストーリー。

 素人の子役ばかりを使った『あの子を探して』、可愛いヒロインが主役の『初恋のきた道』『至福のとき』に対して、名優・高倉健というキャスティングが成功しているのかどうか、私は、ほかの高倉健映画を知らないので、判断できない。ただ、好みを言えば、ちょっと喋りすぎではないかと思った。

 家族の愛情と古典演劇をモチーフにした中国映画ということで、私は孫周(スン・チョウ)監督の『心香(心の香り)』(1992年)を思い出した(→映画紹介blog)。あれは、実に寡黙だけど、心に沁みる映画だった。言葉にならない感情が、スクリーンからダイレクトに伝わってくるような感じだった。

 それに比べると、この映画の高倉健のモノローグは饒舌である。彼は背中で演技できる俳優だとか何とか言っているわりには、痛々しいくらい、喋らされている。張芸謀監督は、「言葉にしなければ観客に伝わらない」という強迫観念を感じているのではないか。グローバリゼーションの中に呑まれた中国映画が、必然的に陥る運命なのかも知れない。
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暦の世界・江戸から近代/新宿歴史博物館

2006-02-14 12:41:34 | 行ったもの(美術館・見仏)
○新宿歴史博物館 企画展『暦の世界へ』

http://www.regasu-shinjuku.or.jp/46

 なぜに新宿歴史博物館で暦?と思ったが、それなりに理由がある。江戸の一時期、幕府の天文台は牛込にあった。また、大小暦という判じ暦流行の火付け役となった大久保巨川という旗本の屋敷も牛込にあったという。というわけで、主に江戸から近代にかけての「暦の世界」を、豊富な文献資料で紹介したもの。思った以上に面白かった。

 明治5年の年末に行われた太陽暦への切り替えが、全く突然のことだったとは聞いていたが、実際に、当時の弘暦者(暦師)の日録を読むのは初めてだった。同年11月12日は、まだ文部省からの御沙汰もなく、風説は悪説であろう、と述べている。ところが、翌13日、どうやら「実説」であることが判明。既に10月1日には、明治6年の暦(太陰太陽暦)を刷っていた弘暦者たちは困惑を極める。東京に使者を派遣しようと相談しているところ、17日に、正式に改暦が公布された。これで、半月後の12月3日が明治6年元旦だというのだから、そりゃあ混乱するだろうなあ。

 弘暦者たちが被った甚大な被害を補償するため、明治政府は、暦専売に関わる冥加金の徴収を、明治15年まで免除したらしい。これも初耳。

 また、改暦の前後、世上には太陽暦に関する啓蒙書が数多く出版された。中でも福沢諭吉の『改暦弁』は、たった6時間で書き上げられ、わずか2匁(7.5グラム)の小冊子であるにもかかわらず、たちまち数十万部を売り上げ、福沢の利益は千五百円に達したという(うーむ。漱石の坊ちゃんが六百円で3年間暮らしたのだから)。この小冊子が可笑しい。「日本国中の人民、此改暦を怪む人は必ず無学文盲の馬鹿者なり」って、そこまで言わなくてもいいじゃない、と苦笑してしまった。福沢先生って、何でもこういう語調でモノをいう人だったんだなあ、と思うと、逆に愛嬌を感じて好きになった。

 大小の判じ暦も面白かった。旧暦では、月の大小は一定でなく、翌年の暦に記載されて初めて知ることができる。月締め経済を原則とする江戸社会では、月の大小を間違えることは信用問題にかかわったという。なるほど~。その大事な情報を「判じ絵」というかたちで遊んでしまうところが、また面白い。

 また、近代の日めくりカレンダーの登場について「日本では暦を柱に貼り付けるという伝統があり」と書いてあって、おや、と思った。そうか、もしかして、欧米には「暦を壁や柱に掛ける」伝統ってないのかな。いろいろと興味深い展示会であった。

 なお、この博物館、常設展は有料だが、企画展は無料。良心的である。

■大小暦の謎解き(国立国会図書館)
http://www.ndl.go.jp/koyomi/nazo/01_index.html
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再訪・歌仙の饗宴/出光美術館

2006-02-13 19:39:56 | 行ったもの(美術館・見仏)
○出光美術館『古今和歌集1100年記念祭-歌仙の饗宴』

http://www.idemitsu.co.jp/museum/honkantop.html

 先月に続き、再び上記の展覧会に行ってきた。わずかだが、展示替えがあったためである。「佐竹本三十六歌仙」は2点が入れ替わった。うち1枚は、11年ぶりの公開となる「斎宮女御」である。絵巻切断の際、最高額が付いたという、いわくつきの作品だ。しかし、調度品の描き込みがある点は興味深いが、それほど魅力的な画稿には感じられなかった。これなら前期の「小大君」のほうが、色っぽくて、見栄えがするかもしれない。

 それから、根津美術館蔵の人麻呂像が、新たに2枚。本展覧会では、「佐竹本三十六歌仙」の赤人像(パネル展示のみ)が、硯を前に、料紙と筆を持っていることに注目し、これが人麻呂像の原形(東博蔵・鎌倉時代の作が、姿勢もいちばんよく似ている)となった、という仮説を立てている。うーん。どうかな。これは私、もうちょっと慎重な検討が要るように思うのだけど...

 古筆類は、あまり展示替えも巻替えもなかったようなので、さらりと見てきた。しかし、混雑ぶりにびっくり。日本美術って、いつからこんなに愛好者が増えたのだろうか。嬉しいことである。
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バーク・コレクション/東京都美術館

2006-02-12 22:03:25 | 行ったもの(美術館・見仏)
○東京都美術館『ニューヨーク・バーク・コレクション展』

http://www.tobikan.jp/

 ニューヨーク在住の日本美術収集家、メアリー・バーク夫人が40余年をかけて収集したコレクションの里帰り展。

 「縄文から琳派、若冲、蕭白まで」のキャッチコピーのとおり、会場に入るとすぐ、待っているのは土器と埴輪である。『横瓶』は弥生時代の黒っぽい須恵器。博物館なら考古資料のコーナーにあるべきものだが、蜘蛛の巣のように張り付いた自然釉(燃料の薪の灰が降ってガラス化したもの)が、宇宙のビッグバンをあらわすようで、十分、美的な観賞に耐える。その隣の、大玉スイカのようにぽってりした弥生土器も面白い。魔よけの丹の色(赤)が日の丸を思わせる。

 『石山切』とか『平治物語絵巻断簡』とか『住吉物語絵巻断簡』などは、あ~こんな名品を海外に流出してしまったなんて...と歯噛みしたくなる名品である。その一方、室町時代の『源氏物語絵巻』なんて、珍妙な作品もあった。源氏物語の5帖をダイジェストで描いたミニ絵巻で、あまり色気のない白描画が、坂田靖子の絵(懐かしい~)に似ている。よくぞ、こんな作品を見出してくれました!と感謝したくなる。江戸時代の『大麦図屏風』も、作者不詳で、類例を知らない、不思議な作品。自分の趣味に忠実な、個人コレクションならではの収集品だと思う。

 いちばん見たかったのはポスターにもなっている曽我蕭白の『石橋図』。蕭白には、いろいろ変な作品があるけれど、これほど問答無用でかわいい作品は初めてである。石橋に群がる大小の獅子の群れは、なんだかアニメーションみたいだ。虚空を悠々と落下する獅子の子が、ナウシカに見えてくる。蕭白のもう1枚『許由巣父・伯楽図屏風』もいい。蕭白の描く中国の隠士って、ちょっとお茶目で、金庸の武侠小説とかに出てきそうな顔をしている。

 このほかでは、与謝蕪村の絵画を初めて意識して見た。有名な『奥の細道画巻』は、文人の手すさび風だが、実はさまざまな技術を使い分ける、本格的な画人だったようだ。それから英一蝶が1枚。なんでもない風俗画であるが、解説を読んで、このひと、幕府に嫌われて三宅島に島流しにされ、また帰ってきたということを初めて知った。興味深い。
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国家と文学者/誰が憲法を壊したのか(小森陽一、佐高信)

2006-02-11 22:35:29 | 読んだもの(書籍)
○小森陽一、佐高信『誰が憲法を壊したのか』 五月書房 2006.1

 近代日本文学を専門とする小森さんと、経済評論で活躍する佐高さんの対談というのは、一見、奇異な感じがする。しかし、両者とも、憲法改正に反対の意思を表明している点は共通する。むしろ、思想的に近すぎて、対談の面白みに欠けるんじゃないかな?と心配してしまった。

 実は、憲法改正、自衛隊のイラク派遣など、一連のトピックに直接ふれているのは第1章のみで、全体の3分の1に満たない。そのあとは、日本文学の話題を中心に、ふたりはくつろいだ雰囲気で楽しそうに喋っている。この文学談義がなかなか面白い。もちろん小森センセイにとっては専門分野だけど、佐高さんが、文学畑の研究者なら絶対しないようなツッコミ(質問)をするのが面白いのだ。金子光晴について書く院生が5年に1人くらい現れる、という小森さんの報告に対して「それはどういう院生なんですか?」とか。

 話題は、鏡花、漱石、芥川、太宰と続く稗史小説の伝統を指摘し、松本清張、五味川純平、森村誠一、水木しげるなど、多方面にわたるが、いちばん興味深いのは、やはり夏目漱石論である。大岡昇平によれば、彼の世代にとって漱石は論ずるに値する文学者ではなく、ただの新聞小説家=大衆作家という認識が主流だったという。

 ロンドンにおける漱石が、「漢学に所謂文学と英語に所謂文学」つまり、アジアの漢字文化圏で一種世界化した言語・思想体系としての「文学」と、大英帝国の植民地で流通していた世界言語・英語による「文学」、どちらにしても、国民文学や国民言語とは対極にあるところで「文学」を考えていた、というのも面白いと思った。

 それから、漱石を経済小説として読む面白さ。たとえば『坊ちゃん』の主人公は、父親の遺産600円を貰って物理学校に通うが、卒業までの3年間、年200円では、かつかつの生活をしていたはずだ。あるいは、『それから』の三千代が代助に借りに来る500円、これに対して代助が用立てる200円の価値。そうねえ、中学生や高校生で漱石を読んだときは、そもそも現実的な経済感覚がまだないから、こういう経済指標に注意したことはなかった。

 このように、いろいろ面白いエピソードを拾わせてもらったことは否定しないが、敢えて苦言を呈したいことがある。本書に以下の一節がある。佐高「小森さんは佐藤さんの『情報統制』という本は読まれましたか? 私はどこかの書評を読んでその通りだなと思ったんですけど、鈴木という人がそういう露骨な弾圧者ではなかった、みたいな書き方なんでしょう?」――小森「はい。」

 この会話は、唐突にあらわれて、「佐藤さん」や「鈴木」が何者であるか、全く説明がない。私は数秒考えて、鈴木庫三という軍人を描いた、佐藤卓己著『言論統制』(中公新書 2004.8)のことだと気づいた。これはひどい。佐高さんが間違った書名を口にしたのかもしれないけど、それを放置したのは編集者の怠慢である。

 そう思って見なおすと、本書には、多数の文学者や文学作品が登場するにもかかわらず、ほとんどレファレンスがない。申し訳に、小森さんと佐高さんの著作に限っては「○○社」とか「××新書」という注を入れているが、それだけである。漱石が徴兵忌避のために戸籍を北海道に移したという問題も、「丸谷才一さんの論文」に拠って論じながら、具体的なレファレンスは一切なし。いつ、どこに発表された論文で、どの単行本で読めるんだ!?

 きちんとした注やレファレンスを作るのは大変な仕事である。限られた時間や予算の中で、ままならないこともあるだろう。しかし、喋ったら喋りっぱなしの録音を起こしだけで「本をつくった」と言えるのか。これでは、本書が批判している小泉政権の「言いっぱなし」体質と、あまり変わらないのではあるまいか。
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鏡に映る日本/日中一〇〇年史(丸川哲史)

2006-02-10 00:16:41 | 読んだもの(書籍)
○丸川哲史『日中一〇〇年史:二つの近代を問い直す』(光文社新書) 光文社 2006.1

 はじめ、著者の名前と書名を見比べて、「おや」と意外の感にとらわれた。デビュー作『台湾、ポストコロニアルの身体』(青土社 2000.6)以来、”台湾”研究者としては絶対の信頼を置く著者であるが、”日中”を論ずるのは、なんとなく不似合いに思われたのだ。

 そんなことは余計なお世話だったかもしれない。本書は、日本と中国という「二つの近代」を、もつれた糸をほどくように、ていねいに解析していく。それは著者が台湾研究者として体験した事態、日本近代史の立場から台湾を扱う人々には中国側の視点がなく、中国史の立場に立つ人々は日本の植民地経営について専門外である、というジレンマを克服するために獲得された態度ではないかと思う。

 日本の近代の始まり(やっぱりそこに戻るのだ)、明治維新はひとつの革命であったが、君主制は破棄されず、むしろ君主を中心に中央集権体制を確立する方策が模索された。戦後日本でさえも、天皇は「五箇条のご誓文」を掲げて、明治維新に立ち戻っただけである。一方、中国では、辛亥革命によって君主制が廃絶され、そのことが決して後戻りのできない近代中国の核心となった。このように両国の近代は、始まりから全く違った方向を選び取ったのである。

 しかし、近代中国の父・孫文は、明治維新の成功を意識していたし、辛亥革命(さらに中国革命の進展)は、北一輝や石原莞爾らにとって共感の対象だった。どちらの国の知識人にとっても、自国の近代化は、西洋列強の侵略を食い止めるため「生命をかけたプロジェクト」として認識されていた。なるほど、この点は、東アジア各国が何度でも立ち返り、参照し得る、共通の歴史的文脈であるといえる。

 福沢諭吉の「脱亜論」でさえも、著者は、これを当時の具体的なコンテクストから切り離して読むことの危険性を指摘する。中国や朝鮮を、今日に比べて格段に身近な存在と意識していた時代、蘭学を学ぶ以前に漢学の素養をきっちり身につけていた福沢の、「共に亜細亜を興すの猶予ある可らず」という表現には、「酷薄なまでの意気込み」があり、アジアを裏切ってでも「日本の独立」を最優先するという、ある種の責任意識が貫徹されているという。うーむ。福沢のテキストを読むのは難しいなあ。私はまだ、彼の評価を定めることができない。

 本書では、「日中百年史」のタイトルどおり、魯迅や毛沢東も論じられているのだが、読後、圧倒的に胸に残るのは、「日本の近代」に抗った日本人たちである。五四運動における中国ナショナリズムの高揚を鋭く感じ取った北一輝。敗戦の8月15日、内乱と革命の進行を夢想した竹内好。そして、今後、日本のナショナリズムは、外部の政治力(アメリカ)と結びつくことによって存立せざるを得ず、したがって「他のアジア・ナショナリズムの動向に背を向ける運命にある」と予言した丸山真男など。彼らにとって、アジア、とりわけ中国は、ひたすら西欧を志向しながら、西欧とは似ても似つかぬ近代をつくってしまった国、日本を逆照射する鏡だったように思う。

 最後に衝撃的だったのは、終章で紹介されている、溝口雄三の近著『中国の衝撃』(東大出版会 2004)である。いまや日本は、中国が提供してくれる労働力、市場、食糧などに依存せずには存在できない。逆に中国は、日本を必要としなくなり、「日本がどのような歴史認識を持っていようが全く気にしなくなる」日が来るだろうというのだ。なんと、身もフタもない! しかし真実かもしれないなあ。大国化する中国と、小国化する日本。なあに、私はヘーキだけどね。
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反目を断ち切るもの/戦争とプロパガンダ(サイード)

2006-02-08 23:37:31 | 読んだもの(書籍)
○E.W.サイード『戦争とプロパガンダ』 みすず書房 2002.2

 通勤の帰り道、私鉄の駅に隣接する小さな本屋に寄ったら、さして広くもない人文書の棚に、サイードの本が3冊並んでいた。どう考えても、雑誌とコミック、文庫本かビジネス書が売れ筋の本屋で、何を間違ってこんな本を入れたのだろう、と不思議に思い、なんとなく愛おしくなって買ってしまった。

 サイードの『オリエンタリズム』を読んだのは、7、8年前になるだろうか。何の予備知識もなかったので、へえ~ヨーロッパ人にとってのオリエントって、アラブ社会のことなのか~と無邪気に驚いて読んだ。それから、2001年にバーミヤンの大仏が破壊され、9.11があり、「文明の衝突」論が流行り、アメリカはアフガニスタンに続いてイラクに侵攻した。一方、パレスチナ人による自爆テロと、イスラエルの報復攻撃も、果てしなく繰り返された。

 やれやれ。書いているだけで気の滅入るような事件の羅列である。東アジアで暮らす我々は、北朝鮮問題の顕在化、中韓における反日運動の激化など、さらに切実な難題を抱えている。この悪意と反目の連鎖は、どこまで続くのか。世界中が出口のない袋小路で迷っているようだ。

 本書は、2001年、9.11事件の直前から同年末までに発表された7本の記事をまとめたものだ。発表された先は、アラビア語の日刊紙『アル・ハヤート』であるが、同時にエジプトの英語新聞『アル・アフラーム・ウィークリー』にも掲載されており、同紙のWebサイトでも読むことができるという。

 したがって、著者は、パレスチナのアラブ人、アメリカ国内のアラブ人、さらに世界中のアラブ人と英語を読む人々にむかって語りかけている。著者は、安易な自己正当化と報復のシナリオに熱狂するアメリカ国民に警鐘を鳴らしつつ、パレスチナ人民を「代表する」と自称する勢力(アラファトと自治政府)の欺瞞にも、容赦ない批判を浴びせる。さらに、著者の追及は、そのような指導者を許してきた「わたしたち」の責任におよぶ。西欧におけるユダヤ教やキリスト教の世論操作を非難すると同様の真摯さで、「わたしたち」はイスラム世界における宗教の利用を批判してきただろうか。非人道的な自爆攻撃を、一瞬でも容認したり支持したことはなかったか。貧困、無知、文盲、抑圧のはびこる社会を許容してきたのは「わたしたち」自身ではなかったか。

 もし、悪意と反目の連鎖を断ち切れるものがあるとすれば、それは、力とか恫喝ではなくて、こういう、理性に基づく自省なのではないか。著者は言う、「懐疑的態度や再評価は必需品であって、ぜいたく品ではないのだ」と。

 本書のように、格調高く真摯な記事が、Webで公開されているということも、非常に興味深く思った。日本では、暴言の巣窟みたいになっているインターネットというメディアだが、世界的には違うらしい。これって、国境を超えて通用する英語と違って、(ほぼ)一国一民族に限定される日本語は「公共性」に乏しい、という違いなのだろうか。

#追伸 TBやコメントを下さっている皆様。お返事できなくてごめんなさい。ちょっと仕事が忙しくて、自分の記事を書くだけで手一杯で...でも、ちゃんと読ませていただいてます。感謝々々。
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始まりの頃/朝鮮近代史(姜在彦)

2006-02-07 23:03:54 | 読んだもの(書籍)
○姜在彦『新訂朝鮮近代史』(平凡社選書) 平凡社 1994.8

 最近、知りたいと思っていることがある。そもそも近代日本(明治政府)の始まりの頃、日本と朝鮮半島の関係は、どうなっていたのかということである。

 私は(自慢にならないが)日本の近代史をほとんど何も知らずに大人になり、30代半ばも過ぎた頃から、ようやく基本文献を読み始めた。今では、おおよそ大正から昭和、日露戦争以降の歴史は、頭に入ったように思う。同時に、この時代の日本が、東アジアの隣国にどのような影響を与えてきたか(悪い意味に限定するつもりはない)ということも、いくぶん理解できるようになった。

 昨年くらいから、日本の近代史に対する興味が少し広がって、「明治」という時代が私の視野に入ってきた。すると今度は、そのころ、日本と朝鮮半島の関係がどうなっていたのかが、とても気になり始めたのだ。近代日本が、その後に直面したさまざまな問題は、遡っていけば、始まりの時代「明治」に行き着いてしまう。同様に、日本と朝鮮半島が、世紀を跨いで抱え続ける困難も、たぶん近代の始まりに原因の根があるのだろうと思う。

 とりあえず、そのへんの歴史事実が知りたいと思って、目についた本から読み始めた。しかし、正直なところ、難しかった。日露戦争以降の記述はよく分かるんだが、その「前史」は、まだ私の頭の中で具体的なイメージを結ばない。そもそも私は、当時の朝鮮人が、どんな服を着て、どんな髪型で、どんな家に住んでいたかもイメージできないのだ。

 まあ、あせらず行こう。私は、中国の近代史についてだって、日本人の歴史研究、中国人の歴史研究、さらに小説を読み、エンターテイメント系の映画やTVドラマでイメージを補完しながら、何年もかけて、ようやく少し理解できるようになったのだ。まずは、中国における韓流ブームの火付け役となった歴史ドラマ『明成皇后』(日本では閔妃の名で知られる)を見てみたいものだ。できれば中国語版がいいな。

 なお、1900年代以降の日朝関係について言えば、1919年に日本統治下の朝鮮で起きた独立運動「三・一運動」は、同年の中国の「五・四運動」はもちろん、前年に日本で起きた「米騒動」とも、同じ精神を共有するものである、という本書の指摘に、なるほどと思った。日本一国で見ると、「米騒動」って、ずいぶん軽いネーミングであるが、ちゃんと世界史的な背景があるものなのだな。「自虐/懲罰」でもなく、恩着せがましい「開発/援助」の歴史でもなく、こういう「共時性」の視点で書かれたアジア史がもっと読みたいと思う。
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帝国の清算/東條英機と天皇の時代(保阪正康)

2006-02-05 23:45:57 | 読んだもの(書籍)
○保阪正康『東條英機と天皇の時代』(ちくま文庫)筑摩書房 2005.11

 1週間前に読み終わったこの本のレビューを書くのが遅れたのは、むかし読んだ本を探し出して、ある記憶を確かめたかったためだ。

 ――東條さんは矢張り偉いと低く言う兄に和しまた反発す

 東條英機という人物について、私はほとんど何も知らなかった。最も著名なA級戦犯として名前を覚えたのさえ、ほんの7、8年前のことではないかと思う。私が東條について、初めて何がしかの具体的な知識を得たのは、2001年に邦訳の出た、ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』(岩波書店)を読んでからだ。

 敗戦後、東條はすぐに自決せず、逮捕寸前にピストル自殺を図って失敗し、アメリカ兵から輸血を受け「混血」になった。それゆえ、戦時中の英雄扱いから一転して、国民は彼に轟々たる非難を浴びせ、嘲笑した。しかし、一方的な裁判の結果、死刑に処せられたことには、ひそかな同情を寄せる人々もいた。私はこれらを全てダワーの本から学んだ。冒頭にあげた短歌は、ある日本人の肉声として、ダワーが紹介しているものだ。私の記憶には、ずっとこの短歌が、飲み込めない小骨のように引っかかっていた。「矢張り偉いと低く言う」――この屈折の正体は何なのか。いちおう断っておくが、私はもっと積極的に彼を再評価すべきだと思っているわけではない。むしろ、なぜ彼を断罪できないのかが不思議なのだ。

 ダワーの本は、敗戦後の東條の姿しか語っていない。だから、それ以前の彼の閲歴については、本書で初めて知ることが多かった。長州閥(山口県人)絶対優位の陸軍で、傍流に甘んじた父親のこと、天皇に対する無邪気なまでの忠誠心、対米宣戦を決めた夜に人知れず号泣していたことなど、いくつか興味深いエピソードもあったが、全体としては凡庸な半生の印象しか残らない。なぜ、こんな小人物が、あの莫大な戦禍を作り出すことになったのか、ちょっと奇異な感じさえ受ける。

 メモ魔で、記憶力がよく、びっくりするほど細かいことまで配慮を忘れないが、大状況を理解できない。どこに向かうという「思想」が無い。甲論乙駁が嫌いで、決断を尊ぶと言えば聞こえがいいが、分析や論理を軽視し、信念や忠誠だけで何でも解決できると思っている。なんだか、いまの日本の政治家にも、いや、そこらへんの組織にも、いくらでも類例を見つけ出せそうなタイプである。

 しかし、著者は、「こうした平凡な人物が、あの難局の指導にあたらねばならなかったところに、日本の悲劇はあった」という見方を、半ば肯定しながら、半ば否定する。近代日本は、初めから、ある種の制度的矛盾をはらんで出発した。運悪く、その清算を請け負うことになったのが、「<大日本帝国という御輿>をかついだ最終走者」東條英機なのである。だから、本当のことを言えば、あの長く悲惨な戦争の責任は、ずっとさかのぼって、偉大な「明治日本」の功労者たちに帰せられなければいけないのかもしれない。そのことに目を塞ごうとするやましさが、東條を語る際の屈折につながっているのではあるまいか。
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プラトニック・ムービー/博士の愛した数式

2006-02-04 22:23:07 | 見たもの(Webサイト・TV)
○小泉堯史監督 映画『博士の愛した数式』

http://hakase-movie.com/

 年に数本しか映画を見ない私であるが、この映画は必ず見に行こうと決めていた。原作も面白いにちがいない。何せ、書店員が選ぶ「本屋大賞」の第1回を受賞した作品である。なんだけど、どうも現代小説は苦手なのだ。

 映画はとてもよかった。登場人物の数とか、物語のタイムスパンとか、リアル/アンチリアルの匙加減が、1本の映画として「ちょうどいい」感じがした。80分しか記憶が持たない数学者と家政婦母子の交流を描く物語、としか聞いていなかったので、博士と未亡人の義姉との間に、秘められた男女の過去があったという付録には、びっくりした。しかし、これが、程よく物語に厚みと陰影を加えている。さっき、立ち読みしてきたキネ旬によれば、この設定、原作では映画ほどはっきり書いていないらしいけれど。

 それから、数学教師になったルート少年の回想を物語の大枠とし、彼が要所要所で(中高生にも分かるように)数学の定理を説明する、という脚本も自然で、うまい。最初に彼が登場することで、この物語が、途中、どんなに「悲劇的」な様相を呈しても、最後はハッピーエンドに円環するという安心感を、観客は留保しておくことができる。ちなみに原作は博士が施設に入るところで終わる由。うーむ、小説ではさらりと書けても、映像でその場面を見るのは、ちょっと辛かろう。

 博士役の寺尾聰は実にチャーミングである。「80分で記憶が消える」はずなのに、最初の仏頂面が消えて、だんだん笑顔のシーンが増えていくのは(ルート少年とその母が、博士との付き合い方を学習した結果だとしても)理に合わないのだが、許せる。寺尾聰が劇中で着ている背広は、故宇野重吉の遺品なのだそうだ。

 ところで、博士の愛した数式とは「オイラーの公式」のことである。劇場では全く見逃していたのだが、上記のサイトを見ていたら、記憶をなくす前の博士が、義姉におくった愛の手紙には「e(πi)=-1」と記されていた(らしい)。しかし、ルート母子に出会った博士が、ありのままを受け入れて生きることを決意し、あらためて義姉に示したメモには「e(πi)+1=0」とあった。数学的な意味は同じだけど、表現が異なる。私は、前者は三角関係の謂いであり(邪推かなあ)、後者は和解と友愛の比喩であるように思う。

 言葉の根源的な意味で、プラトニックなすがすがしさの残る映画。数学、友愛、「大切なものは目に見えない」、それから少年教育、これらは全てプラトン哲学のタームである。

 ただひとつ、劇中で演じられる「能」の題目が分からないのが悔しい。何か意味があるんじゃないかと思うんだが...
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