見もの・読みもの日記

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ブームの遠景/「冬ソナ」にハマった私たち(林香里)

2006-02-19 21:36:41 | 読んだもの(書籍)
○林香里『「冬ソナ」にハマった私たち:純愛、涙、マスコミ……そして韓国』(文春新書) 2005.12

 著者とは少しだけ面識がある。なので、あ、林先生の本だ、と思って手に取った。けれど、本屋のレジに持っていくのは少し恥ずかしかった。私は「冬ソナ」ブームを支える”中高年女性”に属するが、このドラマは一度も見ていない。たまたまチャンネルを回していて遭遇したことはあるが、2分と見ていられなかった。しかし、まわりの友人は、「初めは馬鹿にしてたんだけど、見てみたら意外と…」などと言いながら、実におもしろいほど次々にハマっていった。

 どうして、彼女たちは「冬ソナ」にハマったのか? 著者は、多数のファンから貰った手紙やアンケートの長文の回答を紹介し、分析していく。

 女性の日常生活は、育児・家事・介護など、感情労働の側面が強い。彼女たちは、つねに感情の管理(抑制)を強いられており、自分の「感情のケア」を欲している。感情を解放するために(大泣きするために)彼女たちはロマンスを必要とするのである。

 また、これまで男という性のもつ粗暴さを味わってきた彼女たちは、主人公の優しさや精神性に強く憧れる。通常、女性はメロドラマの女性主人公に自分を投影して感情の流れを楽しむ。しかし「冬ソナ」では、女性たちが、ペ・ヨンジュン演じる男性主人公の「耐える姿」に同一化している面がある。

 このドラマが性的な描写を欠くことも、女性たちの好感を呼んでいる。宮台真司によると、大正生まれから昭和20年代生まれにかけては、良妻賢母教育が最も徹底し、最も性的に「奥手」になった世代だという(→この分析、おもしろい)。彼女たちにとって、性はオス側のものであり、解放的なセクシュアリティを見せつけられることは、自分たちの価値観が社会において周縁的であることを思い知らされる、脅威の体験なのである。これに対して「冬ソナ」は、彼女たちの価値観を承認し、安心を与えてくれる。

 このほかにも、いろいろ興味深い視点はあったけれど、私は、本書を読んで、自分が一向に「冬ソナ」にハマらない理由が分かったような気がした。ペ・ヨンジュン的男性像が好きでないというのもあるし、感情を解放するより、知性を刺激されるほうがずっと好き、というのもある。しかし、たぶん最大の理由は以下の点。「冬ソナ」を初めとする韓流ドラマの多くは、韓国社会の”激動の”近代史を切り捨てて、どこでもない「モダンな都市」と「ノスタルジックな田園」を舞台に成り立っている(らしい)。だけど、私は歴史を捨象したドラマとか小説には、うまく乗れないのである。
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