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見もの・読みもの日記

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帝国の清算/東條英機と天皇の時代(保阪正康)

2006-02-05 23:45:57 | 読んだもの(書籍)
○保阪正康『東條英機と天皇の時代』(ちくま文庫)筑摩書房 2005.11

 1週間前に読み終わったこの本のレビューを書くのが遅れたのは、むかし読んだ本を探し出して、ある記憶を確かめたかったためだ。

 ――東條さんは矢張り偉いと低く言う兄に和しまた反発す

 東條英機という人物について、私はほとんど何も知らなかった。最も著名なA級戦犯として名前を覚えたのさえ、ほんの7、8年前のことではないかと思う。私が東條について、初めて何がしかの具体的な知識を得たのは、2001年に邦訳の出た、ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』(岩波書店)を読んでからだ。

 敗戦後、東條はすぐに自決せず、逮捕寸前にピストル自殺を図って失敗し、アメリカ兵から輸血を受け「混血」になった。それゆえ、戦時中の英雄扱いから一転して、国民は彼に轟々たる非難を浴びせ、嘲笑した。しかし、一方的な裁判の結果、死刑に処せられたことには、ひそかな同情を寄せる人々もいた。私はこれらを全てダワーの本から学んだ。冒頭にあげた短歌は、ある日本人の肉声として、ダワーが紹介しているものだ。私の記憶には、ずっとこの短歌が、飲み込めない小骨のように引っかかっていた。「矢張り偉いと低く言う」――この屈折の正体は何なのか。いちおう断っておくが、私はもっと積極的に彼を再評価すべきだと思っているわけではない。むしろ、なぜ彼を断罪できないのかが不思議なのだ。

 ダワーの本は、敗戦後の東條の姿しか語っていない。だから、それ以前の彼の閲歴については、本書で初めて知ることが多かった。長州閥(山口県人)絶対優位の陸軍で、傍流に甘んじた父親のこと、天皇に対する無邪気なまでの忠誠心、対米宣戦を決めた夜に人知れず号泣していたことなど、いくつか興味深いエピソードもあったが、全体としては凡庸な半生の印象しか残らない。なぜ、こんな小人物が、あの莫大な戦禍を作り出すことになったのか、ちょっと奇異な感じさえ受ける。

 メモ魔で、記憶力がよく、びっくりするほど細かいことまで配慮を忘れないが、大状況を理解できない。どこに向かうという「思想」が無い。甲論乙駁が嫌いで、決断を尊ぶと言えば聞こえがいいが、分析や論理を軽視し、信念や忠誠だけで何でも解決できると思っている。なんだか、いまの日本の政治家にも、いや、そこらへんの組織にも、いくらでも類例を見つけ出せそうなタイプである。

 しかし、著者は、「こうした平凡な人物が、あの難局の指導にあたらねばならなかったところに、日本の悲劇はあった」という見方を、半ば肯定しながら、半ば否定する。近代日本は、初めから、ある種の制度的矛盾をはらんで出発した。運悪く、その清算を請け負うことになったのが、「<大日本帝国という御輿>をかついだ最終走者」東條英機なのである。だから、本当のことを言えば、あの長く悲惨な戦争の責任は、ずっとさかのぼって、偉大な「明治日本」の功労者たちに帰せられなければいけないのかもしれない。そのことに目を塞ごうとするやましさが、東條を語る際の屈折につながっているのではあるまいか。
コメント (2)
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