見もの・読みもの日記

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プラトニック・ムービー/博士の愛した数式

2006-02-04 22:23:07 | 見たもの(Webサイト・TV)
○小泉堯史監督 映画『博士の愛した数式』

http://hakase-movie.com/

 年に数本しか映画を見ない私であるが、この映画は必ず見に行こうと決めていた。原作も面白いにちがいない。何せ、書店員が選ぶ「本屋大賞」の第1回を受賞した作品である。なんだけど、どうも現代小説は苦手なのだ。

 映画はとてもよかった。登場人物の数とか、物語のタイムスパンとか、リアル/アンチリアルの匙加減が、1本の映画として「ちょうどいい」感じがした。80分しか記憶が持たない数学者と家政婦母子の交流を描く物語、としか聞いていなかったので、博士と未亡人の義姉との間に、秘められた男女の過去があったという付録には、びっくりした。しかし、これが、程よく物語に厚みと陰影を加えている。さっき、立ち読みしてきたキネ旬によれば、この設定、原作では映画ほどはっきり書いていないらしいけれど。

 それから、数学教師になったルート少年の回想を物語の大枠とし、彼が要所要所で(中高生にも分かるように)数学の定理を説明する、という脚本も自然で、うまい。最初に彼が登場することで、この物語が、途中、どんなに「悲劇的」な様相を呈しても、最後はハッピーエンドに円環するという安心感を、観客は留保しておくことができる。ちなみに原作は博士が施設に入るところで終わる由。うーむ、小説ではさらりと書けても、映像でその場面を見るのは、ちょっと辛かろう。

 博士役の寺尾聰は実にチャーミングである。「80分で記憶が消える」はずなのに、最初の仏頂面が消えて、だんだん笑顔のシーンが増えていくのは(ルート少年とその母が、博士との付き合い方を学習した結果だとしても)理に合わないのだが、許せる。寺尾聰が劇中で着ている背広は、故宇野重吉の遺品なのだそうだ。

 ところで、博士の愛した数式とは「オイラーの公式」のことである。劇場では全く見逃していたのだが、上記のサイトを見ていたら、記憶をなくす前の博士が、義姉におくった愛の手紙には「e(πi)=-1」と記されていた(らしい)。しかし、ルート母子に出会った博士が、ありのままを受け入れて生きることを決意し、あらためて義姉に示したメモには「e(πi)+1=0」とあった。数学的な意味は同じだけど、表現が異なる。私は、前者は三角関係の謂いであり(邪推かなあ)、後者は和解と友愛の比喩であるように思う。

 言葉の根源的な意味で、プラトニックなすがすがしさの残る映画。数学、友愛、「大切なものは目に見えない」、それから少年教育、これらは全てプラトン哲学のタームである。

 ただひとつ、劇中で演じられる「能」の題目が分からないのが悔しい。何か意味があるんじゃないかと思うんだが...
コメント
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