○姜在彦『新訂朝鮮近代史』(平凡社選書) 平凡社 1994.8
最近、知りたいと思っていることがある。そもそも近代日本(明治政府)の始まりの頃、日本と朝鮮半島の関係は、どうなっていたのかということである。
私は(自慢にならないが)日本の近代史をほとんど何も知らずに大人になり、30代半ばも過ぎた頃から、ようやく基本文献を読み始めた。今では、おおよそ大正から昭和、日露戦争以降の歴史は、頭に入ったように思う。同時に、この時代の日本が、東アジアの隣国にどのような影響を与えてきたか(悪い意味に限定するつもりはない)ということも、いくぶん理解できるようになった。
昨年くらいから、日本の近代史に対する興味が少し広がって、「明治」という時代が私の視野に入ってきた。すると今度は、そのころ、日本と朝鮮半島の関係がどうなっていたのかが、とても気になり始めたのだ。近代日本が、その後に直面したさまざまな問題は、遡っていけば、始まりの時代「明治」に行き着いてしまう。同様に、日本と朝鮮半島が、世紀を跨いで抱え続ける困難も、たぶん近代の始まりに原因の根があるのだろうと思う。
とりあえず、そのへんの歴史事実が知りたいと思って、目についた本から読み始めた。しかし、正直なところ、難しかった。日露戦争以降の記述はよく分かるんだが、その「前史」は、まだ私の頭の中で具体的なイメージを結ばない。そもそも私は、当時の朝鮮人が、どんな服を着て、どんな髪型で、どんな家に住んでいたかもイメージできないのだ。
まあ、あせらず行こう。私は、中国の近代史についてだって、日本人の歴史研究、中国人の歴史研究、さらに小説を読み、エンターテイメント系の映画やTVドラマでイメージを補完しながら、何年もかけて、ようやく少し理解できるようになったのだ。まずは、中国における韓流ブームの火付け役となった歴史ドラマ『明成皇后』(日本では閔妃の名で知られる)を見てみたいものだ。できれば中国語版がいいな。
なお、1900年代以降の日朝関係について言えば、1919年に日本統治下の朝鮮で起きた独立運動「三・一運動」は、同年の中国の「五・四運動」はもちろん、前年に日本で起きた「米騒動」とも、同じ精神を共有するものである、という本書の指摘に、なるほどと思った。日本一国で見ると、「米騒動」って、ずいぶん軽いネーミングであるが、ちゃんと世界史的な背景があるものなのだな。「自虐/懲罰」でもなく、恩着せがましい「開発/援助」の歴史でもなく、こういう「共時性」の視点で書かれたアジア史がもっと読みたいと思う。
最近、知りたいと思っていることがある。そもそも近代日本(明治政府)の始まりの頃、日本と朝鮮半島の関係は、どうなっていたのかということである。
私は(自慢にならないが)日本の近代史をほとんど何も知らずに大人になり、30代半ばも過ぎた頃から、ようやく基本文献を読み始めた。今では、おおよそ大正から昭和、日露戦争以降の歴史は、頭に入ったように思う。同時に、この時代の日本が、東アジアの隣国にどのような影響を与えてきたか(悪い意味に限定するつもりはない)ということも、いくぶん理解できるようになった。
昨年くらいから、日本の近代史に対する興味が少し広がって、「明治」という時代が私の視野に入ってきた。すると今度は、そのころ、日本と朝鮮半島の関係がどうなっていたのかが、とても気になり始めたのだ。近代日本が、その後に直面したさまざまな問題は、遡っていけば、始まりの時代「明治」に行き着いてしまう。同様に、日本と朝鮮半島が、世紀を跨いで抱え続ける困難も、たぶん近代の始まりに原因の根があるのだろうと思う。
とりあえず、そのへんの歴史事実が知りたいと思って、目についた本から読み始めた。しかし、正直なところ、難しかった。日露戦争以降の記述はよく分かるんだが、その「前史」は、まだ私の頭の中で具体的なイメージを結ばない。そもそも私は、当時の朝鮮人が、どんな服を着て、どんな髪型で、どんな家に住んでいたかもイメージできないのだ。
まあ、あせらず行こう。私は、中国の近代史についてだって、日本人の歴史研究、中国人の歴史研究、さらに小説を読み、エンターテイメント系の映画やTVドラマでイメージを補完しながら、何年もかけて、ようやく少し理解できるようになったのだ。まずは、中国における韓流ブームの火付け役となった歴史ドラマ『明成皇后』(日本では閔妃の名で知られる)を見てみたいものだ。できれば中国語版がいいな。
なお、1900年代以降の日朝関係について言えば、1919年に日本統治下の朝鮮で起きた独立運動「三・一運動」は、同年の中国の「五・四運動」はもちろん、前年に日本で起きた「米騒動」とも、同じ精神を共有するものである、という本書の指摘に、なるほどと思った。日本一国で見ると、「米騒動」って、ずいぶん軽いネーミングであるが、ちゃんと世界史的な背景があるものなのだな。「自虐/懲罰」でもなく、恩着せがましい「開発/援助」の歴史でもなく、こういう「共時性」の視点で書かれたアジア史がもっと読みたいと思う。