見もの・読みもの日記

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鏡に映る日本/日中一〇〇年史(丸川哲史)

2006-02-10 00:16:41 | 読んだもの(書籍)
○丸川哲史『日中一〇〇年史:二つの近代を問い直す』(光文社新書) 光文社 2006.1

 はじめ、著者の名前と書名を見比べて、「おや」と意外の感にとらわれた。デビュー作『台湾、ポストコロニアルの身体』(青土社 2000.6)以来、”台湾”研究者としては絶対の信頼を置く著者であるが、”日中”を論ずるのは、なんとなく不似合いに思われたのだ。

 そんなことは余計なお世話だったかもしれない。本書は、日本と中国という「二つの近代」を、もつれた糸をほどくように、ていねいに解析していく。それは著者が台湾研究者として体験した事態、日本近代史の立場から台湾を扱う人々には中国側の視点がなく、中国史の立場に立つ人々は日本の植民地経営について専門外である、というジレンマを克服するために獲得された態度ではないかと思う。

 日本の近代の始まり(やっぱりそこに戻るのだ)、明治維新はひとつの革命であったが、君主制は破棄されず、むしろ君主を中心に中央集権体制を確立する方策が模索された。戦後日本でさえも、天皇は「五箇条のご誓文」を掲げて、明治維新に立ち戻っただけである。一方、中国では、辛亥革命によって君主制が廃絶され、そのことが決して後戻りのできない近代中国の核心となった。このように両国の近代は、始まりから全く違った方向を選び取ったのである。

 しかし、近代中国の父・孫文は、明治維新の成功を意識していたし、辛亥革命(さらに中国革命の進展)は、北一輝や石原莞爾らにとって共感の対象だった。どちらの国の知識人にとっても、自国の近代化は、西洋列強の侵略を食い止めるため「生命をかけたプロジェクト」として認識されていた。なるほど、この点は、東アジア各国が何度でも立ち返り、参照し得る、共通の歴史的文脈であるといえる。

 福沢諭吉の「脱亜論」でさえも、著者は、これを当時の具体的なコンテクストから切り離して読むことの危険性を指摘する。中国や朝鮮を、今日に比べて格段に身近な存在と意識していた時代、蘭学を学ぶ以前に漢学の素養をきっちり身につけていた福沢の、「共に亜細亜を興すの猶予ある可らず」という表現には、「酷薄なまでの意気込み」があり、アジアを裏切ってでも「日本の独立」を最優先するという、ある種の責任意識が貫徹されているという。うーむ。福沢のテキストを読むのは難しいなあ。私はまだ、彼の評価を定めることができない。

 本書では、「日中百年史」のタイトルどおり、魯迅や毛沢東も論じられているのだが、読後、圧倒的に胸に残るのは、「日本の近代」に抗った日本人たちである。五四運動における中国ナショナリズムの高揚を鋭く感じ取った北一輝。敗戦の8月15日、内乱と革命の進行を夢想した竹内好。そして、今後、日本のナショナリズムは、外部の政治力(アメリカ)と結びつくことによって存立せざるを得ず、したがって「他のアジア・ナショナリズムの動向に背を向ける運命にある」と予言した丸山真男など。彼らにとって、アジア、とりわけ中国は、ひたすら西欧を志向しながら、西欧とは似ても似つかぬ近代をつくってしまった国、日本を逆照射する鏡だったように思う。

 最後に衝撃的だったのは、終章で紹介されている、溝口雄三の近著『中国の衝撃』(東大出版会 2004)である。いまや日本は、中国が提供してくれる労働力、市場、食糧などに依存せずには存在できない。逆に中国は、日本を必要としなくなり、「日本がどのような歴史認識を持っていようが全く気にしなくなる」日が来るだろうというのだ。なんと、身もフタもない! しかし真実かもしれないなあ。大国化する中国と、小国化する日本。なあに、私はヘーキだけどね。
コメント
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